少年は再びため息をつく 1

 広げる緑。緩やかな丘の傾斜の遥か向こう。麓に集落が見える。あれがプティーマイラス王国だ。

 しかし、やっぱり犬臭い。だから嫌なんだよ、犬の世界は。


 浮かれているあゆみさんを横目に溜息を一つ。

 考えてみたらミカさんも同行してるんだから、やっぱり僕がここに来る必要はなかったんじゃないのか。


 確かに通常は何回か仕事をこなし、実績や信頼が伴って初めて異世界派遣という仕事も依頼する、というのが流れである。

 だから、今回のようなパターンならば異世界に同行することも必要なのかもしれないが、どうも姉に担がれたような気がしてならない。


「ココが犬皇界けんおうかい……」



 あゆみさんがぽかんと口をあけて空を見あげている。

 思えば初めてここに来た僕も、今のあゆみさんと同じようなアホ面をしていた。



「どうなってるの? この世界は」



 ぽつりとあゆみさんが呟いた。

 そう、この世界に地平線はない。これが見た目にも一番分かりやすい僕らの世界との相違点だ。



「ボールの内面に世界が広がっているっていえば解りやすいかな。地球はボールの外面に地上がある感じでしょ。でもここは逆なの。大きな球体の内側に地上があるのね。つまり、宇宙に行きたければ地面を掘るしかないってこと。ま、地面の下に宇宙というものがあるのかっていうと疑問だけど」



 ミカさんが指を立てて解説している。



「そっか。だから地平線がないんだ」



「その通り」



 パチンと指を鳴らすミカさん。



「地椀面ちわんめんって呼ぶんだけどね。遥か先の大地はなだらかに空に向かってせりあがっていくから、理論上はここからだって世界全てを見渡すことができるのよ」



 性能のいい望遠鏡などがこの世界にあれば出来るだろうが、あまり文明は発達していない。

 僕もミカさんに続け一つだけ補足する。



「夜に見えるのは星では無くって、上空に広がる反対側の街の灯りなんだって」


「なんだかロマンティックね」


 あゆみさんはキラキラ目を輝かせている。


「僕はここの空を見ていると空に落ちてしまいそうな気がしてきて気分が悪くなるけれど」


「そう言われると、なんだか、そんな気分になってくるじゃないの、仁君の馬鹿」


 あれ、なんで怒られたんだろ。



「さ、あの集落まで急ぐわよ。西の空に雨雲が出てる。きっと降るわ」



 ミカは空を見上げ、歩幅を広げた。



「げー。だからレインコートを持ってこようと思ったのに」



 あゆみさんが唇を尖らせる。事務所で行った荷物検査で結局あゆみさんの荷物は全て異世界へは持ち込まないことにした。



「仕方ないですよ。異世界に持ち込んでいいものは厳重に定められてるんだから」


「レインコートくらい良いじゃないの」



 むくれるあゆみさんをなだめながら、後をついていく。


 集落に着いた頃には、ミカさんの予想通りポツポツと雨が降り始めていた。



「もー!! 初日から雨なんて最悪」



 あゆみさんは非難の眼差しを僕に向けてくる。いやいや、雨は僕の所為じゃないよ。


「ま、本降りになる前に着いたから良かったんじゃないですかねー」


 あゆみさんの目は見ずにそう言って、僕はそそくさと村に入った。


 村は長閑な雰囲気で、のんびりとした住人の生活がこの空気にも満ちている。村に入った異世界人である我々に気づき、一人の村人が駆け寄ってきた。



「ミカ! よく来てくれた! 後ろの二人が勇者様かい?」



 どうやら依頼主の使いのようだ。足の短い牧羊犬、コーギーをそのまま二足歩行にしたような、そんな外見の犬人族だ。



「そー! こっちが幸運堂の仁君ね。で、こっちが勇者担当のあゆみちゃん」



 ミカさんが笑顔で僕らを紹介する。順に紹介されてお辞儀をする。



「あの有名な幸運堂の人がきてくれるとは、光栄です!」



 見上げる瞳が輝く。そんな目で見られても、後ろめたい気持ちになってしまう。だって敏腕業者として名を馳せていたのは祖父と父の代の事であり、現在の幸運堂はポンコツ業者なのだ。まあ、あえて言う必要はないけど。


「僕はミッチェ。リプティノス国王に仕える使用人さ」



 ミッチェと名乗った犬人族はニコリと笑って手を出した。僕はできるだけ平静を装って、身を屈めて肉球のフニフニの手と握手した。

 僕は犬が苦手なのは何度も言っているが、握手をするのだって実は大変な勇気が必要なのだ。

 ふと横を見ると、僕の隣であゆみさんの肩が震えていた。そりゃそうだ。喋る犬など実際に見たら恐怖でしかない。

 生意気なあゆみさんがビビってるなんて、ふふふ。いい気味だ。と僕がほくそ笑んだ瞬間。


「きゃー! 可愛い! 喋ってるー!」



 金切り声を出したあゆみさんは、どーんと僕を突き飛ばして、ミッチェを抱き上げた。


「あたし、あゆみ。よろしく、ミッチェ」 


 哀れ、突き飛ばされた僕は雨に濡れる地面に転がった。



「可愛いなんて、照れるなぁ」



 抱きかかえられたまま、まんざらでもない様子のミッチェが頭をかく。


「でも、一回おろしてほしいなぁ」


「あら、ごめんなさい」


 慌てて、あゆみさんはミッチェを地上に下ろした。

 ったく。女って可愛いと思うものの可愛さの度合いで、声の高さが決まるのかよ。甲高い声出しやがって。単純な生き物だ。



「さーて、立会いも済ませたし、私はここらで退散しよっかなー。後は頼むわよん。仁君」



「え? ミカさん、もう帰っちゃうんですか?」



 あゆみさんが振り返る。僕も予想外であった。



「そ。私は他にも仕事を抱えてるからね。後は仁君と二人で頑張りなさい」



「えー! こいつ……、仁君と二人!?」


 ……おい、今こいつって言われたよ。なんだ、その反応は。僕だって嫌だよ。アンタみたいなステレオタイプの馬鹿女子高生は。



「大丈夫、仁君は見た目通りの草食系男子だから。襲われることは無いと思うわよ」



 そういう問題では無いだろう。


「じゃあ、後は任せたからねーん」


 ばいばーい、と笑顔で手を振り、風の様にミカさんは去っていった。

 取り残される僕たち。あゆみさんはブツブツと不満を言っているが、無視だ、無視。



「さ、雨も強くなってきましたから、早く王のもとに向かいましょう!」


 やけくそで叫ぶ。


「はーい! ではお城へ案内しますねー!」


 僕が急かすとミッチェはトコトコとお尻を振りながら村の中央にある、二階建ての建物へ向かって歩き出した。


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