少年の秋
けたたましく玄関の扉を開けて入ってきた人がいる。
制服姿のあゆみさんだった。同じ学校に通っているのに、会う機会というのは中々無いもので、あの夏の日から、一度も会ってはいなかった。
「あゆみさん。お久しぶりです」
久しぶりに会えて嬉しいという思いもあったが、それを悟られるのは癪なので、努めて無表情を装う。
ここまで駆けてきたのか、ゼェハァと肩で息をする彼女はチラシを握り締めていた。姉が作ったそのチラシを貼ったのは昨日のことだったので、まさかこんなに早くに尋ねてくる人がいるとは思わなかった。
「これは何なの? どういうこと?」
チラシを広げ僕に突きつけるあゆみさん。と、同時に僕の服装に気がつき目をぱちくりさせた。
「西玉の制服? 仁君うちの高校だったの?」
僕も制服を着ていたのだ。僕もちょうど今帰ってきたところで、着替えをまだしていなかった。
「ばれちゃいましたね」
首をすくめる。隠していたわけではないけれど仕事の関係上、あまり知られたくないことだった。
「もしかして、はじめからあたしの事、前から知っていたの?」
一気に不信感をあらわすあゆみさん。分かりやすい人だなぁ、と変わってない彼女の姿に少し安心する。
「いえ、全然。エントリーシートを書いてもらった時は驚きましたよ。同じ高校の先輩だったなんて。でも、あまりこの仕事のことは他の友人にも知られたくないので出来るだけ僕のことは隠そうとはしていましたが」
「そっか。秘密だったね。幸運堂のことは」
秘密だったね、じゃないよ。言われたらやばいんだよ。本当に
「誰かに喋ったりしてませんよね?」
恐る恐る聞く。「言っちゃったっ! てへ」くらい言いそうな気がする。
「大丈夫。あたしこう見えて口は堅いから」
腕組みのポーズを取るあゆみさん。
本当かな、あんまり信用できないからなぁあゆみさんは。言ったら記憶消去だってことちゃんと理解してるのかな。不安になる。
「で、このチラシはなんなの?」
あゆみさんはチラシをデスクに置く。
「あの、その前に前回のアルバイト代をお支払いしてもよいですか?」
あゆみさんの疑問を遮るように言葉を挟む。チラシの件についても話はあるが、それよりも前回のバイト代を支払ってなかったから、それをどうにかしたいのであった。
「もう、そんなのどうでもいいわよ」
そっぽを向いて吐き捨てるあゆみさん。どうでもいいって言われても困るんだよなこっちとしても。一応ちゃんとした届け出をしてる仕事なのだから。
「どうでもいいことはないですよ。リプティノス王からもちゃんと渡して欲しいと伝えられていますし、きちんと受け取ってくれないと困るんですよ」
「え、リプティノス王!?」
勢いよく振り返るあゆみさん。
「リプティノス王からってことは、じゃあ王国は滅びずに済んだってこと? ミッチェは、ポンチャックは無事なの?」
「まあまあ落ち着いてくださいよ。一つ一つ答えますから」
詰め寄り急かすあゆみさんをなだめる。
「結論から言いますと、プティーマイラス王国は滅んでいません。バララック王国の侵攻は食い止めました。ポンチャックもミッチェもみんな無事です」
よかったぁ、とようやく笑顔になるあゆみさん。さっきまでの張り詰めた緊張感みたいなものがすっと消えた。
「そもそも、戦争と言ってもあの犬人族ですから。両軍ともに死者が出るほど激しい戦いは起こってないそうです」
そうなのだ。プティーマイラス王国とバララック帝国の戦いは全く戦火の拡大も無く、あっさりと終結した。
バララック帝国が攻めてきたといっても、武器などを発明する科学もないので、泥団子を投擲する程度の、子供の喧嘩レベルの戦いだったのだ。
バララックの兵士も異世界のトカゲ人間にそそのかされて火を放ったワケだが、それも大したことの無いボヤ程度のものだったようだ。
戦いは乱暴者、魔犬ポンチャックの活躍によってプティーマイラス王国の勝利に終わった。
三時間あまりの大変短い戦いで、双方に重軽傷者は出したものの死者は無しであった。
「そうだったんだ。なーんだ心配して損しちゃったよ」
話を聞き終えたあゆみさんは力が抜けたようで、勧めてもいないのにどしりと椅子に腰掛けた。おい、一応女の子なんだからミニスカートで無防備に足を開くな。目のやり場に困る。
「仁君、麦茶ちょーだい」
なんだよ、急に甘えた声を出して。困った人だよ、と苦笑しながら冷蔵庫に向かう。
半分ほどに減った魔道肉の脇から麦茶の容器を取り出す。背中越しにあゆみさんに聞かれた。
「でも、犬皇界に来てたトカゲ人間はなんだったの? ポンチャックが言うように異世界の侵攻とかじゃなかったの?」
「それについては、僕にもわかりません。一応、報告は上げているので、異世界連合が動いてはいるようですが」
