9 厄介
「最近、ご主人を見かけませんね」
「これまで内緒にしていましたが、実は離婚することになりまして」
「あら、そうだったんですか。大変ですね。まさか、あの優しいご主人が浮気とか……」
「いえ、別の事情がありまして」
夫と家に暮らしていたとき、近所付き合いは普通にしている。
だから近隣の何軒かは様子が可笑しいことに気づいただろう。
が、お節介と見られるのも厭なので機を窺っていたのかもしれない。
そういった人たちとは深い繋がりがない。
「そろそろ皆気づいてきたわね」
「さすがにね」
「この先、どうするつもり」
「隠してもバレることはあると思うけど、自分から進んで言う気はないわ」
特に親しく付き合っていた隣人には早い内に事情を話す。
お喋りではないと知っていたからできた判断か。
けれども、本人にその気がなくとも噂は広がる。
同じ女としてわたしには理解できないが、ここだけの話、という常識があるからだ。
「瑠衣子さん、離婚するんですって」
「ええ、まあ……」
「いったい何があったんですか」
「簡単には、ご説明できません」
厄介なのは親戚で、家に上がり込んで、あれこれと尋ねる。
自分の親戚が来れば、夫の親戚も来る。
彼と彼女らの立場により、わたしが擁護されたり、攻撃されたり。
が、面白いと思ったのは、元の鞘に納まれと説得するのが皆男で、女にはいなかったこと。
「人生はまだ長いんだし、瑠衣子さんは病気もない。十分楽しみなさいよ」
「はあ」
「あなたは身体の線がきれいだから、すぐに大勢の男たちが寄ってきますよ」
「はあ」
わたしは何と答えれば良いのか。
「正直に言っちゃえば、昔の恋人と縒りを戻すって……」
「色気ババアとか噂されちゃうわよ」
「言いたい人には言わしておけば良いのよ。どうせ羨んでいるだけだから」
「そうはいってもね」
では、あなたが当事者だったらどうするわけ。
「いいわよねえ。昔の男と結婚できるなんて」
「昔の男とか呼ぶのは止めて」
「だって昔の男なんでしょ。まだ好い男なの」
「わたしにとっては……」
「あら、お惚気じゃないの」
「あなたが言わせたんでしょ」
「でも気を付けた方がいいわよ」
「何を」
「男はいつまでも男だから」
「それが」
「きっと浮気をするわ」
「それくらい元気な方がいいわよ」
「病気持ちなの」
「あの歳になったら大抵の人が病気を持ってますよ」
「じゃあ、先に倒れられたら厭ね」
「それはそうだけど」
「あっさりと死んでくれればいいけど、介護ってことになったら大変」
「確かに」
「瑠衣子さんだって、今は病気がないけど、癌とかは怖いわよ」
「検診には毎年行ってますよ。でも見つからないこともあるそうね」
「町医者はダメ。多少腕が良いようでもレントゲン結果を見誤ることがあるから」
「そうなの。だって、お医者でしょ」
「わたしの実家近くに住む人がそれで、結局手術をして助かったんだけど、今では殆ど寝たきりよ。気力を無くしちゃって愚痴ばかり。手術前は、腰とかが痛くても遠くまで歩くような人だったのに……」
「そう」
「発見が遅れたから癌が一年近く余計に育って。だから大きくて手術でごっそり取ったから。命に別状ないと言われても何だかね」
「大変だったのね」
「癌がまだ小さいうちに、かかりつけのお医者さんが見つけてくれれば、そこまで酷くならなかったと思うと」
「それで、町医者はダメ、なのね」
「そういうこと。それにレントゲン写真ではわかり難くても今ではCTスキャンがあるからね。あれで診れば一発なのよ。だから調べて貰うなら大病院……」
「なるほど」
話を聞くうち尾瀬の健康が心配になる。
自分の健康にはとりわけ不安を感じないが、その態度は改める必要があるようだ。
「健康は……違うか、病気はね、その人自身が作るのよ」
ある日、街で出会った昔の友人が、お茶をした店でそう語る。
「どういう意味」
「わたしも全面的に信じてるわけじゃないけど、簡単に言うと愚痴あるいは不安、それらが元で健康な人が病気に罹るらしい」
「病は気から、ってこと」
「昔の人は知ってたのね。でも、わたしが読んだのは最近の研究結果だから単なる諺とは違う」
「ふうん」
つまり検診は欠かせないが、無暗な心配をするな、ということか。
が、健康を上手に保ったとして百歳になった尾瀬を想像するとヨボヨボだ。
もちろん隣に寄り添うわたしもヨボヨボだが、少なくとも今時点の想像で笑みを浮かべているからヨシとするか。
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