2 会話
「吃驚しましたよ。でも、まあ、あれだ……」
尾瀬の口調が弱々しい。
往年の自信家はどこにもいない。
が、尾瀬は尾瀬。
わたしが嘗て愛し、今でも愛している男。
「ニュースにでもなったのかしら。それで気づいて……」
わたしが言うが、言葉にならない。
娘がわたしの表情を読み取り、
「ニュースになんかならないわよ。だってお母さん、軽症だもの」
と答える。
では尾瀬はどうして、ここに……。
「お母さんから電話をする予定があったのに、それがないから家に連絡を下さったのよ」
そういうことか。
マメな尾瀬。
その顔を見つめ、
「わざわざ、お見舞いを申し訳ありません。とんだ情けない恰好をお見せして……」
礼を述べる。
後半がやっと言葉になったようだ。
それを確認し、
「お母さん、あたし、ちょっと先生のところに行ってくるから。お母さんの気が付いたことこと報告してくるから」
娘が言う。
「済みません。尾瀬さんでしたっけ、暫くの間、母をお願いします」
そう続け、病室を出る。
娘の表情は伺えない。
が、わたしと尾瀬に気を使ってくれたに違いない。
「あの子にはバレちゃったわね」
「いったい何があったんだ」
「事情はご存知じゃないのね」
「わかるものか。とにかく、あなたが入院していると聞き、駆け付けたまでだ」
「刺されたんですよ」
「誰に……」
「亡くなった尾瀬さんの奥さまでなければ、わたしの夫しかいないでしょう」
「ぼくのせいだ」
「やめてください。夫を裏切ったのはわたしです。尾瀬さんは関係ありません」
「関係ないことはないだろう」
「では半分の責任を……」
「しかし、どういうことなのだ」
「娘が話すとも思えないので、いずれ、わたしからお伝えします」
「そうか。それまで待てんが、瑠衣子さんがそう言うなら……」
「代わりに夢現でお医者様から聞いた……というより娘に話していた内容を教えましょうか。大量の血は流れましたが、ナイフは肋骨が受け止めたそうです。だから傷は浅い。素人は胸を狙ってはいけないのですね。きっと失敗するから。だから殺意があって刺すのならお腹……」
「瑠衣子さん、ちょっと可笑しくないか」
「頭がやられたとは思いません。でも病院での記憶がありません。失血して気を失い、床に頭を打つけたかもしれません」
「まるで他人事だな」
「尾瀬さんに頼みたいことがあります」
「何でも言ってくれ」
「わかる限りで良いですから夫の状況を調べてください」
「聞かされていないのか」
「わたしは、ついさっき目を覚ましたのですよ。病院で最初に気づいたのはもっと前ですが、そのときは朦朧として」
「なるほど。だが、知ってどうする」
「まだ考えていません」
「旦那さんのことは訴えないのか」
「悪いのはわたしです」
「しかし、あなたは被害者だ」
「仮にわたしが死んだとして尾瀬さんはわたしの夫を訴えますか」
「それとこれとは話が違う」
「そんなに違いませんよ」
「瑠衣子さん、やはり少し可笑しいのでは……。ショックのせいだろうか」
「可笑しいのは過去のわたし。今のわたしは明晰そのもの」
「怖い人だ」
「尾瀬さん、わたしから逃げ出すなら今ですよ。今なら、わたしは恨みません」
「ぼくは前に逃げたからね。今度は逃げないよ」
尾瀬がそう言い、わたしの目を強く見つめたとき、病室の外で気配がする。
おそらく美緒が医者を連れて来たのだろう。
「尾瀬さん、今日はもうお引き取りになって」
「しかし……」
「暫く連絡できないかもしれませんが、わたしは生きますから」
「そうか」
「では……」
「うむ。長居をしてはお身体に触るだろう。今日は失敬することにするよ」
「ええ、お見舞い、ありがとうございました」
最後の会話は医者と娘に向けたもの。
が、どこまで効果があったか……。
「辰巳さん、お加減はどうです」
わたしの担当医はイケメンの若い医者。
昔風だが、美人の看護婦が後ろに控える。
この医者もやがて多くの女を泣かせるのだろうか。
その最初の犠牲者が、この看護婦なのだろうか。
そんな馬鹿々々しい妄想が、わたしの頭に咄嗟に浮かぶ。
尾瀬が言うように、わたしは少し可笑しいのかもしれない。
「どこもかしこも痛くて怠いですよ」
わたしが口にしたのは自分の状態。
大袈裟にボヤくとイケメン医師が言う。
「痛み止めの薬を増やしましょうか」
「そうするとボーッとなってしまうんでしょう」
「痛みを感じる神経を緩和させるのですから仕方がありませんね」
「では我慢しきれなくなったときにお願いします」
わたしが言い終わるとイケメン医師が娘とわたしに向かい、わたしの病状を説明する。
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