女王の城、門番の攻撃
「………………………おぉ」
バグにしては破格なほど短い呟きだったが、そこには隠しきれない感動が込められていた。
あまりにも深く精神的な衝撃を受けると人は無言になってしまうものなのだ。それは人ではない鞄でも、そして亜人でも同じことだった。
私もまた、言葉もなく目の前に広がる景色を眺めていた。
城だ。
真っ赤な屋根が目を引く、大きな城。今時王都でも見ないような、幾つもの尖塔が針ネズミのように生えた立派な城である。
しかし、その建築方法に対する感想よりも早く脳裏に去来したのは、
「やっと、着いた………」
そんな、絞り出すような一言だった。
お茶会ごっこから解放されたあとの森は、馬鹿みたいに広かったのだ。
しかも、生えている木々はどれもこれもスタンプみたいに全く一緒で、生え方さえ一緒だったのだ。
恐らく魔導書の中では単に【森】としか書かれてはいないのだろう。代わり映えのしない景色というのは精神に悪い。精神が疲れれば、肉体もまた疲れるのだ。
結果として、距離に倍するような疲労を感じて、私は思わず盛大なため息をついた。
「………緑色以外を久しぶりに見た………」
「緑が目にいいなんて言ったやつを、この森にぶちこんでやりたいぜ………」
力のないバグのぼやきに、私は全面的に同意した。これほど相棒と気持ちがひとつになったことはかつてなかった。
「なんにせよ、ここが目的地だな。何せ、城だ。ギャハハ、明らかにラスボスが居るぜこれは!!」
「なに、らすぼすって」
ボスと言うからには、まぁ、首魁の事だろうか。だとすれば、言いたいことは何となくわかる。
「敵の居城なら、警備もいるはず。警戒して進む」
「あいよ。ただ、一ついいかい相棒」
「なに?」
妙な言葉遣いに眉を寄せる私に、バグはへらへら笑いながら続けた。
「あそこにもう、誰かいるけどな」
その言葉に、私は慌てて視線を向けた。
すると塀の上には、確かにバグの言う通り誰かが居た。
いや、あれは、『誰か』と言うよりも『何か』と言った方が良さそうな気がするが。
「………なにあれ」
白い楕円形の塊から、ほっそりとした手足が生えている。遠目には太った誰かが塀の上に座っているようにも見える――ただし、首のない誰かだが。
そう。
手足の位置から想定される頭があるべき位置には、何にもないのだ。そして、気のせいかもしれないのだが、と言うか気のせいであってほしいのだが、その塊の真ん中より少し上くらいに、目と鼻と口があるような気がする。
あいにく、それは気のせいでなかったようだ。目がぎょろりと動いて、塀の下の私を見下ろした。
手足の生えた卵、という表現が浮かぶ。のそのそと器用に座り直して私を正面から見ようとする卵の動きを見ながら、私はその呼び名に『気持ちの悪い』を脳内で追加した。
気持ちの悪い卵は、ニヤリと笑った。
「白くないウサギは珍しい。赤ければ最高だったね。そうしたら、女王様のお気に入りになれたのに」
「女王様?」
私の声に意外さを感じ取ったのか、卵が呆れたような顔をする。
「そうさ、知らずに来たのかい? せっかく危険って書いたのに、君はもしかしてお馬鹿さんかい?」
お前が書いたのかよ、という突っ込みを、私はどうにか抑え込んだ。どうせならどう危険かを書いてほしかった。あと、どれくらい遠いとか。
沈黙する私に、卵はまぁいいや、と頷いた。
「来ちゃったものはしかたないね。僕はハンプティダンプティ。そしてぇぇぇ? 」
卵が大きく両腕を広げた。そして、何かを誇るように自信満々な顔をして、声高らかに宣言する。
その言葉を聞いて、私は確信した。ここが目的地だと。
「ようこそ、我らが【
ようこそとは言われたが、目の前には塀しかない。ノックをするためにも、先ずは入り口を見つけなければならないらしい。
赤の女王の城、というやつは、どうもかなり巨大なようだった。
私の背丈ほどもある塀は視界の先までひたすら続いており、終わりどころか曲がり角さえ見えてこない。
「玄関まで遠い家って、不便なだけだよなぁ?どうしてこう、金持ちは人に回り道をさせたがるんだ?」
早くも飽きが来たのか、バグが欠伸混じりにぼやく。その気持ちはわからないでもないが、広い家に憧れる気持ちもあり、私はコメントを差し控えた。
大きな庭の広がる静かな家というのは、牧歌的なラヴィ族にとっては精一杯の夢である。畑があれば尚良い。その際家は兎も角庭は広くしたいのだ。もちろんその方が、静かだからである。
「権力者の家なんて、大概はそうだよ、布袋ちゃん」
空想の世界に割り込んできたのは、高いところからの声だ。
見上げると、塀の上でハンプティダンプティが器用に転がりながら並走していた。他人事ながら、心臓に悪い動きである。立てばいいのにとも思うが、彼の細い足を見るに、案外立つ方が危険なのかもしれない。
ゴロン、と横に一回転し、卵形の彼は得意気に笑う。
「大きな家、大きな庭、大きな塀。巨大な我が家は、強大な我が身を示しているのさ。立派な額に収まれば、立派な絵に見えるものだろう?」
尊大な言い方に、私は思わず眉を寄せた。この卵は、いったい何者なんだろう?
