薄っぺらい敵意
それは、まるで流星群。
最高点に達したヘッジホッグ達が、私の下へ降り注ぐ。一人を圧殺するには過剰なほどの破壊の嵐が迫る。
それはしかし、私には届かない。天から降る殺意の雨を置き去りにするように、私は既に走り出していた。
先程諦めたばかりの道を、塀に沿って走り続ける。そのあとを追うように、雨が降り注ぐ。背後から迫る重圧に、私は唇を噛んだ。このままでは、
「ギャハハ、じり貧だなぁ?」
「………うるさい」
「お前さんは、足早いけどスタミナ無いからな、このままじゃあ不味いぜ?!」
「わかってる!」
どうにかする必要がある。しかし、どうする?私は必死に頭を回し、そして相棒の名を叫ぶ。
「バグ!剣だ!」
「どんなやつだ?」
「なんでもいい、振り回しやすいやつだ!!」
私の言葉に、バグは理解の色を示した。
「成る程なぁ、ヒヒ。………ほらよ、ゲームの始まりだぜ!」
声と共に、バグの口から剣が吐き出される。手頃な長さの、刀身が厚い剣だ。それを握り、私は一瞬目をつむる。剣の使い方が私の脳に、そして身体に流れ込む。
【ウェポンマスター】。すべての武器を使いこなす、私の能力。
把握した。同時、急停止。
「はあっ!!」
気合いと共に、剣を振るう。斬撃は落ちてきたヘッジホッグを真芯で捉え、そのまま斬らずに弾き返した。
向かってきたのと全く逆の軌道を描いて飛んだヘッジホッグ。塀の向こうに消えたのと同時に、悲鳴が上がった。
やはりそうか。私は自分の選択の正しさを確信した。
哀れなハンプティダンプティは言っていた。『ヘッジホッグで撃ち落とされる』………ヘッジホッグが撃ち落とすのでも、ヘッジホッグに撃ち落とされる、でもなく。
詰まり。ヘッジホッグは矢なのだ。であれば、射手は別にいる。この塀の向こうにだ。
足を止めた私に、トゲ付きの雨が殺到する。しかし。
「私の手には、今や傘がある。………果たして、お前たちには、それがあるか?」
「おやおや、こいつはまた、傑作だねぇ」
木の上で寝転んで、ニヤニヤとチェシャは笑う。
多勢に無勢か、それともこいつらは烏合の衆か?
どちらにせよ、こいつは楽しくなりそうだ。眼下で行われるラビの闘争を、チェシャは目を細め眺めていた――おかしいくらい、楽しげに。
「………………………ハァ」
止まない雨は無い。
静かになった辺りに、そんな使い古されたフレーズが、頭に浮かぶ。注意深く耳をそばだてて塀の向こうを探ってみると、何の音もしない。どうやら全員、打ち倒したようだ。
「………ハァ、ハァ、ハァ………」
暴れ馬のように心臓が跳ね回る。肩で息をしながら、私は漸く動きを止めた。
「ヒュー、ナイスバッティングだな! 」
バグの下手くそな口笛に、言葉を返す気力もない。突き立てた剣に体重を預けながら、私は懸命に呼吸を整える。
とにかく、当面の危機は凌いだと言える。しかし、ここは何しろ敵地。しかも親玉の居城だ。増援の脅威は幾らでもある。こんな門前でのんびりしている場合ではないのだ。
動かなければ。私は周囲に気を配りつつ、身体を宙に踊らせた。
一跳びで塀を飛び越える。直ぐ様ヘッジホッグとやらが飛んできて全身を針ネズミにされる、そんな幻想を思い描いたが、幸いにも敵兵は全滅していたようだ。
しかし。
「………薄っぺらい奴らだなぁ、相棒?」
呆れたようなバグの声に、私もため息を返した。
そこに倒れていたのは、何枚もの紙だ。長方形の胴体にはクラブのマークが何個かとその数が描かれていて、そこから細い手足が生えている。彼らの手には、木製のクリケットバットが握られていた。その近くには、玉であるヘッジホッグも目を回している。
トランプという種類のカードだ。さまざまなゲームに使われるが、クリケットにも使えるとは知らなかった。
「こいつらが、兵隊かな?」
「だろうなぁ。こういうの、魔法使いがよくやるよな?」
確かに。
カードは、魔術師の商売道具の一つだ。絵柄や数字によって意味があり、それを使うことで魔術の補佐をさせるのだとか。
また、こうした無機物を生物化させるという魔術も、よく聞く。………何度か使われたこともあるし。
「ということは、女王とやらは魔術師なのか?」
「それより、重要なのはそこじゃあないよ、バグ。………これがトランプで、しかもここにはクラブしかないってことだ」
