少年の仕事
「あゆみちゃんには悪いことをしたわね」
ミカさんはぐっすり眠るあゆみさんのおでこを撫でている。
「仕方ないですよ。決まりなんですから」
デスクで報告書を作りながら返す。
僕達は戦の準備に慌しくなったプティーマイラス王国から帰ってきていた。
ミカさんの手によって意識を失ったあゆみさんを背負って界道のある、あの秘密部屋まで戻ったんだから、そりゃ疲れた。
いろいろあったが、今回の依頼は成功である。ポンチャックと王国は一応は和解したのだから。とはいえ、二人の間に共通の敵が現れたからなし崩し的に協力体制になっただけで、今後どうなっていくのかはわからないし、戦がどうなったのかも僕らは知らない。。
「こんな形で仕事が終わりなんて、後味が悪くてごめんなさい」
「いいですよ。犬皇界にはあまり長くいたくはなかったですからね」
苦笑しながら答える。半分本当で、半分は嘘だ。
犬は苦手だ。犬の臭いがする世界は好きではない。だから、あまり長居したくなかったのは事実である。だけど……。
椅子を並べただけの簡易ベットの上で眠るあゆみさんの顔を覗く。
すやすやと眠っている。
起きたら、怒られるだろうか。嫌われてしまうだろうか。
規則なんだがら仕方ないわね、なんてことは言ってくれないだろうな。
「あゆみさんはどのくらいで目覚めますかね」
「もうすぐ、よ。多分」
「ミカさん。もう帰っていいですよ、あゆみさんは僕がどうにかしますから」
「起きるまで待ってるわよ」
そう言ってくれるが、彼女のバックの中で先程から何度も携帯電話がなっていることに僕は気づいていた。
「次の仕事の連絡がきているんでしょう。僕達のことは気にしなくていいですよ」
「うーん。でも……」
「大丈夫ですよ。尻拭いだけは姉のおかげで慣れてますから」
昔から怒られたり、どやされたり、そういったことには慣れていた。
「ごめんなさいね。今度来るとき、何かお土産持ってくるから」
本当に申し訳なさそうに声のトーンを落としてミカさんが頭を下げる。
「保存の利く食べ物でお願いします」
僕にしては気の利いた軽口が叩けたんじゃないかな。ミカさんの表情がほんの少しだけ明るくなる。
「ふふ、分かったわ。じゃあ、行くわね。また連絡するね」
僕が気をつかってふざけたことはもちろん見抜いているだろうな、ミカさんは。
「報告は今日中にあげておきますね」
僕に手を振り、幸運堂から去るミカさんを見送って、僕は再びデスクに戻る。
あゆみさんはまだ起きる気配が無い。彼女が起きるまでに諸々の事務処理をしておこう。
どんな後味の悪い結末であっても、仕事は仕事だから、依頼主への請求書も作らなければならない。
しかも、なんだかんだ、たった三日で依頼をこなしたのだから、いやらしい話ではあるが、報酬は弾むはずだ。
ただ、プティーマイラス王国がバララック帝国に占領されてしまったら、報酬を払ってくれる相手がいなくなってしまう。
彼らは侵略者を撃退出来たのだろうか。あの小さい体で戦うことはできるのだろうか。ミッチェは、ポンチャックは無事にいるだろうか。
わからない。何もわからない。歯がゆい気持ちは胸に不快感を生み出すだけだった。
ミカさんが帰ってから一時間ほどが経った夕暮れ時のことだった。
むにゃむにゃと言葉にならない声を上げてようやくあゆみさんの目が覚めた。
「……あれ、ここは?」
目覚めはばっちり。周囲を警戒する子ウサギみたいにキョロキョロと辺りを見渡す。
「気付きましたか? 体調は大丈夫ですか?」
強制的に意識をシャットダウンさせられたのだから、多少の不調が現れてもおかしくは無いのだが、どうやら体に不調は無い様子だった。
アイスティーをあゆみさんの前に置く。
「ここは幸運堂……? あっ!」
目を見開くあゆみさん。直ぐに状況を思い出したようだった。
ダンっと飛び出すように僕に詰め寄ってくる。
「どういうこと!? なんでココにいるの!? 犬皇界はどうなったの!? 」
僕に答える暇も与えず詰め寄ってくる。
「ちょちょちょっと、答えますから、一旦落ち着いてくださいよ」
後ずさるのだけど、あゆみさんは凄い形相でにじり寄ってくる。
「落ち着けって? 落ち着けですって? 落ち着いていられるか!」
わわわ、と詰め寄られて僕はしりもちをつく。それでもあゆみさんは容赦なく、仰向けの僕にのしかかり、胸倉を掴んでくる。
「答えて! ミッチェは? ポンチャックは? 犬皇界はどうなったの!?」
興奮したあゆみさんに、ぐらんぐらんと、揺らされて答えようにも答えられない。
「く、苦しいです……」
僕の顔が青くなっているのに気付いて、ようやくあゆみさんは僕を掴む手を解いた。急に手を離されたので、僕は後頭部を床に打ち付けた。
首を絞められた上に後頭部強打だ。悶絶するに決まってる。
踏んだり蹴ったりとは正にこのことだ。そんな僕を無視して、あゆみさんは顔を両手で覆って泣き始めた。
「なんで、なんで」
ペタンと座り込み、しくしくと、涙を流す彼女。頭痛を抱えながらも、起き上がり名を呼ぶ。
「あゆみさん、今回のことは、本当にすみませんでした」
許してもらえるか、わからないけれど頭を下げる。あゆみさんは僕の言葉が耳に入っていないのか、何も答えずに、泣き続けていた。
それから、更に一時間ほど、あゆみさんは泣いていた。
悔しい、悲しい、そんな気持ちは分からなくも無い。せっかく仲良くなれた異世界の住人とあんな別れとも呼べないような強制的な別れをさせられたら、そりゃ腹も立つだろう。
しかし、何を言っても無視して黙ってるんだもの。こっちの気にもなって欲しいよ。
日はすっかりと落ちていたし、こういう日に限って姉はいない。今頃、魔境で楽しいパーティ中だろう。
涙はようやく収まったけど、あゆみさんは口を開かず、ただ黙って座っていた。
こんな重い空気を作ってないで、帰ればいいのに。……とも流石に言えないので、僕も黙って淡々と自分の作業をしていた。
なんとなく会話のきっかけがつかめず、時間が経ってしまった。
ずっとこのままでいるわけにもいかないし、僕にはやはりきちんと確認しなければならない事がある。
「あの、あゆみさん」
あゆみさんは黙ってこちらを向いた。睨んでいるわけでは無いが、不機嫌そうな瞳だ。
「あのですね。バイト代のお支払いについてなのですが……」
あゆみさんの眉間に皺がよる。
「えっとですね。今回は一応早期解決ということでボーナスはつくはずなのですが、その……、ご覧になった通りプティーマイラス王国は戦争状態に入ってしまったようで、その結果次第では、入金が遅れることがありますので、それをご了承いただければ、と思うのですが……」
及び腰で説明する。金額の部分はどんな状況でもきちんと説明しておかないと、後々いざこざに発展する可能性もあるから、大切なのだ。金は天下の回りものっていうもんな。うん。
あゆみさんは、大きく息を吐いた。
落ち着いてくれたかな?
と思った瞬間。
パン、という破裂音が頬で鳴る。一瞬、何が起こったか理解できなかった。ひりひりする頬の感触で、平手打ちにされたことに気付いた。
「……最低」
再び涙を溜めたあゆみさんが吐き捨てるように言う。
「お金とか、そんなのどうでもいいよ! なんでそんなデリカシーの無いことばっか言うの?」
ぽかんとした顔であゆみさんを見つめる。
「仁君は仕事としてしか異世界の事を考えてないの? お金が入ればその世界がどうなろうと関係ないの? 仕事が嫌いとか、普通に生きたいとか、別に構わないけれど、そんな気持ちで異世界と関わるのはやめたほうがいい!」
涙交じりの怒声。なんだよ、なんで僕が悪者みたいに言われなくちゃならないんだよ。カチンときた。
「し、仕方ないじゃないですか。色々と決まりがあるんですよ。それを無視して行動したら、それこそ無責任ってものです。守るべきルールは守り、その上での関係性を築くのが大切なんです。あゆみさんみたいに、深く考えもなしに感情で動かれると、迷惑です!」
思わず反論する。した後で、言わなければ良かったと、後悔したが時既に遅し。
あゆみさんは赤い瞳で僕を睨む。
「もういい!」
あゆみさんが立ち上がった。
「ど、どうする気ですか」
「帰るわよ。だってそうでしょ。もう犬皇界にはいけないんでしょ」
「そうですよ。僕達にできることは何もないんですよ。彼らの未来は彼らにしか切り開けないんですから」
「わかったわ」
あゆみさんはくるりと背中を見せると、そのまま玄関の方へ歩いていった。
僕は黙って彼女の去っていく後姿を見つめる。
玄関の扉を開けた時に、あゆみさんは振り返った。
「短い間だったけど、お世話になりました。さよなら」
彼女の表情は外の暗がりのせいで見えなかった。
大きくお辞儀をして、ぴしゃりと扉を閉めて、あゆみさんは出て行った。
一人になった僕は、やりきれない気持ちのまま、あゆみさんのために入れた、あゆみさんが飲まなかったアイスティーを流しに捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます