アリスを追え

「………………………」


 アリスを追って外に出た瞬間、私は立ち止まった。


 怪訝そうに私を追い越したディアも、直ぐに同じように足を止める。そうして、二人とも無言で立ち尽くした。


 二人の視線の先には、同じものがある。


 さすが女王の庭。やけに曲がりくねったレンガの道には塵ひとつ無く、その周りの芝生は見事の一言。

 天気が良い日には、スコーンに紅茶でも抱えてのんびり寝転がりたくなるような眺めである――クラブの兵隊たちは、きっとここでクリケットに興じていたのだろう。もちろん刺のないボールで。

 しかし、私たちは別に、眺めの見事さに足を停めた訳ではなかった。


 芝生の、真ん中。


 良く手入れのされた緑のカーペットのど真ん中にある【それ】を見て、私たちは揃って言葉をなくしたのだ。

 ………それは、足跡だった。より正確には、そうだと思えるような窪みだが。


 ヒールを履いた誰かの足跡だろう。視線を投げれば、一定の間隔を空けてその跡は続いている。

 芝生を気に求めない誰かが歩いていった。そう考えるのが妥当だろう。そして、他に考えが浮かばないにも関わらず、私はそれを信じられずにいた。恐らくは、ディアも同じ気持ちだろう。

 何故なら。


「………でかいな」

「でかい、ですね………」


 そう。


 その穴は、

 それほど背が低いわけでもない私が、目算だが二人くらいは入るような大きな窪み。

 もし、これが足跡なら――。


「………確認だけど、バグ。あのアリスって子、巨人だった?」

「俺のが確かなら、その正反対だと思うね、クロナ。そら、見ろよ、それ」

「え?………あ」


 身動ぎしたバグのボタンが指し示す地面を見て、私は呆気に取られた。背中越しに覗き込んだディアも、難しい顔で呟く。


「………足跡、ですね。


 と言うよりも、普通のサイズなのだ。

 芝生に残ったもう一つの足跡は、私の足跡よりも小さいくらいだ。こちらなら、目標の少女の足跡に相応しい。


「問題は、これもまた、ヒールの足跡だってことだな」

「………同じもの、かな?」

「確認の方法はありませんが、同じ種類の靴に見えますね」

「………ということは」


 同じ種類の足跡が、突然二歩目から大きさが変わっている。そこから導き出される結論に、私たちは嫌そうに肩を落とした。

 目標アリスは、


「例の白兎に追い付きたくて、けど走るのはめんどくさくて、そうだ大きくなっちまえ、ってわけだな。ギャハハ、気軽なもンだぜ!!」

「人の娘でラヴィの足に追い付くのは至難の技だろうからね。………しかし、くそ、確かに気軽にやってくれるね」


 これで廊下に残された破壊の痕跡が天井に残っている理由もわかった。単純な話だ、大きくなったのだ。


 非常にまずい事態だ。


 大きさは、時としてそれだけで決定的な差となり得る。剣も弓矢も、それを小骨くらいにしか感じない相手には無意味だろう。どんな武器でも使いこなせるとは言え、人間サイズを想定した武器しか私もバグも持っていない。そんなもの私たちにとっての蜂くらいにしか、巨人にとっては感じないだろう。


 さて、どうする。彼我の戦力差を考え、直ぐに私は諦めた。もちろん、思索をだ。


「………まぁ、追い付かなきゃ始まらないか」

「出たとこ勝負だな?ギャハハ、俺好みだぜ!」


 相手の情報が足りなすぎる。バグほど思い切れはしないが、ぶつかってみないと話にならない時も、時にはある。

 覚悟を決めつつ、私は足跡の行く先を目指すことにした。ラヴィに追い付こうとする相手に追い付くのだ、それなりに急ぐ必要があるだろう。







 元来、彼女≒アリスに目的は無かった。


 白いウサギを追い掛けていたら、なんだか妙な連中が何人も現れた。そいつらは大概が嫌なやつで、そうでないやつもまぁ悪くないくらいで、素敵な出会いは何一つ無かった。


 だから、蹴散らした。


 大したことじゃあない。彼女は魔術師だったし、アリスは破壊者だった。どちらでもある彼女≒アリスにとって、道端の石よりも砕きやすいくらいだった。


 あの女王様も、兵隊たちも、意地悪な花も煩い蜥蜴もドードー鳥も、皆ホントに大したことない感じだった。

 残るは、ウサギだけだ。白い白い、綿みたいなウサギさん。

 白いものは好きだ。綺麗だし、清潔だし、正直だ。白くて怒られるものなんて無いはずだわ。あぁでも、白紙のノートは先生が怒っていたわね。


「うふふふふふふ」


 顔を真っ赤にして怒鳴る先生を思い出して、彼女≒アリスは笑った。

 無防備なその後頭部に、赤い三日月が突っ込んだ。






「【薔薇染めの赤マーレン・ローゼ!!

