7 喫茶店で

「ああ、やっと会えた。瑠衣子さん、お加減はどうだ」

「以前と変わりませんよ。鈍痛ではなく、神経痛の感じで時折チクチクと痛い」

「そうか、可哀想に」

「歳を取ると、ある程度まで回復して、そこで止まるのね。若い頃みたいに、長くても一週間で体が戻るというわけにはいかないんだわ」

「それは、ぼくも同じだ。入院こそせずに済んでいるが、医者通いは続く」

「お互い、本物のお爺さんとお婆さんですね」

「瑠衣子さんは、まだ還暦を過ぎたばかりじゃないか。法的に見れば高齢者ですらない。ぼくは歴とした前期高齢者だよ。後期高齢者になるには、まだ間があるが……」

「七年近くも……」

「そうだな」

 尾瀬と会ったのは喫茶店。

 さすがに互いの自宅に出向く気になれず、そう決まる。

 場所は、わたしの住む街の一画。

 左胸の怪我以外は健康なので、当初わたしが尾瀬の家の近くに行くと主張する。

 が、当然のように尾瀬が反対し、わたしも我を張らない。

 三十年前とは違うのだ。

 長いものに巻かれる楽を知っている。

 それに気に食わないことは、いずれ機会を見、尾瀬に言えば良い。

 気に食わないことが沢山あるようなら、そのときに纏めて訴えれば良い。

「辰巳は家をくれるそうです」

「離婚のケースでは多いらしいな」

「ローンは終わっているけど、困ったわね」

「売れば、娘さんが嫌がるだろう」

「帰る家がないと」

「そういうことだよ」

「でも、わたしには稼ぎがない」

「専業主婦だったから、目に見える給料がないか。銀行口座はあるにせよ」

「最初は断ろうかと思ったんです。辰巳と半分ずつに分けた方が良いだろうと……」

「それで……」

「交渉決裂しました」

「なるほど」

「だから考え直しました。辰巳がわたしに怪我を負わせた心の傷が、わたしに家を与えることで軽減できるならと」

「なるほど」

「傍から見たら吝嗇女の選択ですよ。ああ、厭だ、厭だ」

「仕方がないじゃないか」

「だから、そう思うことにしました」

「けれども気持ちは収まらない、と。だが、それでどうする」

「一軒家ではね。シェアハウスにもできません」

「つまり、跡地にアパートを建てると……」

「わたしには他にお金を稼ぐ方法がありませんから」

「やれやれ、ぼくに養って貰うのは厭か」

「それとこれとは話が違います」

「ぼくの知ってる会社で働く気があれば紹介するぞ」

「昔持っていた資格なんて、もう無価値ですよ」

「免許の更新が必要な資格ばかりじゃないだろう」

「知識が古くて話になりませんから。……でも、簡単な英語を子供たちに教えようかな」

「語学の方は衰えなしか」

「何年かに一回ずつ、英会話教室に通わせて貰ったんです。ですけど依然、尾瀬さんには敵わないはず」

「ぼくは使い続けたからな」

「継続が宝なんです。どこかで気持ちを切り替え、働きに出れば良かったと思います」

「過ぎたことだ」

「そう、今からでもできますからね。でも、その前に技量を身につけないと」

「スーパーのレジでは厭なのか」

「ああ、それは考えてもいなかった。傲慢な女だわ」

「それだけ幸せに暮らしてきたのだろう。波風を立てず……。その点は、あなたのご主人に感謝をするよ」

「ありがとうございます。でも今となれば、無意味な平穏……」

「それを言ってはお終いだ」

「尾瀬さんの前だと素直になれるんですよ」

「嬉しいね」

「だからわたしの厭なところも、いっぱい出します」

「おいおい」

「わたしの時間が動き出したんです。三十年前に止まった、わたしの時間が……。この先何年生きられるか知りませんけど、もう止めたくない」

「良い決心だ。では一緒に百まで生きるか」

「長いですね」

「一日一日で考えれば、あっという間だ」

「それじゃ、もったいない」

「いや、もったいなくはないよ。幸せな日々が続くと思えば……」

「先に死なないで下さいよ」

「平均寿命から考えて、それは無理だろう」

「だって尾瀬さんは百まで生きるんでしょ」

「確かにそう言ったが……」

「ならば、わたしは九十三歳まで生きます」

「半端だな。せめて九十九歳まで生きたらどうだ」

「ならば尾瀬さんは百六歳まで……。だけど九十九歳まで生きるとなると妖怪になってしまいそうだわ。モノでも妖怪になれる年齢だから……」

「付喪神(九十九)神は妖怪ではなく神だろう」

「名前だけは……。ですけど、やっぱり妖怪というかお化けというか」

「瑠衣子さんも妖怪になるのかい」

「なれたら面白いでしょうね」

「怖い気もするが、見てみたい気もする」

「尾瀬さんは妖怪にはならないんですか」

「ぼくは妖怪になる器じゃないよ」

「いいえ、妖怪色男だわ」

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