ハートの兵隊
「………?」
何だか、とんでもない爆発音が聞こえた気がして、私は足を止めた。
ドカンドカンという音は、進行方向から断続的に響いているような気がする。
………行きたくない。
何となく、ものすごく嫌な予感がする。何がいるにしろ、友好的な雰囲気ではない。
「とはいえ。のんびりしてる場合でもないぜ?あのダイヤがどれだけスペードを抑えておけるかわからねぇからな?」
「それは、確かに」
シビアな言い方だが、あいつがあの黒騎士に勝てるとは思えない。最善を尽くして、最高の展開になって、それで漸く相討ちくらいだろう。
やれやれ、と私は歩みを再開する。せっかく前方の障害がなかったというのに、ここでだらだらとして後方から追い付かれても締まらない。
「さっさと行って、どうにかしようぜ、ギャハハ!!」
「お前は気楽だろうけどね………」
最低限の警戒をしつつ、私は廊下を歩いていく。
やがて曲がり角に差し掛かった時だ。
「………ん?」
何か音がして、私は足を止めた。いったい何の音かと思考するような暇もなく、音の主は現れた。
「退いて退いて! 遅刻しちゃうよ!!」
「うわ?!」
何かを叫びながら走ってきたのは、真っ白な毛並みのラヴィだった。重そうな本を小脇に抱え、左手に持った懐中時計を見ながら跳ねるように駆けてくる。
その速度は、曲がり角だというのに全く落としていない。と言うより、曲がる気配もない。
気が付いていないのか。その先は壁だ、私が親切に言おうとしたときだった。
白いラヴィが、右手に持ったラッパを口にくわえて吹き鳴らした。
そのとたん、正面の壁がぶるりと震え、そしてバタン、と音を立てて倒れた。
「………え?」
ポカン、と口を開けた私の目の前を、ラビは風のように駆け抜けていく。それを遮るはずだった大理石の壁は、元からそうだったかのように倒れ、新たな床としてラヴィの足を支えた。
それが当たり前だというように走り去るラヴィを、私はぼんやりと見送った。嵐のようなやつは、嵐のように見送るしかないのだ。
「………なんでもありだな、これは」
思わずぼやいた私の耳に、新たな足音が聞こえる。
今度はなんだ。思いながら目を向けると、どこかで見たような青いワンピースドレスの少女が駆けてきた。
「………あら、こんにちは、茶色いウサギさん。ごめんなさい、白いウサギさんをご存じないかしら?」
「あ、あぁ、なら向こうに………」
「あら、本当。ありがとう、ウサギさん」
思わず壁のあった方を指差すと、少女は微笑み頷いた。ちょこん、とドレスの裾を両手につまみ、軽く持ち上げて腰を折る。
可愛らしい挨拶に、私もつい頷いてしまう。それを見て更に嬉しそうに笑ってから、少女は白いラヴィを追い掛けて走っていってしまった。
「………あれ、今のは………」
「うーん、もしかして、目標か?」
「あ」
そうだ、と思い出した。見せられた写真に写っていた少女魔術師だ。少し雰囲気が変わっているような気がするが、この世界でそのままでいられる者はそう多くないだろう。
だとしたら、不味いことをしたな、と私はため息をついた。
目標だとしたら、黙って見送る手は無かった。殺すかどうかはともかく、せめて捕まえるべきだった。
「とりあえず、追い掛けよう」
「………待ちなさい」
更なる突然の声に振り返る。
そこには、赤いドレスを着た少女が一人、壁に寄りかかるようにして立っていた。
その全身はぼろぼろで、怪我もしているのか歩くのもやっとという風体だ。
黒い髪の上に傷付いた王冠を見つけ、私は眉を寄せた。
「まさか、赤の女王………?」
「お前、さては侵入者ね?」
不用意な反応だった。舌打ちする私に向けて、赤の女王は険しい視線を向けてくる。
「気分が悪いけれど、お前に構っている時間は無いの。衛兵に任せるわ」
