6 離婚
「とにかく話を進めて欲しい、とお義父さんから頼まれました」
「何故、自分が来ないのかしら。わたしは逃げも隠れもしないのに……」
「ご自身が怖いと仰っています。また同じことを繰り返すのではないかと」
「それを避けるために、あなたを同伴するならわかりますよ。でも……」
わたしの前に美緒の夫がいる。
わたしの夫に頼まれ、離婚交渉をしに来た、と言う。
「壮太さんだって、お暇じゃないでしょうに。ごめんなさいね」
「いえ、その点は構いません」
「あなたのご両親が知ったら呆れるわ」
「お義母さん、おれには未だに信じられません。本当に、何かの間違いではないんですか」
「間違いがあるとすれば、夫がわたしを愛したこと。そしてわたしが、その愛を受け入れたこと」
「それならば、最後まで受け入れれば良かったじゃありませんか」
「その選択肢は、あるにしても架空だわ。だから実際にはないのよ」
「お義母さん……」
「辰巳の条件はすべて飲むから。具体的な話をしましょう」
「しかし……」
「わたしたち夫婦は割れたのよ。だから、もう元には戻らない」
「今はガラスが割れても戻す技術があります」
「壮太さんが、わたしたち夫婦を気遣ってくれる気持ちはわかるけど」
「……」
「辰巳は真面目で優しい男。面倒な癖や趣味もない。唯一道楽と言えるは古書漁り。だから十分、今からでも相手を見つけて幸せになれる。わたしも、それを望んでいるのよ。だけどわたしが辰巳の傍にいたら、それが叶わない。そういうことなの」
「おれにはわかりません」
「わからなくていいのよ」
「そう仰られても……」
「壮太さん、美緒が浮気をしたら、あなたは許す……」
「想像したこともありません」
「じゃあ、あなたが浮気をしたら美緒はどうすると思う」
「それこそ想像がつきませんよ。わかりません」
「でしょ。だから、わからなくていいのよ」
「うーん」
「あなたも好い人よね。辰巳とタイプは違うけれど。美緒は賢い目をしていたと思うわ。親ながらだけどね」
「ここで持ち上げられても……」
「ならば交渉を始めてください。壮太さんの貴重な、お休みの日を戴いているのですから」
柏木壮太は軽装でやって来る。
……といってもスラックスとチノパンだが。
背広を着て来なかったのは硬い話にしたくなかったからだろう。
ビジネススタイルでこの家を訪れれば、それだけで離婚交渉を進めに来たと、わたしに感じさせると考え……。
柏木壮太の想いは、わたしと夫を元の鞘に戻すことだ。
だから、わたしの肩を持つかに見える妻の美緒をこの場に同席させない。
柏木家では昨夜一悶着あったのだろうか。
わたしには、そちらの方が心配だ。
「あなたたち夫婦は大きな喧嘩をしないでくださいね」
「ええ、今のところは問題ありません」
わたしが問い、壮太が答える。
即答なのが頼もしい。
が、美緒の浮気を知った後も同じ態度でいられるだろうか。
「そういえば、ジャッピーは元気……」
柏木壮太が軽装に似合わぬ黒いビジネスバッグから厭そうに書面を取り出す半背にわたしが問う。
ジャッピーは柏木夫婦の飼い犬の名。
考えてみれば、娘夫婦が旅行に行くので預かったジャッピーとの朝の散歩がすべての始まりか。
遠いような、近いような。
もっともあの日に出会っていなくとも、和泉佳代子は遠からずわたしに接触しただろうが……。
「ジャッピーですか」
「ええ、ジャッピーよ」
「元気ですよ」
「そろそろお嫁さんを貰えばいいのに……」
「ああ、それは美緒とも話し合っています」
ジャッピーはシーズー犬だが、妻を娶らせるならば、やはりシーズー犬になるのだろうか。
想像すると気持ちが少しだけほんわりする。
ジャッピーのお嫁さんの流れで、ところであなたたち、子供は……、と訊ねようとし、思い留まる
訊ねて問題があろうはずもないが、話が妙な方向に転がることを恐れたのだ。
子供ができれば、さすがの美緒も腐れ縁の結城久貢と別れるかもしれない。
が、逆にそうなるのが嫌で、美緒が三十歳近くなるのに子作りを拒んでいるのだとしたら……。
親のわたしから見ても優等生美緒の唯一の汚点が結城久貢。
おそらく愛してはいないだろう。
美緒が心から愛しているのは柏木壮太だ。
が、人の心は割り切れない。
やれやれ……。
「この家はお義母さんに譲るそうです。しかし、そのためにはまず名義変更をしなければなりません。既にご存知かもしれませんが、結婚している間は婚姻関係にあるので、結婚後に取得した財産は夫婦の共有物ですが、一度離婚すると元夫婦は赤の他人になるわけですから過去に共有していた財産も離婚後には他人のものになります」
「はい」
「財産分与を行う物件は多々あると思いますが、一番大きいのが家です」
「そうでしょうね。で、法務局に登記した名前が家の名義人となることから、一般的に『名義人=所有者』であるという概念になっていたような」
「お詳しいですね」
「いえ、知っているのは、そこまでです」
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