 】」


 背後からの一撃。

 斬り上げた赤刃は一直線に飛び、目標の後頭部に炸裂した。

 直撃である。

 気配を消しての完全な奇襲。目標は一切反応すらできず、ディアの斬撃を喰らった。


「………チッ」


 勝利を確信しても良いような状況に、しかしディアは顔をしかめる。


 。首を斬り飛ばすどころか、筋肉の壁を越えたかどうかさえ怪しいような手応えだ。


 歴戦の彼女、その見立ては正しい。

 目標はその足を止め、虫にでも噛まれたようにポリポリと頭を掻きながら、大儀そうに振り返った。


 事実、目標、アリスにとって虫に刺されたようなものだろう。なにせ今や彼女は巨人のごとし、身の丈五十ヤードを越すほどに少女になっていたのだから。


「………あぁらぁ?なぁあぁにぃ?」


 頭上から声が響く。恐らくは普通に呟いただけだろうが何せ巨体だ。嵐の海の雷雲のように、ゴロゴロと轟いている。

 構うつもりはない。振り返ったアリスの顔に再び【マーレン】を振るう――防がれた。


「あぁぶぅなぁいぃわぁねぇえ?」


 緩慢なように見えて、思ったよりも早い。顔の前に翳した手に斬撃は防がれ、ベシャリとペンキを撒き散らした。

 不愉快そうにそれを振り払う巨体を見上げながら、ディアは更に斬撃を放とうとして、


「っ!?」


 全ての攻撃動作を中止し、慌てて飛び退く。掛け値なしの全力で退避した目の前を唸りをあげて肌色の壁が通過していく。


「おぉしぃいぃぃぃ」


 アリスのしたことは簡単だ。足元にうろちょろする虫に、屈んで手を伸ばしただけ。それだけで、虫を握り潰すことは出来る。


「………………………」


 向き直り見下ろすアリスの視線を感じながら、ディアは剣を構え、呼吸を整える。ここまでは、予想通り。


「頼みますよ、ウサギ様………」


 呟くディアの頭上から、アリスの手が迫る。







 作戦は、単純だ。


 ディアが足を止め、ウサギ様………クロナが仕留める。

 ちなみに、あの茶色いラヴィが如何なる手段でこの巨人を始末するのか、彼女はまるで知らない――何か言っていた気もするが、意味のわからない単語だった。

 それで充分だ、とディアは思う。輝石の女王の名に懸けて、この囮はこなして見せる。


「………くっ!」

「うぅふぅふぅ、どぉこぉにぃ、いぃくぅのぉ?」


 降り下ろされる手を、足を、ディアは懸命にかわしていた。

 アリスは、さして慎重に狙いを定めてはいない。小さくて見辛いのか、ディアのいる辺りを適当に殴り、踏みつけているだけだ。かわすのはさして難しくはない。

 難しくない、難しくはないが、しかし。


 どれだけ簡単な作業でも、それが一切のミスも許されないとしたら。


 たった一度の失敗が、己の命に直結するとしたら。


 果たして、平静を保ち続けられるだろうか?


「はぁ、はぁ、はぁ………」


 結果として、ディアは、通常以上に体力を削られていた。

 未だ被弾回数はゼロ。しかしそれは、必要最低限の条件に過ぎない。誉められることでも何でもないのだ。

 対して、アリスは平静そのもの、どころか楽しげに笑っている。虫潰しを楽しんでいるんだろう。


 彼女にとって、これは戦闘ですらない。ただ歩き、気紛れに手を振るだけでいい。圧倒的な大きさは、それだけで相手を追い詰めるのだ。


 精神の消耗は、単なる体力の消耗よりも激しく人を追い詰める。一撃に恐怖すれば身体が強ばり、必要以上に大きく回避を取らねばならず、更に体力を削り取られる。


「はぁ、はぁ、はぁ………」


 まだ、ですか、ウサギ様………。

 ひたすら回避を続けながら、心の中で今の主の名前を祈るように呼ぶ。彼女のことを信じている。信じてはいるが、しかし、出来るだけ急いでほしいものである。

 得てして、そうした祈りは届かないものだと知りながら。







 そして、予想通り。その祈りは届かなかった。もっとも、たとえ届いたとしても、私は答えられなかったのだが。


「………こんなの、意味無いだろ!」


 私が叫ぶと、彼女は力なく笑った。

 手にした折れかけのステッキを構え、壊れかけの王冠をかぶり直し、汚れたドレスの裾を直す。


「私は、あのアリスを追ってる!お前と戦う必要は無いんだぞ!」


 叫び声を無視する彼女の周りには、赤い薔薇が二本咲いている。

 その薔薇が、不自然に伸びる。人の背丈を越えて、長く、高く。

 地面から、その棘だらけの茨が幾本も生えた。それぞれが意思を持っているかのように蠢くそれらは、鞭となって私に襲いかかってくる。


 赤いバラを従えて、彼女は私の前に君臨している。

 意味はないはずだ。私と彼女とは共通の敵を追っているし、そもそも彼女は既に敗れている。必要もない。私は単なる異邦人、終われば消えてなくなるのだ。ここで打倒しなければならない相手ではないだろう。


 だが、それでも。彼女、『赤の女王』は退かない。


「………必要がなくても、意味もなくても。私は、この国の女王なのよ!!」

「くっ………」


 彼女は【赤の女王】。気に食わない者を許してはならないのだ――

 とはいえ、戦いとはいつもそうだ。己が己であるために、人は、戦う。意味も、必要も、必要ないのだ。


 チラリ、と視線を遠くへ投げる。地響きと共に暴れる巨大な少女と、その周りを飛ぶ点のような少女を見て、唇を噛み締める。

 やるしかない。私の目的のためには、彼女の目的を壊すしかないのだ。

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