「衛兵に? ギャハハ、あっちで倒れてるやつらかよ?」
「バグ?!」
余計なことを、と私は鞄を叩く。本当のこととはいえ、そんな誤解を招くようなことを言う必要はないはずだ。まず間違いなく、面白がってやっているのだろうが。
悪い方の予想通り、赤の女王は誤解したようだった。端整な眉を吊り上げると、手にした扇子を打ち鳴らした。
「本当に、気分が悪いやつらね。けれど、結局衛兵に任せることは決定よ」
「え?」
疑問に思う私の耳に、金属同士の擦れ合うような音が響く。まさか、と身構える私の目の前で、赤の女王はニヤリと笑った。
「ここは私の城で、あいつらは私の衛兵よ。私の命令に歯向かうわけがないでしょう? たとえ、死んでいてもね」
ガチャン、ガチャンと音の行進が近付いてくる。赤の女王は足を引きずり、痛みに顔をしかめながら、それでも悠々と私の前を横切り、壁のあった穴へと向かう。
それを追いかける時間は、今の私には無かった。
振り返った私の目に飛び込んできたのは、悪夢と呼ぶに相応しい光景だった。
倒れていたはずのトランプの兵隊が整列する。いや、させられる、と言うべきか。兵隊達の姿を見る限り、彼ら自身の意思によるものとは思えない。
酷い有り様だった。
程度の違いこそあれ、五体満足な者は一人も居ない。手や足が取れてしまっている者はまだましな方で、酷いものでは頭がちぎれかけ、趣味の悪いキーホルダーのようにぶら下げている者も居る。
誰も彼もが、間違いなく致命傷を受けている。それなのに、その武器は真っ直ぐ私へと向けられていた――女王の命通りに。
彼らの身体も武器も、溢れ出た鮮血で赤く染まっている。最早マークも読めなかったが、ハートの兵隊で間違いあるまい。本来はスペードが最強のはずだが、何せ相手は赤の女王だ、黒よりも赤が強いと見ておいた方がいいだろう。
女王の誇る最強の近衛兵だったのだろう。しかしだとすると、私より先に侵入した誰かは、それを赤子の手を捻るように圧倒し鏖殺したことになる。恐らくは、女王自身も。
「だとすると………侵入者っていうのは、私たちの追っている目標と同じ?」
「だろうな、あの様子だと。しかし、そんな風には見えなかったがね?」
「人は見かけによらないものだよ」
特に魔術師という生き物は。
「私は、寧ろ安心した。魔術師なら魔術を使ったということで、巨人が敵なわけではないということだからね」
「まぁな。ギャハハ、どんな魔術を使うか知らないけどな!!」
とにかく、この死に体の兵隊たちを片付けよう。
悪夢的な光景だが、最悪には程遠い。
さしたる時間がかかるわけでもないだろう。手はともかく足が壊れた兵士なら、逃げてもいいだろうか。私の脚力なら容易に引き離せるだろうし、
「クロナ!?」
「っ!?」
思考は、切羽詰まったようなバグの叫びに中断させられる。
意識の焦点が、強制的に目の前の現実に向けさせられる。目の前に、降り下ろされつつある壊れかけの刃物に。
咄嗟に仰け反る。前髪を掠める一閃は、想像以上に鋭い。
やり過ごしたと同時に、左右から槍の穂先が迫る。その勢いに驚愕しつつ、跳躍しかわす――かわしきれない。
脇腹が抉られた………ような、気がした。
着地して、身体を擦る。どうやら、怪我はしていない。穂先が折れていた槍は、脇腹を掠めただけに終わったようだ。しかしその刺突の鋭さは、脇腹が根こそぎ消滅したと幻想するに足るものだった。
「こいつら………」
強い。
距離を取った私の目の前で、壊れかけのトランプ兵が改めて武器を構える。どうやら、容易くはいかないらしい。
「バグ」
「あいよ」
相棒に声をかける。その鞄の口から吐き出される獲物に手をかける。そうしながら、思う。
全く。これこそ、最悪の事態だ。
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