布袋呼ばわりされたバグも似たような感想を持ったらしい。鞄の口をへの字に曲げて、ケッ、と短く吐き捨てる。
「ご立派な意見だがな、卵野郎。そう言うお前さんはいったい何だ?この城の変わったオブジェか何かか?」
「失敬だな、と言いたいところだが、そうか、君らは女王の事も知らなかったな。無知は罪ではない、このハンプティダンプティが、ここの歴史をわかりやすく解説してしんぜよう」
「そういう話は夜に頼むぜ、まだ眠りたくないんでな。それより、ここの入り方でも教えてくれよ、親切な紳士さんよ?」
むむむ、と卵が眉を寄せた。口喧嘩でバグに勝てるやつはそう多くはない。
オホン、とわざとらしく咳払いをし、卵は改めて口を開く。
「入り方、と言うが。もしや門でも探しているのかね?」
「そうだ。………知ってるなら、聞かせてくれ。私は急いでいる」
私の言葉に、ハンプティダンプティはバカにしたように肩を竦めた。
「無駄な努力だな、白くないウサギ。ここには門など無いよ」
「あん? んじゃ、出たり入ったりはどうしてんだよ?」
「入るやつは勝手に入るさ。塀をよじ登ったり、穴を潜ったり、空を飛んでね」
なんだそれは。それでは、まるっきり不法侵入者だ。
女王が城を出ないというのは、わからなくもない。権力者は往々にして、自分の広い庭を突っ切るのが嫌になるものだ。しかし、
「客とかはどうすんだよ」
「女王に客なんて来ない。女王は誰も招かない。彼女の世界はここ、この塀の中全てで、塀の中が全てなんだ」
さらさらと、流れるようにハンプティダンプティは告げる。まるで予めそう決められた台詞を読む役者のようだった。
私はため息をつく。恐らくは、その冗談みたいな予想は正解なのだろう。
彼にとっては、それが全てなのだ。そういう風に、書き記されたのだから。
さて、と私は足を止めた。上から目線のこの卵を信頼するのなら、これ以上の探索は無意味ということになる。塀の穴を探すという手もあるにはあるが、そんな回りくどいことをする必要はないだろう。
「ふむ、さてさて、どうするつもりだい? ウサギらしく跳ね回るのかな?」
「邪魔をする気がないならそこをどいてくれ、蹴り落とすぞ」
私の言葉に、卵は素直に脇に避けた。賢明な判断と言える。塀を飛び越えるべく、私は両足に力を込める。
と、卵が不意に「ちょっと待った」と腕を広げた。
「………何のつもり?」
「まぁまぁ待った。お前さん、飛び越えるのは危ないよ。あんたがどれだけ俊敏でも、ヘッジホッグで撃ち落とされる」
「ヘッジホッグ? おいおいマジかよ?」
「知ってるの? バグ」
生憎私は聞いたことがない。何だろう、撃ち落とすと言うからには矢のように飛ぶ魔法道具か。心当たりがバグにあるのなら、是非聞いてみたい。
しかし、直ぐにその必要は無くなった。
ドン、という音が、上から聞こえた。見上げると、卵が何やら前傾姿勢をとっている。
「………え?」
呆気に取られたような、間の抜けた声がハンプティダンプティの口から漏れる。ゆらゆらと前後に揺れながら、彼はゆっくりと振り返り、
「へ、ヘッジホッグ?!なんで、」
言い掛けたその額に、飛んできた何かがぶち当たった。ただでさえ頼りなく揺れていた彼にとっては、その衝撃は重すぎたようだ。
危ない、と言う暇さえなかった。崩れかけていたバランスはあっという間に崩壊し、ハンプティダンプティはその身を重力に晒す。
驚きと恐怖、そして何より疑問の色が満ちた瞳が、私のそれと出会う。その口が何かを言おうと開き、細い腕が助けを求めるように伸ばされて、
次の瞬間にはもう、彼は転がり落ちていた。
グシャ、という柔らかい音を私の耳が捉えた。赤と黄色とが入り雑じった粘着性の液体が、白い破片の中にぶちまけられる。
粉々に砕けたハンプティダンプティの、奇妙に細くて長い腕が、私に向けて伸ばされたままでピクピクと震えていた。
助けを求めるように。
「………ウッ………」
現実離れした光景。だが、それは間違いなく一つの命の終焉だった。気が狂いそうなほど不気味でグロテスクな眺めに、私は吐き気を覚えてよろめいた。
それを、バグが鋭い声で制した。
「おい、今はそれどころじゃあないぜ、相棒!!」
「ッ!?」
風切り音に、身を翻す。
一瞬前に私がいた地面に、重い音を立てて何かが突き刺さっていた。
ボール状の茶色いそれは、全体を鋭いトゲで覆われていた。余程の勢いで撃ち込まれたらしいそれは、半ばまで地面にめり込んでいる。
と、私の目の前でそれはぶるぶると震え出した。驚いている間にそれは体を伸ばし、小さな足を生やすと四本の足で地面に立った。
そのままチョコチョコと走り、それは塀に近付くと、器用にそれを登って塀の向こうへと消えていった。
「何かな、あれ。あれがヘッジホッグか? 」
「さあ? ただ、一つわかってることはあるぜ、相棒」
バグの言葉に答えず、私は身構える。ラビとしての聴覚は、塀の向こうからある音を聞き取っていた。即ち、大勢の何者かの歩く音を。
無視されたバグは、しかし機嫌良く笑った。
「それは、このままここにいちゃあ、マズイってことだ」
カツン、という何かを叩く音がした。それに続くように、カツカツカツカツカツカツと同じ音が続く。
バグが笑い、見上げた私の視界を埋め尽くすほど大量の
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