「それを解決しないと、また危機が迫っちゃったりするんじゃない。大丈夫なの?」
あゆみさんの言うことももっともだ。でも、そういった問題は一介の紹介業者の末端である僕にはどうしようもない。そういったこ異なる世界間でのいざこざは異世界連合が取り仕切っている。
だから結局、僕たちにできることはない。
「——それは我輩達に任せてもらえればよい」
突如、地響きのような低い声が玄関からした。
魔境からの使者、悪魔のザルフェルだ。魔変帽、だったかを被っているので人間の男性姿である。
その隣には天狗の天宮司さんと天使のミカさんもいる。
そして、遅れて我が幸運堂代表である僕の姉も入ってきた。
突然現れた見た目だけでも一癖も二癖もある連中に、あゆみさんは驚いて目を丸くしている。
「勢揃いでどうしたんですか?」
この人たちが同時に現れるなんて珍しい。というか初めてかもしれない。
「ぐわははは。なーんかお前たちが良い雰囲気だったから入るには入れなくてな」
ザルフェルが楽しげに笑う。
これだけの人数が一遍に来られると困る。この狭い事務所では全員分の椅子もない。自然と立ち話になる。
「ようやく、突き止めたのよ」
ミカさんが嬉しそうに言う。
「何をですか?」
「犬皇界へ違反密輸していた例の組織の件やで」
もじゃもじゃ頭の天宮司さんが「いぇい」とブイサインをだす。
「本当ですか?」
思わず声が上ずる。
「ガーバン族が一枚噛んでたのよ」
姉がいつもの指定席にぐでんと腰を下ろしふんぞり返った。
「ガーバン族って、彼女募集の依頼で姉さんが行ってた魔境の種族だっけ」
「そ。そこのパーティでビーフジャーキーに似た植物が出てきてね。これってあゆみちゃんが食べて大変なことになったハパティってやつじゃないかしら、と思ってさ。試しに食べてみたんだけど、いやぁ大変だったわ。で、持って帰ってきて天さんに調べてもらったのよ」
「完全にハパティやったで。三代目も偉いテンションで危なかったわ」
天宮司さんがケラケラと笑う。
「私はハパティを食べてもバッドには入らなかったよ。なんか楽しくて仕方なかったけど、多分、あれ素人が食べたら危ないわよ」
ケロッとして姉が言う。あゆみさんがあれだけ死ぬ思いをしたってのに、この人は悪運が強いというかなんというか。
「でも、これもある意味あゆみちゃんのおかげよ。ありがとね」
手を厚く握られ、あゆみさんも状況はわからないながらに曖昧に微笑んでいる。
「じゃあ、バララック帝国の船に一緒に乗ってたトカゲ人間ってのはガーバン族のことだったんですか?」
今度はミカさんが頷く。
「そうなのよー。でも、確証が無かったからね。調べるのに色々苦労しちゃったわー。これから魔境にも行く事になっちゃったし、大変よ」
こんな所で姉の仕事と僕が仕事に繋がりがあったなんて。
「もっと早く言ってくれれば良かったのに」
僕が愚痴をこぼすが、姉は大袈裟に驚いてみせた。
「あらー、あんたいつも面倒なことは知りたがらないじゃない。だから言わなかったんだけど」
確かに、普段から余計なことには首を突っ込まないようにしていたけど。
「よくわからないんですけど、それで犬皇界は平和になるんですか?」
あゆみさんが恐る恐る尋ねる。
「うむ。我々に任せておけ。密輸組織を潰すことなど朝飯前じゃ」
「我々? 我々って一体どゆこと?」
にやりと笑った彼らが、それぞれ、お揃いのバッジを取り出す。
コイン大の金のバッジ。
「そ、それ異世界連合のバッジじゃん!」
緩やかな曲線で描かれた幾何学模様が施された意匠の丸いバッジ。異世界間のいざこざを未然に防いだり、解決するために秘密裏に行動する異世界連合の中でも特殊な組織に属する者にしか与えられないものだ。
なぜ彼らが持っているのか。
悪魔のザルフェル、天使のミカ、そして天狗の天宮寺、それにただの人間の姉までもそのバッジを持っていた。
「ね、姉さんも?」
「幸運堂の代表は先々代よりこの組織に所属しておったぞ。秘蔵っ子は知らなかったようだがな」
「そ、そうなんですか」
「そうよ。これで私もようやくこの組織に入れたというわけ。と、いうことで、これからは私は幸運堂よりもこっちの仕事をメインに活動していくから、店はあんたに任すわ。一人になるけど、しっかりやりなさいよ」
ブロンズの髪をかきあげてウインクする姉。多分そうやって男をだまくらかしてきたんだろう彼女の決めポーズだが、弟の僕には効かない。
てか、そんな、急に言われても困る。来年には受験も控えているし、大学生になったら、お洒落なカフェでバイトをして可愛い彼女を作って、今出来ない青春を謳歌しようと思ってるのに。
「馬鹿なこと考えてんじゃないわよ」
一蹴された。
「一人じゃ流石に厳しいって」
「父さんは一人でやっていたじゃない」
「いや、敏腕だった父さんと僕とを一緒にしないでよ」
