少女と犬人族

 異世界に来た!


 っていう胸の高鳴りは雨が降り始めると簡単に鳴り止んだ。
だから、レインコートを持ってきてたのに!



 むっつり少年細波仁め。なにが「異世界へはこちらの世界の文明の持ち込みはできません」だよ。それで結局雨に濡れる羽目になっちゃったじゃないの。


 さっきまで見えていた地椀面ちわんめんも雨雲に霞んでしまったし、ミカさんもすぐに帰ってしまうなんて、聞いてない!

 こんなむっつり少年と一緒に行動しなきゃいけないなんて最悪じゃん!


 
……と、思っていたのだけど、犬人族を見た瞬間に不満は吹き飛んだ。可愛すぎる。何これ。持って帰りたい!

 うちのバカ犬ケンタローと交換したい!

 さらに、今、この食堂で出されてるこの紅茶とクッキー。めちゃくちゃ美味しいじゃないの!!



 そんなこんなで、あたし達は王様の部屋から出たあと、かれこれ一時間近く食堂でまったりとしている。

 雨だから外には出ない、なんてわけのわからない事を言い出した時はどうなるものかと思ったけど、クッキーがおいしいので、結果、無問題だ。

 というわけであたしは上機嫌でクッキーのお代わりをした。



「そんなに喜んで食べてくれると僕も嬉しいよ」



 ミッチェはちいさな尻尾を振る。



「あゆみさん、もうちょっと遠慮ってものをしてくださいよ」



 なんて言ってくる仁君も、なんだかんだで五枚も食べてるじゃないの。あたし見てるんだからね。


「ちょっと城の中で情報を集めてきますけど、あゆみさんも来ませんか」


「えー、めんどくさいからいい」


 クッキーを頬張りながら返すと、仁君の眉間にピクッと皺が寄った。ような気がしたけど、たぶん気のせいね。話題を変えよ。


「でもさー、雨の日には何もしないなんて凄いね」



 七個目のクッキーに手を出しながら話を変える。食堂の向こうの広間では犬人族たちがのんびりゴロゴロしたり、じゃれ合ったり、ボールで遊んでいたりしている。なんだか微笑ましい。



「逆に僕らにしてみたら、雨の日なのに外に出かけていくことが凄いと思うなぁ」


ミッチェが答える。



「そうかしら」



「だって風邪を引くかもしれないリスクを負いながらも外に出るって凄いよぉ。あゆみ達、人間は八十年も生きるんでしょ。そんなに長く生きるなら雨の日くらいのんびりしたらいいのにって思うよぉ」



「だけど雨だからって仕事休んでちゃ、文明も発展しないじゃない」



「確かに」とミッチェは納得しかけたが「アレ?」と言い終わる前に首をかしげた。 


「でも発展させて何の意味があるの?」



「意味とかっていうと分かんないけど、一生懸命働いてる人がいるから便利な世の中になるのよ」



「便利かー。 便利ってそんなに大事なことなの?」



「便利は大切よ。そっちの方が楽じゃん」



「楽するために雨の日に仕事をするの? それ、結局楽になってなくない?」



「え? うーん、わかんないけど」



「まぁまぁ、二人ともそのくらいにして」


 仁君が間に入る。


「所謂、種族間認識の平行線って奴だね」



「なにそれ?」



「僕達みたいな紹介業者が一番最初に、叩き込まれる考え方だよ」



「あー、そういえば僕たちもミカさんに教わった気がします」



 ミッチェも何か思い出したのか、同じように頷いてる。



「なんなの?」



「煩悩百八つというじゃないですか。人間にはそれだけ多くの欲望があり、それを満たすために文明を発達させてきましたけど、そうじゃない種族も異世界にはいるんです。人間はとかく未来のために行動をすることを推奨されるけど、未来よりも今を重要視したり、何よりも過去を尊んで行動したりする種族もいるんですね。時間が無い世界だってありますし。だから重要なのは相互理解。自分の考えを押し付けるのではなく、人の意見を聞いて尊重する。それが僕達みたいな異世界間をまたにかけて商売する者には必要なんです」



 まったくもう。むっつり仁君の癖に、急に難しいことを言い出して。頭いいですよアピールでもしたいのか、この少年は。



「いやーすみません。僕も気になるとすぐ聞きたくなっちゃう性質でして」


 ミッチェがしょんぼりと肩を落とした。



「いいんですよ。普段あまり考えないことを考える機会になりますから。特にあゆみさんみたいに単純な人には頭の体操になっていいんです。それに好奇心旺盛なのは悪いことではないですって」



 仁がミッチェを慰めた。そりゃ世界が違えば考え方も違うのは当たり前か。同じ地球にいても国が違うだけで習慣や食べ物や宗教観も違うんだからって、あれ? 今あたしもついでに馬鹿にされなかったか?

 うん、でも今日は見逃してやろう。あたしの方がお姉さんだからね。うん。



「あたしも、なんかごめんね」



「いえいえ、お気になさらずに。あっ!」



 とミッチェは窓の外に目線を向けたまま固まった。



「窓の外を見てください」



 つられて窓の外を見る。雨の降りしきる村の遠くに一匹の犬人が見える。


 青いチョッキを着て、大きな葉っぱを傘のように挿してこちらをじっと見つめている。



「ポンチャックです!」



 アレがポンチャック。ハパティ畑を占拠している今回の相手。



「……なんだか、寂しそうね」



 遠くなので表情が見えたわけではない。でもそう思った。


「寂しそう? 睨んでるんですよー、多分」


 ミッチェはあたしの影に隠れ震えている。


「でも、なんで村にいるの?」


「わかりませんよ。いつもはハパティ畑の向こうに小屋を建てて暮らしてるみたいですけど。雨の日だから僕たちが外に出ないってわかって偵察にでも来たんじゃないですか? ああ怖い怖い」



「ふぅん」


 雨の中じっと立っているポンチャック。あたしは何故か彼が寂しそうだと感じた。その理由はわからなかったが、それは魔犬と呼ばれている彼を初めて見た私の素直な感想だった。

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