異世界出勤初日!

少女は異世界へ


「こんにちはー!」



 元気よく玄関の扉を開け放つ。九時五十分。遅刻しないようにしっかり早めに起きて来た。普段のあたしとは思えない行動である。美智子に見せてあげたい。

 五分前行動どころか十分前行動なんて、自分でも感動しちゃう。やれば出来るじゃん、あたし。


 事務所の中を伺い見る。省エネなのか貧乏なのか、電球は間引きされていて薄暗い。

 部屋の中から、あのむっつり生意気少年仁君が出てくると思ったのだが、なにやら見知らぬ女性が顔を出した。


「あら!!  もしかして石井あゆみさん?」



 胸元の大きく開いたシャツのナイスバディな女性だ。誰だろ。昨日はいなかった。仁君の他にも従業員がいたんだ。戸惑いつつも頭を下げる。


「は、はい。そうです。石井あゆみです。よろしくお願いします」


 ナイスバディお姉さんはあたしを嘗め回すように見てくる。興味津々といった感じで瞳を輝かせて。



「あの、えっと……」



 眼光に押され、口ごもっているとナイスバディは両手を広げて玄関まで駆け寄ってきた。



「よく来てくれたわね! よろしくねー!」



 有無を言わさずあたしを抱きしめ嬉しそうに声を上げる。バンバンとあたしの肩を叩き喜びを表現している。



「うちの馬鹿弟が愛想悪い感じで対応しちゃったから、逃げられ……ごほん、来てくれないかなぁ、なんて思ってたんだよ」



 一方的にまくし立てて、あたしの手を取り嬉しそうに笑う。大人の香水の匂いが辺りに漂う。



「姉さん、石井さん困ってるでしょ」



 奥から仁君が出てきた。呆れた様子で、あたしから彼女を引き離す。


「すみません。こちら僕の姉で、こんなんですけど幸運堂の代表なんです」


 仁君に紹介されたナイスバディお姉さんは胸を張って満面の笑みを浮かべる。



「そっか、挨拶がまだだったわね。私がこの幸運堂改めラッキー堂三代目、細波さざなみ明日香よ。よろしくねー!」



 手を差し出してくるので応える。それにしても、おっぱい大きいな、羨ましい。



「あゆみちゃんって呼ばせてもらうわね。ささ、入って入って。詳しい説明するからさー」



 明日香さんは勢いよくあたしをオンボロ事務所の中に引き込んだ。



「昨日はごめんねー。仁ったら暗い奴なんだよねー。いつでも梅雨空みたいな男でさ。モテないんだよー。この前も学校の同級生に振られちゃって――」



「姉さん!」



 珍しく感情を表した仁君に睨まれ、明日香さんはぺろりと舌を出した。



「おっとごめんごめん、これは機密事項であった。失敬失敬」



 自分の頭をぽんと叩きおどけて見せる。全然反省はしていない様子だ。


「さてさて、昨日も仁から簡単に説明は受けたと思うけども、あゆみちゃんには犬皇界けんおうかいって異世界に行ってもらいたいのね」


 簡単な資料は昨日見せてもらっている。喋る犬の世界、といったくらいにしか認識していないけども。


「犬皇界は犬人っていう種族が繁栄してる世界よ。犬好きにしてみたら天国ね。喋る犬がえっちらおっちら農業とかしてるんだから、完全に絵本の世界よ。可愛いわよぉ。ほっぺた緩みっぱなしって感じよ」


幸せそうな顔の明日香さんは犬皇界なる異世界を思い出しているようだ。


「姉さん」と仁君に肩を叩かれて素に戻る明日香さん。


「……で、求人内容についてね。えっと募集要項には勇者募集って事にしてるけど、別に命をかけて戦ったりするようなことはないわ。犬人は二足歩行だけど、小型犬くらいの身長だから、私たちから見たら随分小さい種族だし、力もあまりないから、まあ人間の子どもの喧嘩を宥めるみたいなもんね、そんなに難しい仕事じゃないわ。大概、怒鳴れば言うこと聞くし。楽勝よ」



 資料を眺めながら説明を受ける。足の短いコーギー犬みたいなイラストが描かれていて、そこにリプティノス四世と添えられている。



「ここまでで、何か質問はあるかしら」



「異世界、えっと犬皇界でしたっけ、それに関しては、なんとなく理解は出来ましたけど……。あとは仕事の流れとか、シフト……? 的な……? なんかそういう事務的な部分とかはどうなるんですか?」



「あら、それもそうね。じゃあそういう細かいところは仁、よろしく」


 明日香さんは仁君の肩を叩く。
仁君はパラパラと書類をめくる。


「えっと、今回の依頼は一日八時間の派遣となります。休憩時間の定めはないので、あちらで随時取ってもらいます。給与は異世界に着いた時から、こちらの世界に戻ってくるまでを時給換算します。伸びてしまった分については残業代としてお支払いしますので、安心してください」


「あ、そういえば短期のバイト、みたいにチラシには書いて有ったけど、期間はどのくらいなの?」


 異世界は興味あるが、夏休みが終わってしまうとただの受験生に戻ってしまうあたしには期間は重要である。


「一週間で見積もってます。ただ、期間に定まらず、依頼を完了されることが出来れば終了になります。その場合に成功報酬が上乗せされますので、早く終わらせたほうが給与も良いです」



 ふーん。なるほど。まああたしはそもそもお金が欲しくてこの仕事を引き受けたわけではないんだな。

 あたしは時給とか成功報酬とかより何より、非日常という空間に身をおくことにまず第一の興味があるのだ。


「あと、大きなバック持ってきてますが、異世界への持込は世界ごとに制限があるので、後で中をあらためせていただきます」


「えーなんで?」


「異世界間通商協定というのがあるので、持ち込んだら死刑のものもあるんですよ」


 仁君はワザとらしく笑ってるけど、それってやばくない?