「大丈夫よ。あなたの才能はロンメル爺さんだって太鼓判押してんだから」
「あのジジイの言うことなんか信用ならないって。あゆみさんがS級とかいうんだよ」
「あら、実際すごく助かったじゃない。文句なしのS級の登録者よ」
「そんなこと言ってまた僕に面倒ごとを押し付けようってんだろ! もう嫌だ! いい加減僕だって怒るよ! 普通にして! 普通に暮らさせて!」
「何が普通よ! 私たちにとって異世界とこの世界を繋ぐのが使命であり、普通のことなの。あんたがこの仕事捨てたいってこと自体が普通じゃないのよ」
「よくわかんないよ!」
「わかりなさいよ!」
不毛な言い合いをする僕らの間に入り、「あのぉ……」とそろりと手を挙げたのはあゆみさんだった。
みなの視線が集中する。
「あ、あたし、幸運堂のお仕事、手伝ってもいいですけど」
あゆみさんが? こんな面倒な事に自ら率先して手を挙げるなんて、なんて物好きなんだ。
「あゆみちゃん!」と姉があゆみさんに駆け寄り手を取る。
「そう言ってくれると助かるわ」
「あゆみさん、受験とかあるんじゃないですか。それなのに、いいんですか?」
「うん。指定校推薦だもん。先生にもこのままの成績なら問題ないって言われてるしね」
「偉い! あゆみちゃんみたいな人がいれば、私も安心だわ」
姉は本当に調子が良い人なんだから。
「はい! やりたいことは、やってみるってのがあたしの良い所だってよく言われるんで、頑張ります」
自分でよく言うよ。姉と同様お調子者だ。
「なんやようわからんけど、話はまとまったみたいやな」
朗らかな笑顔の天宮寺さん。何だか僕を置いてけぼりにして今後のことが決まってしまった。
「旅立つ前に心配事が一つ消えて良かったわね」
天使のミカさんも嬉しそう。でも、旅立つ、とか言わなかったか?
「旅立つってどこかに行くの?」
「魔境よ。ガーバン族の麻薬カルテルに殴りこみよん。抵抗されたら皆殺しね」
ミカさんがにこりと微笑みながら、拳を握ってみせる。この美女、さらっと物騒なことを言う。
「業務のことは任せたわよー。よろしく」
「どのくらいのかかるの?」
「密輸組織の場所まで特定できておらんからな。捜査次第にはなるが簡単に終わりことはなさそうだ。だが状況は常に変わる。ちょくちょく帰ってこれるなら帰ってこれるようにはするが、帰って来れないなら全然帰ってこれんだろうな」
熱海旅行にでも行くかのような気楽さでいうザルフェル。
「と、いうわけね。でもあゆみちゃんもいてくれるなら私も安心して魔境に行けるわ」
まじかよ。本当に当分は帰ってこないつもりなのかな。本当にあゆみさんと二人で幸運堂を回していかなきゃいけないのかな。
「ほな、そろそろ行こうや」
飄々と天宮司さんがそう言ったが「あ、そうや」と何かを思い出したようにポンと手を打った
「あゆみも幸運堂の一員になるんなら、我々のホンマの姿も見せとかな、あかんなぁ」
悪巧みを思い浮かんだガキンチョみたいに、目配せするザルフェルとミカ。
あゆみさんはきょとんとしている。
「ふむ、それもそうだな」
「そーね」
ザルフェルが帽子を取る。ミカさんが十字を切る。天宮司さんはにやりと笑う。
次の瞬間。同時に三人が本来の姿に変身した。
ザルフェルは恐怖のワニ人間。ミカさんは姿こそあまり変わらないが、頭上に光輪、背中に純白の羽、まさに天使。
天宮司さんは妖怪絵巻まんまの鼻が長い天狗の姿。
「これからもよろしくな!」
「よろしゅう!」
「よろぴくー!」
三人そろって声を上げるが、あゆみさんの耳には届かなかったようだ。
あゆみさんは固まっている。
「あ、あゆみさん?」
僕がつつくとそのまま目を回して気絶してしまった。
「嘘!? 大丈夫? あゆみちゃん!」
姉が慌てて駆け寄る。
「うーん、刺激が強すぎたかしら」
首を傾げる姉。
「あっはっは。ザルフェルの姿は強烈だしねー」
ミカに笑われるザルフェル。
「がははは。悪魔冥利に尽きるわい」
ザルフェルは怖がられるのは嬉しいようだ。さすが悪魔。
それにしても、みんな人が悪い。絶対に驚かそうとして変身したくせに。全く、この人たちに付き合うのは疲れるよ。
「あゆみさんの面倒は看とくから、皆さんはもうさっさと旅立ちください」
しっしと手を払う。
「もー、ノリわるーい」
軽すぎるノリのミカさんに言われたくない。
「では、いくか。秘蔵っ子よ、また会おう!」
ザルフェルの言葉と共に光が四人を包みこむ。
一瞬のうちに影も形も消えてしまった。嵐のような連中だ。
やれやれ、とため息をついた。
少し広くなった幸運堂には気絶したまんまのあゆみさんと僕だけが残された。
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