最高、最強、最優
優秀さというのは、他人から求められるものだ。その内容は、他人が与えた役割に応じて異なる。兵士に求められる優秀さと暗殺者に求められる優秀さとでは方向からしてまるで違っているはずだ。
そして求める他人によっても、それは変わってくる。
兵士が思う優秀な兵士というのは、強い兵士だ。敵を打ち倒し、味方を助ける。強いが故弱者に優しく、強いが故強者に媚びへつらうこともない。敵には容赦せず、さりとて必要以上に残虐にはならない。そんな
暗殺者にしても、これはあまり変わらない。戦う役割の者にとって、強さこそが優秀さの根幹を為すものなのだ。
だが――王が求める優秀さは、その限りではない。
強さで言えば、スペードの黒騎士は最強だっただろう。ダイヤが抑えに回らなければ、未だに突破できたか怪しいところだ。
だが、彼らは女王の一番ではなかった。
ダイヤのトランプ兵たちのペンキ捌きは見事であったし派手だった。普通に平地で囲まれていたら、自分など正しく兎狩りの憂き目に会っていただろう。
だが、彼らは女王の一番ではなかった。
では。
スペード程強くもなく、ダイヤ程派手でもないハートのトランプ兵たちが、トップに立つ理由は何か。
それは、忠誠心。
手足がもげても、首が落ちても、命を失ったとしても、主の命令を実行する歪な忠誠心だ。権力者が兵士に求めるのは、自分の命令を確実に実行するという機械的な任務遂行能力なのだ。
――そう。
女王にとって必要なのは
滞りなく回る、
取り出したのは、鞭。
黒い革製の鞭を振るい、飛び掛かってきたハートの兵士を三体纏めて弾き返す。
すかさず、手首を返す。
軌道に微妙な縦揺れを加えることで、彼らの影に隠れていたもう一体を打ち据える。
鞭の便利な点は、広範囲を纏めて薙ぎ払えるということと、こうして途中で軌道を変化させられるということだ。接近さえされなければ、一対多数の状況でも有利な情勢を維持できる。
手首のスナップで巻き戻し、改めて振るう。空間に打撃の結界を張りながら、兵士たちとの付かず離れずの間合いを保つ。隙を突いて飛び込んできた兵士は、私の一蹴りで文字通り一蹴した。
しかし。
「………くそ、しつこいな」
打たれても打たれても、ハートの兵士たちは意に介さない。もう動きそうもない身体を無理矢理に動かして、ひたすらに前へと向かってくる。
まるで波のようだ。何度払っても水は砕けず、ただただ打ち寄せてくる。
「ギャハハ、こいつは厳しいなぁ? もっと徹底的に、一体を潰していく方がいいんじゃねぇか?」
「そんな暇はないよ」
勿論、頭では私もわかっている。ただ弾いているだけでは、彼らはけして足を止めない。首を落としたらどうかとも思ったが、それでも動いているのを目の当たりにして諦めた。
原型もないくらいに叩くしかない。だが、一体にそこまで手をかけていては、その間に残りに詰め寄られる。十二体の猛攻を凌げるほど、私は戦い慣れしていない。
圧倒的に、手が足りない。
新たな武器を出す時間も、逃げる隙もない。このままじり貧だとしても、躍り続けるしかやりようがない。
せめて、もう一人。ベルフェでも、合体したディアモンドでも構わない。誰か一人でも来てくれたら、どうにかなるのだが。
果たして。
「ハァッ!」
私の祈りに、気合いの声が応えた。それを追って、見覚えのある赤い斬撃が飛来する。
私とトランプ兵たちとを分かつように斬撃が床を抉った。飛び退き、足を止めたトランプ兵たちの頭上へ、二撃目三撃目が続く。
ピシリ、という音に、私は頬をひきつらせながら慌てて飛び退いた。天井から嫌な音がして細かな破片がパラパラと落ちてきたら、理性のある人間ならだいたいはそうするだろう。
しかし、ハートの兵士たちにはもうそんなものはなかった。
元々、侵入者の進撃の末ダメージを負っていた天井は、あっさりと限界を迎えた。一面にヒビが広がったかと思うと、どっと勢い良く崩落した。
逃げることもせず、元来の目標と背後から現れた新たな敵とを天秤にかけている内に、彼らは頭上から降る大理石の雨に飲み込まれた。
「ゲホ、ゲホ、ゲホ………」
幸いにして、崩落は一ヶ所で済んだ。立ち込める粉塵も収まり始め、私は咳き込みながら立ち上がった。
カツンカツンという、ブーツが大理石の床を叩く音が近付いてくる。先の赤い斬撃を思い起こし、私は安堵の息を溢した。
今のは、間違いなくディアモンドのペンキだ。どうやらスペードを降し、追い付いたらしい。自分の戦力予測を叱りつつ、恩人の到着を待った。
「ふう、いいタイミングだったぜ、色男! まさか見計らってたんじゃねぇだろうな?! ギャハハ!!」
「バグ! ………すまない、助かった、ディアモンド………、え?」
「あ?」
私とバグは、揃って間の抜けた声を出した。相棒に顔があったなら、私と同じく呆然とした表情を晒していただろう。それほどまでに衝撃的だったのだ、煙の向こうから現れた、その人影は。
何故なら、それは。
「………誰?」
私もバグも、見たことのない人物だったのだから。
適当と思われる距離をおいて、その人物は立ち止まった。身構えつつ、私はその姿を凝視する。
中性的な整った顔立ちに、涼やかな笑みを浮かべるその誰かは、腰までかかる金髪といい、頭に乗った小さな王冠といい、ディアモンドを思わせる出で立ちをしていた。着ている白いシャツにもダイヤの紋章があしらわれているし、羽織っている赤いマントもブーツも見覚えのあるデザインだ。
