女王のバラ園
バラは、当然のように赤かった。
私の頭程はある大輪は、見事と感嘆の息を溢したくなるほどだ――その茨が、私を打ち据えようとしてさえこなければ。
「挽き肉になりなさい!」
女王の号令と共に、茨が緑の旋風と化して迫る。その表面はもちろん大きな棘に覆われており、巻き込まれれば宣言通り挽き肉になってしまうだろう。
「バグ!!」
「あいよ」
阿吽の呼吸と言うべきか、私の短い叫びにバグはすかさず反応した。大きく開いた鞄の口から、布が巻かれた柄が突き出される。
掴み、引き抜く。
使い方を把握するのと同時に、バラの鞭が殺到する。
銀光が、閃く。
振り抜いた【ザンシン】の姿勢で静止する私の目の前で、切り飛ばされた鞭が宙を舞う。
「すごい切れ味だ………。まるで、抵抗が無かった」
紙でも裂いたかと思うような手応えの無さに、私は思わず刀身に視線を向ける。
いわゆるロングソードと同じような長さの刀身は、頼りないほど細く薄い。奇妙に湾曲したそれには片方しか刃はなく、鋏を分解して柄を付けたような見た目だ。
「大業物、菊一文字」
バグが、朗々とその奇妙な武器の名を告げる。
意味のわからない単語だった。私の異能は武器の使い方を理解させるだけで、その歴史までは教えてくれないのだ。
「頑丈さではなく、ただただ斬ることに特化した、東洋の刀だ。ギャハハ、バラの剪定にはちと勿体無いなぁ?」
「生意気な………!!」
更に鞭が迫る。だが、最早脅威ではない。
描いた銀光の軌跡通りに、バラが両断される。一振りすれば二つ、二振りすれば四つ。
切り伏せ、跳ぶ。
ラヴィの脚力を用いた踏み込みは、放たれた矢より早い。緑の庭を縦横無尽に跳ね回り、キクイチモンジを振るう。
瞬く間に、バラは刈り取られた。散らばる無残な茨の切れ端に、ため息一つ。
このバラ達もまた、女王の命に納得して従い、死んだのだろうか。
答えはない。植物は正直だが、けして雄弁ではない。
「………さて。もう良いだろう? これ以上、バラを粗末にしたくない」
「………」
今度は、生意気とは言われなかった。
赤の女王は俯き、身体を小刻みに揺らしている。チェスの駒とは違い、
軽く安堵の息を漏らす。
彼女の心情的にはともかく、現実的にはもう降伏くらいしか手はないはずだ。玉砕覚悟の突貫、という手もないではないが、出来ることならやめてほしい。
依頼でない殺しなんて、何の得にもならない。まして、相手は少女だ。
いざとなればもちろん躊躇うつもりはないが、後悔しない確証もない。
「大人しくしていてくれれば、手出しはしないさ。私は、仕事をこなしたいだけなんだ」
「………………………」
女王は答えない。
俯いたままの少女に、私の心の中で警戒のベルが鳴り始める。いつだって、誰だって、追い詰められた相手は何かしでかすものだ。
カタナを鞘に納める。油断しては危険だが、警戒させ過ぎて暴発されても、それはそれで本末転倒だ。
女王の一挙手一頭足に油断なく気を配りつつ、私は笑顔を見せながら歩き出した。
「ほら、武器から手は話した。だから、大人しく、」
「許さない」
「………聞き取れなかった、ということにも出来る。今なら、まだ」
言いながら、そうはならないと確信する。女王の周りに、赤い魔力が集まりつつあった。
そしてやはり。
顔をあげた少女の目には、けして揺るがない覚悟の色が浮かんでいた。
私は、ため息をついた。相手が弓に矢をつがえたら、あとはもう斬るか射たれるかしか道はない。そして私には、ただただ射たれる趣味はない。
幸い、もう距離は短い。私の足なら、一息で女王を間合いに入れられる。私は説得を諦め、踏み込むべく姿勢を低くし、
「っ!?」
跳ぶ――但し、その方向は真後ろだ。
私がさっきまで居た地面に、亀裂が走る。一瞬の後、それが爆発し、地面から緑の壁がそそり立ってきた。
細い、棘の生えた茨だ――正確には、その束だが。
「ここは私の庭、私の世界。【バラを自由に咲かせる】という意味を、もっとよく理解しなさい」
「まさか…………」
「私は、支配者だ」
ギロリ、と睨み付けてくる女王の周りに、茨の柱が、壁が立ち上がる。流れる川のように吹き出した茨が、彼女を包み込んでいく。
「【
絡み合い捻れる茨、その上に悠然と座して、赤の女王は私を見下した。その瞳には幼さもあどけなさもなく、怒りと憎しみが渦を巻いている。
「挽き肉になりなさい、ウサギ」
「くっ…………」
振り下ろされる茨の鞭を時に切り飛ばし、時にかわし、私は荒い息を吐いた。
めちゃくちゃだ、と内心で毒づく。
新たに生えてきた薔薇は、それまでよりも太く、また多い。今までは多くても四本の鞭が襲ってくるだけだったが、今回は八本が間断なく降り注いできている。
動きも、違う。
それまでの単調な振り下ろしではなく、横からの薙ぎ払いや時間差攻撃、果ては真っ直ぐ突いてくる茨もある。
まるで、騎士八人に一度に襲われているような気分だ――それはつまり、反撃の隙がないということでもある。
何より不味いのは、その数が減らないということだ。
かわしながら刀を振るい、二本切り飛ばす。飛んだ茨の先を壁にして突撃を防ぎ、足元を狙ってきた一本を両断した。
その破片が地面につくよりも早く、地面が割れ、新たな茨が飛び出してくるのだ。その数は、きっちり三本。
「…………常に、八本か」
恐らくは、このレベルの精密な動作を行うには、それが限界なのだろう。嬉しい報せでは無いが。
「ギャハハ、そろそろ庭師に転職したらどうだ?相棒」
バグの軽口に、返す言葉もない――時間的にも、その内容に対しても。
思えばこのところ、マトモな人間を相手にした覚えがない。ここに来てからは、半分くらい植物が相手だった気がするくらいだ。
「まぁ、こいつはいわゆる、核を潰さないといけないパターンだな。ギャハハ、不幸中の幸い、
視線を向けると、赤の女王は上空に居た。
薔薇の本体――と言ってよいのか?――は絡まり、十ヤード程の高さの正方形を作り上げていた。その最上部に腰を下ろし、指揮者のように腕を振っている。
操作しているのは間違いない。だが問題は、どうやってそこにいくか、だ。
「ギャハハ、相棒、面倒なことを考えてやがるな?」
「面倒って…………」
私は、作戦を考えていたんだが。
呆れて相棒を見下ろすと、バグは更に大きく笑った。
そして、鞄の口から何かが突き出される。
「そんなの、考えるまでもねぇ。行くのが面倒なら、来てもらえばいいのさ!」
赤の女王は、慎重に腕を振るっていた。彼女にしては珍しく、と言ってもいい。
そもそも、いつもなら彼女は何もかもを部下にやらせている。
自分は、結果だけを命じればいい。首を切れ、打ち落とせ、引き裂け。あとの細かい点は、勝手にしてくれてもいい。そういう意味では、寛大な女王と言える。
今彼女は初めて、過程から作業をしていた。追い詰めて磨り潰すために、慎重に慎重を重ねて鞭を振るう。もうシェフは居ないのだ、ウサギのミートパイを作りたければ、下拵えも自分の仕事となるのだ。
そしてようやく、ウサギはその足を止めた。
よし、と頷く。あとはひたすらに打ち据えるだけだ。勝利を確信し、女王がその指を振るおうとした、その瞬間だった。
女王は見た。ウサギが、腰につけた喋る鞄から何かを引っ張り出すのを。
女王は見た。【それ】はポットとステッキとホースを無理矢理くっ付けたような、歪な形をしているのを。
女王は見た。ウサギがそれを構え、狙いをつけるのを。
女王は見た。その口から、赤く赤く燃える火が吐き出されるのを。
そして、女王は、バラの絶叫を聞いた――もしかしたらそれは、彼女自身の悲鳴だったのだろうか?
問い掛けに答えはない。バラは無口だ、だから美しい。
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