少年の朝

 朝。異世界へ旅立つ朝。 


 憂鬱で眠れなかった。なんで僕が異世界に行かなければならないのだ。確かに姉の理論は正しい。それは頭でも理解している。

 だけど、心は異世界行きを拒絶したがっている。だって、よりによって犬皇界けんおうかいなんだよ。


犬だらけの世界なんて想像するだけで憂鬱だ。僕はザルフェルなんていう悪魔とも普通に会話ができるのに、犬は苦手なのだ。



 幼い頃の、路上で姉のバドミントンにつき合わされていたのだが、その際に姉のスマッシュが散歩中のシェパードに炸裂した。それは不可抗力なので仕方が無いのだが、犬はスマッシュを打った姉ではなく、近くにいた僕に襲い掛かってきた。

 大きな声で吼えられ、迫られ、僕は大泣きした。飼い主のおばさんが済んでのところで阻止してくれたので噛まれはしなかったのだが、姉は大泣きしている僕を見てゲラゲラ笑っていた。

 弟のピンチにゲラゲラ笑っている非道な姉は、思い起こせばその時から、サディスティックな人でなしの片鱗を垣間見せていたのだ。


 それ以来、僕は犬の吼える声も怖いし、チワワみたいな小型犬が走って迫ってくるのでさえ目に入ると逃げ出したくなってしまう。

 だから犬の世界なんて出来れば行きたくない。犬の姿を見るのも嫌だし、犬の臭いも嫌いだし、なんならあの石井あゆみって女もあんまり好きになれそうも無い。

 やる気は出ず、溜息ばかりをついて時計を見る。


 もうすぐ石井あゆみがやってくる時間だ。


 出来るだけ早くこの案件を終わらせてしまいたいなぁ、と始まる前から思ってしまう。


「そんな顔してるんじゃないよ」


 傍で牛乳を飲んでいる姉に叱咤される。


「だってさ。学校の友達は海とか山とか田舎とか、楽しく遊んでいるってのに、僕はなんか変な女と犬皇界だよ。こんなの拷問でしかないよ」


「お金を得るってのは大変なのよ。楽しいだけじゃないわ」


 姉は魔境でもなんでも楽しんじゃう性格なので問題ないのかもしれないけれど、僕はそういうの全体的に苦手だし、いつ異形の者が幸運堂を訪ねてくるかわからないので、友達なんか家には呼べない。しかも、姉はしょっちゅう外出しているので、留守番しなければならないため、遊びに出かけることもあまり出来ない。


 だから、楽しいだけじゃない、とも説教臭く言われても、僕にとっては初めから全然楽しいことなんかないんだぞ。 

 

  人には向き不向きというものがある。そして、僕はこの仕事は向いていない。

 悪魔のザルフェルは良い人だし、天使のミカさんは美人だけど、できれば悪魔だ天使だ妖怪だという魑魅魍魎共と関わりを持つ生活からは早めに脱却したいんだよ。
 

 そうは言っても、彼らの仕事が僕らの飯のタネなので、今は僕の生活から切っても切れない。


 ……これが問題なのだ。



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