「げ、何それ。じゃ、ちょっとチェックしてよ」


 怖気づいたあたしが仁君にリュックを渡す。


「そんなにビビらなくてもよ」


 明日香さんは笑ってるが、死ぬのは嫌よ!


 そんなこんなで持ち物チェックしてもらっていると、玄関のドアがガタガタと開いた。


「こんにちはー」



 玄関から女性の声。

 こんどは誰だ? 


 意外とこの店には出入りが多いのか。そういえば昨日も、もじゃもじゃ頭の関西人が来ていたな。

 立て付けの悪い扉が開くのを見ていると、現れたのはモデルかってくらいのめちゃくちゃな美女だった。

 幸運堂代表の明日香さんも綺麗だが、こちらはもう別格。天使みたい!

 とんでもない美人だ。ヨーロッパ系の外国人か、それともハーフか。


「おはよう」と明日香さんが挨拶して、あたしに向き直る。


「あゆみちゃん。あちらが、今回の依頼業者のミカよ」



 明日香さんに紹介され、あたしは立ち上がってお辞儀をした。



「ミカでーす。どもどもー。あなたがあゆみちゃんね。よろぴくー」


 ……軽い。明日香さんも相当軽い人間だと思ったけれど、この方も輪をかけて軽い。

 流暢な言葉遣いだけど、日本育ちなのだろうか。


「あゆみちゃん、適性検査の結果見たわよー。あなた凄い素質よ。期待してるからね」


 何の実感もないが、そういわれると素直に嬉しい。凄い素質がある、なんて人生で言われたこと無いもの。


「仁君も随分と良い子を見つけたわねー。やるじゃない」



 ミカに褒められた仁君は「たまたまですよ」なんて言っているけど、ちょっと頬を赤らめてやがる。隠そうとしてるけど、全然隠れてないから。


『ぼくちゃん褒められて嬉しいでしゅー』って顔に書いてあるから。



「あゆみちゃん、応募してくれてありがとう。色々大変なこともあるだろうけど、頑張ってね」



 ミカさんが微笑む。天使のような微笑だ。
こりゃ仁君が鼻の下伸ばすのもわかるわ。こんな美人、テレビでも中々見ないもの。



「じゃ、早速、界道を開くけど準備はいいかしら?」



「はい、一通り説明は済ませてます。あゆみさん、異世界へ行く心の準備はいいですか?」



 仁君がこちらを見る。明日香さんもミカさんも真剣な眼差しでこちらを見ている。なんだかこんなに真剣に見つめられると緊張してくる。


「大丈夫です。いつでも」


「よし。じゃ、行こっか。さ、あゆみちゃん目を閉じて」



 言われるままに目を閉じる。


「気をつけてねー。いってらっしゃーい」


 お気楽な明日香さんの声が遠くなっていった。




 ◯ ◯ ◯





「もういいわよ」



 拍子抜けするくらい一瞬だった。

 指示に従い目を開ける。

 薄暗く、じめじめとする空間に立っていた。

 ミカさんと仁君はあたしの両隣にいた。ひとまず、無事に移動は完了したのかしら。


 しばらくすると暗闇に目が慣れてくる。あたし達が立っているのは石造りのひんやりとした小部屋の中であった。



 窓のない薄暗い部屋。ミカさんが息を吹きかけると、どういうわけか壁の燭台に火が灯った。

 ゆらゆらと小さな光に照らされて部屋の全容が見えてきた。殺風景な部屋だ。机も椅子も無い。石畳の床に埃が積もっている。あまり人が入った形跡はないようだ。

 四方を囲まれた石壁。窓も扉も無い……って、扉ないじゃん!


 密室じゃないの。どうやって出るのかしら。



「うん、ばっちし。犬皇界についたわよ。さ、行きましょう」



 驚いていたのはあたしだけで、さっさとにミカさんは壁際に移動する。目を凝らすとミカさんの視線の先にうっすらと光が漏れているところがあった。ミカさんが指先で壁をなぞる。


「ゴゴゴ」と重たい音がして壁が向こう側へ倒れた。へえ、隠し扉になっていたんだ。すごい。ゲームみたい。


 扉が開くと堆積していた埃が舞った。とっさに鼻と口を塞ぐ。

 粉塵が収まり視界が開けると、光が差し込んだ。


 そして、外の景色が目に飛び込んでくる。

 目の前にはなだらかな丘の斜面が広がっていた。


 ここが異世界。犬皇界。広がる景色に息を呑む。異国の匂い。草と木と土の匂い。あたしは大きく息を吸い込んだ。

 小屋は丘の斜面に埋め込まれるように作られていたのだ。どうりで扉のほかに窓がないわけだ。



 ミカさんが先陣を切って外に出た。仁君がその後について小部屋から出る。希望と期待に胸を膨らませ、あたしも足を踏み出した。


 来ちゃった。とうとうあたし、異世界に来ちゃったんだ!


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