普通、トランプというのはマークが四つある。クラブ、ダイヤ、スペード、そしてハート。これらをスーツと呼ぶのだが、各スーツには十三枚カードがあるわけで、それが四スーツ。
「詰まり、こいつらトランプの兵は、下手するとあと三十九体いるかもしれない」
「マジかよ、ギャハハ、そいつは上手くないな!!」
笑うバグに、私は深刻な視線を向ける。口に出す必要はまるでないことだが、実は、トランプのスーツには時として強弱がある。
一番強いのは、スペード。そして………ここに倒れているクラブは、その中でもっとも弱いとされているのだ。
さて、と私は視線をさ迷わせる。
降り立ったのは、広い庭の端だった。私の背丈くらいはあるバラの苗木が、壁のように並んでいる。
ここが、今は閉鎖されているというバラ園だろうか。バラは手入れが難しいのだが、ここには赤と白の大輪が見事に咲いている。
「良い庭だな………」
「お前さん、案外呑気だよなぁ? つうか、花とか好きだよなぁ、意外に」
「意外ってどういう意味?」
ジロリ、と視線を向けると、バグはヘラヘラと笑い下手くそな口笛を吹いた。まったく、叩いてやりたくなるなこいつは。
「おい、なんだ今のは!」
「誰かいるのか!!」
途端騒がしくなった。バタバタという足音が幾つも聞こえるが、まぁ、味方どころか関係のない他人という可能性すらないだろう。ため息をつきながら、私はバグの腹を割りと強めに叩いた。
身を隠すような暇もなく姿を現したのは、やはりと言うかなんと言うか、トランプ兵だった。赤いダイヤのマークが六つと七つある彼らは、やけに驚いたようにこちらを見ている。
「な、なんだお前ら?!」
「………それは私の台詞だ。………何してるんだ、お前ら?」
かく言う私もそれなりに驚いていた。駆け付けた兵隊達の手に握られていたのは、赤いペンキが付いたハケとバケツだったからだ。侵入者に気付いて急行した警備兵には、あまりに似つかわしくない代物だ。
私の言葉に、トランプ兵達は大きく肩を落とす。
「それが………ここは女王様のバラ園なんだよ。女王様は、赤の女王と呼ばれるだけあって赤がお好きなんだ」
「どのくらいかと言うと、白いバラを見掛けたら植えたやつの首をはねるくらいなんだ」
「それはまた………、あれ? でも………」
呆れつつ、私は辺りを見回した。バラ園には、赤とそして白いバラがところ狭しと咲き乱れている。
私の疑問を察して、二人のトランプ兵は大きなため息をついた。
「そうなんだ。幾つか………というか半分くらいは、白いバラを植えてしまったんだ」
「育つ途中で気が付いたことは気が付いたが、だからと言ってそこで枯らしてしまうには数が多すぎた」
まぁ、そうだろうな。いきなりバラ園のバラが半分枯れたら、そこはもうバラ園とは言えない。
しかし。
「………まさかとは思うが………そのペンキは」
「そうだ。こうなったら、咲いた後で赤くしてしまうしか手はない」
「………」
バカか。
言われてから辺りを良く見ると、確かに幾本かのバラの下には赤いペンキがポタポタと垂れている。血痕のようで正直怖い。
………行けると思ってるのだろうか。さすがにこんなの、一目でバレるだろうに。
「………まぁ、いいか。私には関係無いし、せいぜい頑張ってくれ」
彼らのいく末など知ったことではない。ペンキを塗るなら好きなだけ塗っていてくれて良い。そう思い、通り抜けようとした私に「まあ待ってくれ」とトランプ兵は声を掛けてきた。
訝る私に、彼らはニコニコと笑いながら告げる。
「君の侵入は、実に良いタイミングだと思わないか?」
「………そうかな」
「我々も、さすがにこれで誤魔化せるとは思ってはいなかった。やらないよりはましかな、と言う程度だったんだが………それよりも良い手を思い付いた」
「………それは?」
身構えつつ尋ねる私に、彼らは良い笑顔のままで軽く手を振る。と、それに合わせて、バラの壁の向こうで足音が殺到する。囲まれた。
舌打ちする私に、ダイヤのトランプ兵は宣言した。
「侵入者共々、白いバラを始末するのさ!!」
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