異世界出勤二日目!

少女と小難しい話 1

 ☆ ★ ☆


 二日目。


昨日の疲れは残っていない。それに今日は昨日より身が軽い。昨日持っていったようなリュックなど無く、ハンドバッグだけだからだ。

 あたしは空元気で幸運堂の玄関を開けた。



「おっはようございまぁす!」



 元気よく挨拶をして中を見る。
返事が無い。誰もいないのかと思い事務所の奥を覗くと真剣な表情をした仁君と一人の男性がいた。真面目な話をしていたみたいに、しんとした空気であった。

 男性が振り向いた。

 あ、見たことある顔だ。



「おお、この前のお嬢ちゃんやないか。元気にしとったか?」



 男の明るい声で場の空気がぱっと変わる。暗い顔だった仁君も表情を変えた。

 一昨日、あたしが初めて幸運堂を訪れた際に、錆びた自転車で去っていった髪もじゃの男だった。



「こんにちは。先日はどうも。石井あゆみです」



 男は人懐っこい笑顔だ。誰だろ。今度は仁君のお兄さんでも現れたのかしら。いや、お兄さんというよりは叔父さんとか、年の離れた従兄弟とか、そんな感じか。


「あゆみか、いい名前やな。よろしゅー。天宮司です。天さんて呼んでぇな」



 苗字が違った。やっぱり親戚なのだ。


「あれ、今日は随分早いですね」


 仁君は壁時計を見て不思議そうな顔をしている。



「昨日の夜、受験生がこんな時期にバイトするなって母親に言われて喧嘩になっちゃってさ。今日もなんか言われたら嫌だったから逃げるように出てきたってわけよ」


 舌を出して苦笑する。仁君の顔を窺うもさっきまでの暗い表情は消え失せている。気のせいだったのかしら。



「そうだったんですか。受験生ですものね。すいません。それなのに今日も来てもらっちゃって」



「いいのよ、別に。あたし指定校推薦だから一般受験じゃないもの」



 手頃な椅子に腰掛ける。まだエアコンは直っていない。


「あゆみさん推薦取れるほど優秀なんですか?」


「はぁ? どういう意味よ」


「い、いやどうという意味は無いですが」


「推薦を取れるほど頭が良くないって思ってるんでしょ」


「いえいえいえ、そんなことないですって」


「慌ててるのが図星の証拠よ」


 仁君にとび蹴りでもお見舞いしてやろうかと構えたところに、天宮寺なる髪もじゃ男の気の抜けた声がした。


「それにしても試験ばっかで大変やなぁ学生さんは。何もそんなにしょっちゅう試験なんかで人をランク付けする必要ないと思うんやけどなぁ俺は」



 のんびりした口調で持論を唱える髪もじゃ天宮寺。なんだか仙人みたいな人だ。



「天さんが入ると話がややこしくなるんで、黙っててもらっていいですか」



「なんやなんや、そうやってまた俺を除け者にするんや。冷たいなぁ秘蔵っ子も。昔は素直で可愛い子やったのにー」



「……人間は成長するんです」



「はっはっは。そりゃええわ。どうせ俺は人外ですよ」



 愉快そうにひとしきり笑うと、もじゃ男さんは立ち上がった。



「ま、そういうことやから、俺はそろそろ行くけど、さっきの話、覚えとき」



「はい」と仁君は神妙な面持ちで頷いた。



「ほな、あゆみもさいなら」



 ひらひら手を振り去っていく天宮司さん。



「……あの人さ。この前もいたけど何やってる人なの?」


 一応、声を潜めて聞いた。



「えっと」と仁君は視線を泳がせた。


「天宮寺さんは呑み屋をやってるんです。今は飲食店って人気ないですからね。人を集めて欲しいって話をしてました」



 ふぅん。それだけであんなに深刻な表情になるのかしら。



「意外に普通の依頼も受けるのね」



「普通……?」



 首を傾げた仁君だったが、ああ、と何かに気づいたように顔を上げた。



「そうですね。色んな人が出入りしてますからね、ここは」



「そういえば、あのミカさんって人も何者なの?」



 昨日なんだかんだで聞きそびれていたことを思い出した。



「ミカさんですか。彼女は天使です」



「は? 天使?」



 また、あたしの事をバカにしてるのだろうか。それとも「ミカさんは僕にとって天使のような存在なんです」とでも言いたいのだろうか。

 前者ならムカつくし、後者なら、ただただキモい。



「それより、せっかく早く来たんだったら、直ぐに行くように手配しましょうか」



「でも、あんまり早く行っても迷惑じゃない?」



「そうでもないですよ。この世界と異世界というのは、別の次元に存在しているので、時間も全く別の軸で流れているんで」



「別の軸ってナニ?」



「時間の流れ方は世界によって違います。時が未来に進むとは限らない世界もあるんですね」


「時が未来に進まない世界なんてあるの?」


「我々が未来、と呼んでいるものが、とある世界では未来ではないということもあるんです」


 よくわからない。


「未来がいっぱいあるの?」


「そういうことではないです。異なる世界の成り立ちを説明しますか?」


「聞きたーい」


「ちょっと難しいんですけどいいですか?」


「げー、難しいならいい」


 がくっと肩を落とす仁君。


「なんでですか。そこまで難しくはないですよ。いいですか、世界を色鉛筆とします。何十本もの色鉛筆を宇宙船にでも乗せて無重力空間に持っていくとします。宇宙に出れば当然、色鉛筆は宇宙船の中を漂うことになります。そうして、色鉛筆が無数に浮いている空間を想像してください。はい、それがこの世界の縮図です」


 ああ、もう何勝手に説明を始めてんのよ。しかも、よく意味わかんないし。

 でも、だからと言ってせっかく説明してくれているのをさえぎるのもなんとなく悪い気がするし適当に聞いてあげようかしら。


「僕達の世界は無数の色鉛筆の中の一つに過ぎないのです。例えば、直進する赤鉛筆が我々の世界だとします。削った先端の方を赤鉛筆の進んでいく方向だとします。そして、その進行方向を未来と呼ぶとしましょう」


 鉛筆? 頭の中で一生懸命想像してみる。鉛筆がいっぱい浮かんだ空間……。なんじゃそりゃ。


「浮かんでいる無数の色鉛筆はそれぞれ向いている方向が違いますから進む先、つまり未来はそれぞれ別の方向になります。そうなると、我々の世界が過去に通った場所を、これから通る異世界があったり、その逆もあったりします。しかし通常は鉛筆の先端同士が運悪くぶつからない限りは異世界同士の交流は生まれないのです。でも、鉛筆同士が勢いよくぶつかったら芯が折れてしまうでしょ。世界も同じで異世界同士がぶつかるとガラス細工のように粉々に砕けてしまいます。運よく二つの世界が融合できたとしても、今までのどちらの世界とも違う新しい一つの世界が生まれてしまうんです。だから基本的には異なる世界のもの同士が異なる世界の姿のまま合間見えることはありません。しかし、我々は異世界に行くことが出来ます。どうしてだと思いますか?」


 うん、ごめん。何を言ってるか途中からわかんなくなっちゃった。なんか小難しい上に長ったらしいんだもん。なんで色鉛筆なのかも分からないし。


「聞いてました?」


 怪訝そうな顔であたしの目を見てくる。あたしは首をすくめた


「聞いてはいたけど、ごめん。全然理解できないわ」


 仁君は頭を垂れた。


「なんで伝わらないかなぁ」


 凄くちっさい声で行ったけど、聞こえたわよ、説明下手め。そもそも、難しいなら聞きたくないって初めに言ったじゃない。


 仁君は自分の両手を握り、あたしの目の前に出した。


「この右手と左手が別の世界。これ同士がぶつかれば異世界同士の交流はできるけど」


 仁君はその両手を胸の前でぶつけだ。そして両手をぱっと広げた。


「ぶつかれば、砕け散っちゃう。では、世界を壊さずに移動するにはどうしたらいいと思いますか?」


 むむむ。考える。


「橋でも掛けたらいいんじゃない?」


「そうです!」ビシッと指を指された。


「橋を掛ければいいんです。それが昨日ミカさんと使った界道です。と言っても目を瞑ってる一瞬で移動しちゃったので実感は無いでしょうけど」


「あー、それならなんとなくイメージつくよ。初めからこう言ってくれたら分かりやすかったのに」


 仁君は不満そうな顔をしながらも続けた。


「我々の時間の流れとは無関係に、どこかで異世界は存在してるので、界道を通って異世界に行く時には時間の設定をしなければなりません。どこそこの世界の何年の何月何日、何時に行くかっというのを決めます。それがミカさん達斡旋元の仕事の一つでもあります。そして、帰ってくる際の時間も設定します。システム的にはこっちの世界の十時から異世界に飛んで八時間経過したとしても、こちらの世界の十時十分に帰ってくることも出来るんです」


「へー。でも、ちゃんと時間たってから戻ってきたけど、それは?」



「あゆみさんの体内時間としては八時間たっているのに、こちらの世界の時間では一分しか経ってないとすると、八時間分老けてしまいますからね」



「あ、それは嫌だわ」



「でしょう。だから、時間を合わすことを協定で結んでいます」



「そうなんだ。あたしとしても別に何も不満はないから、いいけど」


 てか、結局よくわかんなかったし。



「こんにちはー!」と、玄関で声がする。ミカさんの声だ。



「おっと、話していたら時間になっちゃいましたね」



 確かに時計を見ると十時になっていた。なんだか難しい話を聞かされて、仕事前に疲れたよ、あたしゃ。



「いやっほー。昨日は何もできなかったみたいだね。まぁ、そういう日もあるさ。気をとりなおして、二日目、行ってみよー!」



 お気楽な調子のミカさんに連れられ、再び犬皇界へあたしは向かったのだった。



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