少年は介抱する
ハパティの実には人間界にはない成分が含まれている。そして、その成分を分解する酵素を人間は持っていない。だから人間が食べると大変危険だ。
前後不覚、酩酊泥酔、自他分別剥離、という状態に陥り、最悪の場合には死に至る。
異なる世界の肥料を使ったハパティを、犬人達が麻薬に感じるように、通常のハパティ自体が僕達人間にとっては麻薬のような物なのだ。
それを食べてしまったのだから、あゆみさんは大変だ。
ポンチャックから受け取ったハパティを口に入れたあゆみさんは、突然笑い出したと思ったら、目をぐるぐると回し、ふらふらと後方へ二歩三歩後ずさりした。
まずい、と思ったときにはあゆみさんは後方に倒れ始めていた。地面が草原で良かった。もしアスファルトの路面だったら、と思うと恐ろしくなるほど、豪快に後頭部を地に打ちつけたあゆみさんそのまま動かなくなった。
僕は慌てて駆け寄る。
「あゆみさん、大丈夫ですか!?」
抱きかかえ起こそうとするが、全身の力が抜け切っている彼女の体はずしりと重かった。呼んでも反応がない。
ポンチャックは驚きのあまり固まってしまっている。
僕も流石に焦った。
頬をぺちぺち叩くと、あゆみさんは強張らせた顔を鬱陶しそうに左右に振り、そしてうっすらと目を開けた。
「大丈夫ですか? 意識ははっきりしてますか?」
ゆっくりと僕の方を見たあゆみさんは、開ききった瞳孔のまま、にたりと笑った。目が据わっている。あ、こりゃまずい。
「えへ、えへへ。えへへへへ」
奇妙な笑い声を上げ、体を仰け反らせるあゆみさん。何が楽しいのかは理解できないが、かなりご機嫌な状態になってしまっている。
「だ、大丈夫か?」
ポンチャックが恐る恐る寄ってくる。まさか、こんな事態になるなんて夢にも思っていなかっただろう。
「すまない、俺が軽率だったって——どわぁ!!」
あゆみさんはガバッと両手を広げて、駆け寄ってきたポンチャックを抱きしめた。
「ワンちゃーん! 可愛いんだからぁ!」
「何をするっ!?」
驚き必死に抵抗するポンチャックだったが、あゆみさんはポンチャックを上機嫌に抱きしめたまま、頬ずりなんかを始めた。
「えへへ、喋るぬいぐるみさんだぁ」
ぐりぐり頬ずりされ嫌々するが逃れられないポンチャック。
「ひええ!! なんだってんだ一体」
真っ青な顔で喚くポンチャック。
「ど、どうしたんだいあゆみぃ」
ミッチェもその小さい体を震わせて怯えている。
「もし、ハパティに異世界の成分が含まれていたとしたら、君達もこうなるんだよ」
あわあわしているミッチェに教えてあげる。
「にしても、完全にラリっちゃってるなぁ、あゆみさん。ポンチャックには同情するけど、僕にはどうすることもできないよ」
「おーい! 助けてくれえ」
あの魔犬と呼ばれたポンチャックがいとも簡単にぬいぐるみ扱いをされている。
「あゆみは元に、もどるよね?」
恐る恐る問うミッチェに僕はお手上げのポーズを取った。
「少量の摂取だし、多分時間が経てば戻るとは思うけど」
「早くなんとかしてくれえ」
喚くポンチャックだが、僕にはどうすることも出来ない。むやみに近づいてポンチャックを引き離せば、あゆみさんが凶暴化するかもしれないし、まさかとは思うが僕に抱きついてきたりする可能性もあるわけで、遠巻きに見守りつつ放置だ。
らりぱっぱ状態のあゆみさんはそれから一時間もの間、縦横無尽に暴れまくった。
地面に潜ろうとしたり、空を掴もうとしたり。「世界の意味が分かった」と嬉しそうにピョンピョン跳ねたりゲラゲラ笑ったり、かなり楽しい気持ちだったのだろう。
羨ましくなるほどの傍若無人振りであったが、時間が経つにつれて次第にあゆみさんの顔色は青くなっていった。楽しいだけで終わらないのがハパティの成分なのだ。
バッドトリップとも言われるうつ状態にはまり込んだあゆみさん。過呼吸になりかけるほど激しい息遣いになったり、頭を抱えて転げまわったり、吐き気を催したり、「空気があたしを縛り付ける! ここから出して!」と体を縮こまらせてもがき苦しんだりして、それは完全に麻薬中毒者のそれであった。
さんざん抱きしめられていたポンチャックもポイッと投げ捨てられ、今ではすっかり怯えた表情で僕の後ろに隠れ、ブルブルと震えている。
流石に精神がおかしくなってしまうのではないか、と焦った僕は恐る恐るあゆみさんに近づいた。
「大丈夫ですか、あゆみさん。落ち着いてください。絶対大丈夫ですから」
呼吸困難に陥っているあゆみさんの背中をさすり、優しい言葉を投げかけ、落ち着くのをひたすら待った。
おろおろするばかりのポンチャックとミッチェに指示する。
「水を飲ませて落ち着かせたいから、飲める水を調達して欲しいんだけど」
「お、おう、近くに川がある。あの水はここいらの名産でな。俺のハパティ栽培にも一役買っているのだ」
「すぐに汲んでこよう!」
頷くとミッチェが駆け出した。負けじとポンチャックも後に続いた。四速歩行で駆け出した二人は直ぐに見えなくなった。
本気で走ると意外に早いんだな。と僕は少し犬人族を見直した。
あゆみさんの背中をさすりながら空を見上げる。太陽の光がだんだんと弱くなって来ていた。夜が近づいているのだ。
犬皇界は球体の内部のような構造の世界だから、太陽が沈むということは無い。というより、正確に言えば空に宇宙なんて無いのだから太陽自体がこの世界には存在しない。
その変わりに天に光の玉が輝いていて、それが約十時間置きに明滅するのだ。それがこの世界の昼と夜の正体だ。
科学も進歩していない世界だから、その光の玉がなんなのか、誰も知らないが、別に誰も気にもしていない。そういう国民性だ。それが貪欲に知を求める我々との大きな違いなのだろう。
『謎は謎のままであるから謎なのであって、それを解明しようということは、謎という貴重な生き物を殺すことになるのだ』
これが犬皇界で古代から伝わる古の教訓なのだそうだ。
さて、あゆみさんはというと意識は朦朧。体力も残っていないらしく、ぐったりとしている。まあ暴れないだけましか。
しばらく背中をさすっているとポンチャックたちが小川から戻ってきた。
「さあ、あゆみ、これを飲んで!」
ミッチェが汲んできた水をあゆみさんに飲ませる。暴れすぎて喉もカラカラだったようで、あゆみさんは抵抗することもなく、ごくごくと喉を鳴らして飲んだ。
「あゆみさん、ここがどこだかわかる?」
「けんおうかーい」
ぐったりと頭を下げながら答える。なんとか意識は戻ったようだ。
「そう、僕のことわかる?」
「むっつりしょうねーん、仁君。ふふふ」
何がおかしいのか、不気味に笑うあゆみさん。
「ってか、誰がむっつり少年ですか! それより、もうそろそろ日が暮れます。村に戻ったほうがいいんだけど、あゆみさん、立てますか?」
「らめぇ。動けないぃ」
円を描くように上体をゆらゆらさせているあゆみさん。言葉を返せたので意識は戻っているようだが、こりゃ相当重症だ。
ああ、もうしかたがない。不本意だけど、僕が彼女をおんぶして村まで連れていくか。
できるだけ女性の体に触っているという意識を脳味噌から追い出して、彼女をおぶる。
「すまないな、俺がハパティなどを食わせてしまったから」
ポンチャックは肩を落とし、しおれた様子で言葉をかけてくる。
「こんなことになるとは思わなんだ」
「いや、いいですよ。知らなかったんだから仕方が無いですよ」
あゆみさんはまた意識が無くなっているのか、頭がぐらんぐらん揺れているのが背中越しに伝わってくる。ゲロ吐いたりしないよな。大丈夫だよな。僕の頭にかけられたらさすがの僕でも怒るからな。
「ねえ。仁。国王に会うのは明日にしようよ。もうすっかり暗くなって来ちゃったし」
ミッチェの提案。どうしようか一瞬迷ったが、言葉に甘えることにした。
「界道はこの近くなんでしょ。僕とポンチャックの事は構わずに、今日はこのまま元の世界に帰っちゃってよ」
「ごめんね、ミッチェ。そうさせてもらうよ。じゃあ、ここで今日はお別れということで。あ、そうだ。ポンチャックは村に連れて行っても問題にならないかい?」
一応内紛の首謀者であるポンチャックだ。
「大丈夫だよ。こっそり村に入って、うちに泊めるよ。文句なんか言えるほどの者はいないしね。それに君達がいない間にポンチャックを国王に合わせたら喧嘩になっちゃいそうだし」
「むむ、そんなに俺は短気じゃないぞ」
ポンチャックが頬を膨らます。
「ポンチャックもすまないね。明日また同じ時間に来るから、それまではミッチェの家で待っててよ」
膨らんだ頬の空気を吐き出し、ポンチャックはおどけてみせた。そして神妙な顔になる。
「うむ。仕方ない。それにしてもあゆみには本当に悪いことをした。元に戻ったら謝っておいて欲しい。明日、改めて謝罪する」
頭を下げて謝罪するポンチャック。
「それも気にしないでいいです。多分、元の世界に帰ればすぐに元に戻ると思うんで」
僕は二人に手を振り、帰りの界道へ向かった。
犬皇界の二日目はこんな感じで終わりを告げたのだった。
明日、あゆみさんの回復を待って、もう一度犬皇界にきて、きちんと王様に報告して仕事を終わりにしよう。
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