少年と夜の公園

 東京の残暑は九月まで続くのだろうが、夜になると多少は涼しくなっている。あゆみさんのゆったりとした歩幅に合わせて公園へと向かった。

 夏休みも終わりに近づき、忍び寄る秋の足音を路上に現れ始めた蝉の亡骸で思い知る。


「事務所で普通に会話ができていたので、もう復活しているのかと思ってました」


「全然。まるで覚えて無いよぉ。怖かった」


 あゆみさんは子供の様に両手で顔を覆って泣いている。

 公園についてベンチに腰を下ろした。珍しくポケットにハンカチが入っていたので水道で濡らし、あゆみさんに渡した。


「ありがと」


 そう言ってあゆみさんは僕のハンカチで鼻をかんだ。

 げっ、と思ったが、大目に見ることにした。これでも僕も紳士だ。


「僕も昔、異世界のモノを口にして、あゆみさんみたいになったことがあります。死んだ、と思いました」


「うん。なんか死ぬとかなんとかってよりも、終わったって思った。もう元に戻れないんじゃないかって恐怖で押しつぶされそうになった」


「良かったです、戻ってこれて」


「うん」頷いてあゆみさんは黙った。まだ涙が止まらないので、僕もただ黙って彼女の隣に座っていた。

 蚊が近寄ってくる。三匹ほど殺したところであゆみさんが自分の鞄を指差した。


「虫除けあるから、使って」


 虫除けスプレーを吹きかけて、再び彼女が泣き止むのを待った。


「仁君はさぁ、どうして嫌々そうに仕事してるの?」


 あゆみさんが藪から棒に尋ねてきた。


「突然なんなんですか」



 苦笑しながら彼女の横顔を窺う。俯いている彼女の横顔は髪に隠れて見えない。


「仕事好きじゃないの?」


 直球にそう聞かれると、困ってしまう。

 普段なら、都合の悪いことは上手くお茶を濁す僕なのだけど、夜の闇というのは人の心を曝け出すみたいだ。


 
「そうですね。確かに僕はあんまりこの仕事が好きではないですね」


 自分でも驚くほど簡単に本音が出た。

 隣の相手の顔も見えないこの夜の時間帯だからこそ、素直に言葉は出てしまうのだろうか。

 いや、きっと今日の大変な状態のあゆみさんに付き添っていたから、気持ちが同調してしまっているのかもしれない。


「なんで嫌いなの? きっとこの世界で生きている人なんかより、凄い体験をしてるんだよ? なんか特別って感じじゃん。あたしみたいな一般人からしたら凄いことだよ」



 ちょっとした羨望の眼差しで見られているようで、なんだかむず痒かった。



「どうですかね。でも、周りを見渡せば、そんな人間沢山いますよ」


「いないでしょ。そんな人間」


「いや、でも高校生で起業してるような人だって普通の人よりちょっと変わった経験をしてるだろうし、高校野球で甲子園なんかに行ってる人も、人よりちょっと変わった経験をしてるじゃないですか」


「そりゃそうかもしれないけどさ」


 辺りを見渡して、人がいないことを確認したあゆみさんは小声で言った。


「……異世界なんて所と関わりがある人はあんまりいないと思うよ」


 泣きはらした顔で微笑したあゆみさん。至近距離で泣き笑顔を見せ付けられ、ドキッとしたのは内緒だ。


「でもですね。例えばあゆみさんが所属している美術部って団体だって、部外者の僕にしてみればまったく関わり合いの無い世界じゃないですか。言ってみれば異世界ですよ。だから、そういう意味ではあまり変わらないと思いますけどね」


「うーん。なんか屁理屈っぽくない? それ」


 涙は止まったようだ。二日間一緒にいたけど、初めて本音で話し合えているような気がする。


「そもそも、特別だからとか人と違う仕事だからって、それでその仕事が好きになるのかと問われれば、そういうことでもないと思いますしね」


 僕が苦笑いで言うと、あゆみさんは何か反論をしようとしたが、中々思うように言葉が出てこなかったようで「うーん」と苦い声で唸っていた。


「それに、あゆみさんだって人とは違う経験をしてるはずですよ」



「なんで? あたしも?」


「そりゃそうですよ。誰にでも当てはまりますけど、あゆみさんという個体は世界に一人しかいないですもん。あゆみさんにしか体験できていないことも山ほどあるはずですよ。犬皇界に行ったのだってそうですし、ハパティ食べてぶっ飛んじゃった体験だって、そうとうレアなケースでしょ。美術部でとか他にも僕の知らないところで、普通の人はあまりしない体験をしてると思いますよ。気付かないだけで。だから、無理に人と違う事を望んだり、非日常を求めたりしなくてもいいんですよ。あなたはあなたにしかなれないんだから」


「なんで仁君に説教されなきゃいけないのよ」


 肘で小突かれる。なんだか小突かれた肩がじんとした。


「すみません。そんなつもりは無かったんですけど」



「謝らなくていいけどさ。でもさ、せっかく凄い仕事してるんだから、誇りをもっていいと思うんだけどなぁ」


「僕は普通でいいんですよ」



「普通?」



「そ、平凡な高校生。平凡な一般人。そんなんでいいんですよ。将来は普通のサラリーマンとかになりたいんです。こんな仕事じゃ、友達に仕事の悩みも相談できないですから」


 学校の友達はバイトの愚痴を言ってきたりする。それが実は羨ましかったりするのだ。

 僕の仕事は絶対秘密だから、なにか嫌なことがあっても人に言えない。それは結構な不満にも繋がっている。



「でもさっき自分で言ったじゃん。人は誰だって一人しかいないって。それぞれが違う人生を生きてんでしょ。なら普通とか平凡とかってそれこそ幻想じゃない?」



 さっきまで泣いていたくせに放つ言葉は的確だ。ゆえに重い。


「あんまりわかんないけど、警察官とか、裁判官とかだって守秘義務だかなんだかって制度があるから他人には仕事のことは話せないじゃん。なら、そんなの自分の気持ち次第じゃん」


「それは、そうかもしれないですけど……」


 今度は僕が言葉を返せずに唸ってしまった。



「みんなさ。ないものねだりなんだよね」


 あゆみさんは石っころを軽く蹴った。


「ポンチャックも仁君もあたしも、みんなないものねだり」



 あゆみさんが蹴った石が僕の足元に転がってきた。僕は無言で石を蹴り返す。しばらく二人、至近距離で石を蹴りあった。


 
「あたしはさ、仁君とは逆だね。平凡な日常が嫌なの。親は普通に生きるのが一番幸せなのよ、なんて言うんだけど、せっかく生まれてきたんだから人とは違うことがしたいじゃない」



 俯いたまま、あゆみさんが語りだした。



「何か、夢とか将来の目標とかあるんですか?」



「……ないよ」



 あゆみさんは石を蹴り損なった。僕の足元をすり抜け、石は転がっていった。


「やりたいことなんて見つからないよ。美術部だけど、他の子みたいに美大に行きたいなんて気持ちもないし、絵を描いてるのは好きだけど、それで将来食べていくんだ、なんて思えるほど上手くもないし、そんな情熱もない。大学は推薦で行く予定だけど、それだって自分の評定に合った大学に行くだけで、学部だって興味があるものじゃない。だからそこで真面目に勉強したいとも思わないし」



 自分の弱い部分なんて中々人に見せれるもんじゃない。夜のこの雰囲気が彼女の口を動かすのだろう。



「僕らの歳で今からしっかり将来の事を考えている人なんか、めったにいないでしょ。みんな自分の手が届く範囲のもので満足して生活してるんですよ。それが悪いわけでもないですし、焦ったりしなくていいんじゃないですか?」



「でも、あたしは夏休みに入って、ただ毎日が消費されていくのが嫌だったんだ。でも何にも真新しいことはなくて」



「で、うちのチラシに応募しようと思ったんですか?」



「そ」あゆみさんは照笑した。



「怪しすぎるチラシだったけどね。友達にもやめときなって言われたよ」


 まあ、そりゃそうだろう。自分で言うのもなんだが、僕だったら絶対に電話をかけたりなんかしない。



「僕、天宮司さんに言われたことがあるんです」


 あゆみさんが「誰だっけ?」という顔をしたので、今日の朝、事務所にいたもじゃもじゃ頭の関西人のことだと教える。



「ああ、あの人。それでなんだって?」



「やりたいことなんて、見つからないよって。見つかる前にやっちゃってるって」



「見つかる前にやっちゃってる?」



「やりたいなぁ、と思っても実際に行動に移さないなら、本当は心の何処かでやりたいと思ってないんだろうって言うんです。自分で気づいてなくても心に懸念材料があって、それが引っかかってやらないんだって」



「ふぅん」



「もし、やりたくてどうしようもなくなったら、放っておいても、例えやるなって言っても、やっちゃうものだって。だからやりたい事が見つからないなら、無理に何かをやる事はないんだって」



「なるほど。そうなのかぁ」



 素直に頷くあゆみさんが可笑しかった。



「いや、納得しないでくださいよ。あの人の言う事はめちゃくちゃなんですから」



「そうなの?」



「そうですよ。やりたくない事はやらなきゃええやん、とか真面目な顔で言いますからね。人間、嫌な事でもやらなきゃ生きていけないでしょう。でもそれを否定するんです。で、厄介なのは天宮司さんは自分はそうやって生きていて、貧乏なのに楽しそうに見えるところなんです」



「楽しんだ者勝ちって所は確かにあるわね、この世の中」



 あゆみさんの口調は大分落ち着いてきた。



「そういう人生もありなのかなぁ、って思わせる魅力があるんですね、あの人には。だから感化かれて道を踏み外す人も出るんですよ」



「天宮司さんって一体何やってる人なの? 呑み屋とかって言ってたよね」



「ここだけの話。彼は人間じゃありません。天狗なんです」



「はぁ?」



「鼻を折られた天狗が、翼も無くし、ああしてその日暮らしみたいな生活をしてるんですよ」


 あゆみさんはぽかんとした顔をした。僕の言葉を信じているだろうか。それとも何かの比喩表現だと思ったろうか。僕は真実を言っている。


 天宮司さんはその昔、彼は悪さばかりする天狗だったそうだ。バチでも当たったのか今は神通力も無くし鼻も翼も無くし、人間以下の身分に成り下がっている。

 
それでも皆彼を慕っていて、彼のバーはいつも満席だ。



「天狗なんているの?」


「異世界は実際に行ったから信じられるけれど、天狗は見た事ないから信じられないと、そういうことですか?」



「うーんそういわれると、そうだけど」



「でしょ。目に見えるだけが全てじゃない。目に映っているのに見えてないものだってある。世の中そんなもんですよ」



「それこそ、仁君が普通に生活するなんて無理じゃない? 一般人は知らないことを知ってしまってるんだから」



「まあそうなんですけどね。天宮司さんに言われた事ってのは逆のことも当てはまるんです。つまり僕が嫌がっていても幸運堂をやめないってことは、平凡になりたいと心から思ってないんだろうって。本当に嫌なら何があっても勝手に辞めてしまうだろうから、今辞めてないんのだったら、きっと続けている意味があるんだろうって。だから続くうちは続ければええんじゃない。いつでも辞められるんやからって」



「天宮司さんも面白い事をいう人だね」



「僕の周りには人間の一般常識とは違う考え方の人がうじゃうじゃいるせいで、僕も偏った考え方になっちゃってますけどね」



 苦笑する。悪魔に天使に犬人族、他にも妖怪などなど。幼い頃から関わってきたのだから影響を受けないわけが無いのだ。いい部分も悪い部分も。



「だから、本当は普通に生活するなんて、もう無理なんじゃないかな、とも思ってるんですよ」


 平凡に暮らしたい、と思っても、平凡なんてものは蜃気楼のようなもので、現実には存在しないものなのかもしれない。


 こんな本音を話したのはあゆみさんが初めてだった。

 

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