極めつけは、その右手に握った剣だ。
万年筆を長く伸ばしたような刀身は、ポピュラーなものではないだろう。赤い液体で満たされているらしいその特殊な剣は、間違いなくディアモンドが【マーレン】と呼んでいたものだ。
だが、違う。こいつは、ディアモンドではけしてない。彼の
「………どちらさん、この美女」
そう。
その誰かは、女性だったのだ。
顔立ちこそ中性的だが、なまじ騎士らしい鎧を身に付けていないため、女性らしいボディラインが良くわかる。妙齢、というにはやや若い、幼さから一歩抜け出したばかりといった見た目だ。
先ほどハートの兵士たちを葬った以上、敵とは思えないが………。
警戒する私に軽く微笑み、少女は騎士のように片膝をついた。
「初めまして、ウサギ様。私は、ディアと申します。ディアモンドと同じ存在です」
「同じ………?」
鈴を転がすような、柔らかい声だ。困惑し、眉を寄せる私に寛容な笑みを向けつつ、ディアと名乗った少女は頷いた。
「はい。【
「一枚落ち、なるほど。キングから一枚落ちて、クイーンになったってわけか!!」
「流石は鞄様です、呑み込みが早いですね」
笑い合う二人、特に腰の鞄に、私は声をあげる。
「いや、なるほどって。そんな簡単なものじゃないよね? もっと気にするところだろここ!!」
「ウサギ様、ご懸念はもっともですが、気にしないでください。私の思いは、ディアモンドと変わりありません」
ディアは顔をあげ、私の瞳をしっかりと見据えながら宣言した。騎士が主君にするように、【マーレン】を私に捧げる。
「私たちに道を示し、それを選ぶことを教えてくださった貴女に、この剣を捧げます。どうか、御許し下さい、ウサギ様」
そう言って頭を下げたディアに、私はため息をついた。私は暗殺者だ。騎士の部下なんて必要ないし、欲しくもない。
しかし。ここまで誠意を見せる相手を、邪険には出来ない。
悩む私の耳に、バグの笑い声が響いた。
「良いじゃねぇか、連れていこうぜ相棒!!」
その言葉にディアはパッと顔をあげ、咲くような笑みを浮かべた。私の顔には勿論、その反対の表情が浮かんでいただろう。
「そんな簡単に………」
「難しいことでもねぇだろ? ギャハハ、連れていきたいかいきたくないかって話だけだ。んで、俺は連れていきたいってだけだぜ?」
何故、と私は疑問の目を向ける。言葉にしなかったのは、何となく、答えがわかる気がしたからだ。
バグは全身を震わせてゲラゲラ笑いながら答える。それはやはり予想通り、聞きたい答えではない答えだった。
「決まってるだろ? いい男ってのは、美女の誘いは断れないのさ」
相棒の答えに、私は肩を落とした。私の見る限り、この場にいい男は一人もいないのだが。
「まぁ、いいか。手は多い方がいいし。よろしく、ディア」
「はい、ありがとうございます」
渋々、私は頷いた。普段の仕事に差し障るような気もしたが、まぁ、この付き合いもここから出るまでだ。
魔導書が解除されれば、彼女もきっと消える。それを寂しいと感じないためにも、関係はドライな方がいい。
握手をしようと、私が手を差し出した、その瞬間だった――跪くディアの背後で、大理石の墓が爆発したのだ。
「なっ!?」
「………………………」
驚く私の前で、瓦礫が跡形もなく消滅する。そして、それを為した何者かが、姿を現した。
それは、崩れかけた人影だった。
赤い鎧と兜を被り、穂先がハートの形をした槍を握った彼は、恐らくは【王権】だろう、合体したハートの兵士たちだ。
もちろん受けていたダメージはけして回復することはなく、ほとんど死骸のままだ。
だが、ただの死体だとは思えない。少なくとも、先ほどの十三倍は強いのだから。
「………………………ふう。ご心配なく、ウサギ様」
だというのに。
ディアは、全く動じていなかった。
ゆっくりとした動作で立ち上がると、【マーレン】を抜く。それから、涼やかな笑みを浮かべたままでのんびりと振り返った。
その目の前には、壊れかけた身体を引き摺って迫る、ハートのキング。
「【王権】は確かに強力ですし、彼は我々の頂点に立つ存在です。しかし」
腕を振るった。横薙ぎに一閃、続いて縦に二閃。
赤い刃が飛び、その両腕と両足を切り飛ばした。
悲鳴もなく、ドサッと音を立てて身体が地面に落ちた。
それでもハートのキングは生きている。
半分ほどが壊れた顔の中で、残った片眼が赤く光っていた。その眼光には翳りが見えず、四肢のいずれかが無事だったなら、這ってでも向かってきただろう。
「女王の求める【最高】では、【最強】のスペードにも、そして、私にも届きませんよ」
命令が有る限り迫ってくるハートには、そうできないよう手足を落とすしかない。そしてそれは、十三体より一体の方が簡単なのだ。
「さあ、参りましょうか、ウサギ様?」
「………」
何もできなくなったハートを最早一顧だにせず、ディアは私に微笑みかけてきた。その優しい笑顔と、彼女の背後に広がる凄惨な光景とのギャップに、私は無言で決意する。
絶対に、ここを出るまでの関係にしよう。絶対に、だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます