少女の精神、帰還する

 幸せのすべてを経験した。そして不幸のすべてを経験した。

 幸せすぎて死んでもいいと思った。不幸すぎて死ぬと思った。てか、死んだ。死ぬとか生きるとかって概念はもう無かった。闇夜と明け方と夕方と、空と大地が一つの固まりになってあたしの目から脳へと流れ込んできて、そのままあたしの体を溶かしていった。

 どこからがあたしの体で、どこからが世界なの?

 自分と世界の境界線はどこなの? 

 わからない。

 怖い。


 何が怖いか分からないくらいすべてが怖い。すべてが理解できた。だから怖い。世界も宇宙もあたしも、全部の意味がわかってしまった。だから、怖い。死んだ後のことも、爪の生えてくる感覚も、骨の寿命も、分かってしまったから怖い。

 もうあたしは活きていない。生きていない。でも死んでいない。

 あれ、生きている?

 あたしは生きているんだっけ?

 わからない。ちがう。分かる。わからないのもわかるのも、どっちも同じなんだ。


 そうだ!

 同じことなんだ!


 気がつくと男の子と夜道を歩いていた。

 あれ、何があったんだっけ。

 記憶が混濁していてなんだかわからない。誰だっけ。彼氏だっけ?

 この子と付き合っているんだっけ?

 いやいやそんなことは無いか。彼氏いないわ。がっくし。

 あ、そうだ、仁君だよ。この男の子仁君だ。全然、タイプじゃないし。幸運堂の仁君だ。

 危ない危ない。変な勘違いをしてしまったよ。

 でも、なんで二人で歩いているんだっけ。

 見慣れた道を歩いていると思ったら、自分の家の前に来ていた。


「あ!」


 あたしは自分の家を見た瞬間、すべてが元通りになった。

 ようやく、ハパティの幻覚から戻ってこれたのだった。


「どうしました?」


 突然立ち止まったあたしを見る仁君。


「帰れたんだぁ」


 今更、精神状態が戻ったことで恐怖心が沸き立ってきた。

 本当に精神が壊れるところだった。

 良かった。もう元に戻れないのかと思った。安心した瞬間、涙がボロボロ出てきた。


「え? ちょっと、あゆみさん。どうしたんですか、大丈夫ですか?」


 突然の涙に仁君は動揺したのか、慌ててあたしの肩をつかんできた。


「ごめん、本当にごめん」


 元に戻れたことに安堵して、自分が自分でいることを再確認して、そしてあの状態の恐怖が蘇ってあたしはへなへなと座り込んでしまった。


「もう大丈夫ですから、あゆみさんの家ですよ。安心してください。帰ってきたんですから」


 仁君があたしを安心させるように優しく声を掛けてくれて背中をさすってくれる。


「よかった。戻ってこれてよかった。怖かったよぉ」


 あたしは仁君にすがり付いて子供みたいに泣きじゃくってしまった。

 道の真ん中だったけど、お構い無しに泣いた。通行人が不審げ視線を投げかけてきたけど、そんなのに構っていられないほど、泣いた。


「もしかして、今までずっと意識無かったんですか?」


「わかんない。なんだか全部が本当の世界なのか夢の世界なのかわかんなかった。でも、家を見た瞬間に、スッと戻ってこれた」


 嗚咽しながら、答える。


「結構普通に受け答えしていたので、戻っているのかと思っていました」


「ううん、今だよ。今、戻ってこれたの」


 涙が止まらない。鼻水も出てきて顔がぐしゃぐしゃになってしまっている。仁君には申し訳ないとは思いつつ、彼の胸で泣いた。

 夜道で女の子がボロ泣きしてたら、帰るに帰れないだろうし、なんか体裁も悪いもんね。案の定、オロオロしながら私の肩を抱いてくれている。でも、それも触れるか触れないかくらいの微妙なソフトタッチで。仁君は多分優しい人なんだな。

 なんて思う冷静な部分もあるのだけど、全身はブルブルと震えて仕方がない。


「ど、どうしよう。落ち着くまで、どこかで休みますか?」


 めちゃくちゃ気を使わせちゃってる。申し訳ない。


「うん、すぐそこに児童公園がある。ごめんね」


「い、いえ。こんな状態じゃ家に入れないですもんね。気落ちが落ち着くまでそこにいましょう」


 あたしは仁君に支えられて近所の広場に向かった。なんかずっと頼りないと思ってた仁君が少し大きく見えた。

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