少年は慌てる 2

 姉は率先して仕事を代行するので、よく異世界に行くのだが、僕は出来るだけ行きたくない、という思いがある。

 去年の暮れの事。今回の様に人が集まらず僕が異世界に行く羽目になったことがあった。

 別に仕事自体は大したこともなく穏便に済ますことが出来たが、僕は派遣先の世界の『臭い』にやられたのだ。


 日本に来た外国人が空港で醤油やら味噌やらの臭いがする、と言うとか言わないとか、そんなことを聞いたことがあるが、要するに世界が変わればそこの臭気も変わってくるのだ。


 僕はそれが苦手だった。僕はこう見えて繊細なのである。


「で、肝心の仕事内容はどういったものなんですか?」


 僕はデスクの上の書状を覗き込んだ。

 紙は二枚。象形文字のような異世界の言語で書かれたものと、ミカが日本語に翻訳してくれている物。互いの書面にはそれぞれ翻訳が正しいことを示す判印が押されている。

 なるほど、正式文書の形を取っている所から見ても今回の以来はよほど重要な物なのだろう。

 僕は英語すらまともに読み書きできないので、異世界語など分かるはずもなく、大してチェックもせずに翻訳されたものを読んだ。

 

【依頼状】求人番号02360


[依頼主]

 犬皇界けんおうかいプティーマイラス王国第十三代国王リプティノス四世。


[依頼内容]

『プティーマイラス王国は朗らかで心優しい民の住む幸せな国です。しかし、ある日突然、反乱を起こした者がいました。

 魔犬ポンチャックです。彼は王国のハパティ畑を占領してしまったのです。

 大好きなハパティを食べる事が出来なくなってしまい、国民は悲しみのどん底です。

 我が国も何度か平和的話し合いで解決しようと試みたのですが、ポンチャックは乱暴者で、すぐパンチをしてきます。

 我々はポンチャックが占領した畑の近くで小用を足し、縄張りのアピールをする他、手筈がありません。

 王国の平和の為にポンチャックを畑から追い出してください』

 


 そこまで呼んで顔を上げた。


「……犬皇界からですか」


 正式文書だというのに、どこはかとなく、のんびりとした印象を受ける依頼であった。


 犬皇界とは、犬人族という種族が繁栄している異世界だ。

 過去に何度か幸運堂はこの世界の各国から依頼を受けていた記録はある。


 プティーマイラス王国は、その犬皇界の中でも四季の変化があまり無い地域の小さな島国だ。

 気候はいつでもぽかぽかと暖かく、その気候に当てられたのか、性格的にもおおらかで争いを好まないコーギー犬に似た種類の民がのんびりと暮らしている平和な国だった。

 過去に何度か受けた依頼も「食料の木の実を取るのを手伝って欲しい」だとか「人間界のお洒落な首輪を作って欲しい」等といった比較的簡単な仕事だったので、人を出すのも困難ではなかった。


 こりゃ案外楽勝かもな、と僕は思った。

 プティーマイラスの民は犬族の中でも比較的小さい犬種の部族だし、平和な国だから腕力その他の武力や兵力も無いに等しい。暴れん坊のポンチャックとか言う犬も、多分大したことはないだろう。

 双方の間に入り子供の喧嘩でもたしなめるように一喝すれば、それで解決しそうだ。


「ザルフェルの仕事に比べれば簡単そうじゃない」


 姉も同じ感想を抱いたようだった。


「よし、私がこっちの仕事の分もチラシ刷ってあげるわ」


 偉そうに宣言する姉。

 あの変なチラシをまた作るのか。効果は不明だし印刷代だって掛かるのに、と僕は肩を落としたのだが、目を輝かせている姉には何を言っても無駄だ。


 姉は既にカタカタとワープロを打ち始めている。

 自分の仕事の準備は大丈夫なのだろうか、と疑問に思ったが、姉には何を言っても無駄なのだから放っておこう。


 忙しそうに指を動かす姉を置いておいて、ミカさんと世間話に興じる。


「最近、人間界はどう? 大きな戦争とかはなさそうだけど」


「世界に目を向ければ紛争地帯や差別問題なんかも依然としてありますね。あとは天災とかも。なんか最近はまた大きな地震なんかも起きたりしてますし」


 と言いつつも実はニュースなんか見ないので詳しく話せないのが恥ずかしい。


「けど、僕の回りは平和なものですよ」


「不幸があるから幸福を実感できる。人間というものは相対的な感覚に支配されているからね。全人類がそろって幸福になるのは難しいわね」


 幼子でも諭すようにミカさんは優しく言う。


「人間は科学技術なら随分と発展させたけど、心の成長がまだ追いついていないのよね。だからいがみ合ったり騙し合ったりしちゃうのよ」


 どこか悲しげな表情のミカさん。そんな表情も美しい。


「どうしようも無いですね」


「でも、他の動物だって同じよ。完全なモノなんてなんにもないわ、この世界には」


 ……天界にはある、とでも言いだすのかと僕は思い彼女の顔色を伺ってみたのだが、そうでもないらしい。


「それは異世界でも同じ。魔境でも、天界でも同じ。命は存在するだけでもう不完全なのよ。本質的な意味での完全があるとすれば、それは無。名前もつけられていない誰にも存在を知られていない無にしか完全は無いのかも知れないわね」


 哲学的な話になった。彼女の表情から女子大生的享楽主義の様相がふっと消えた。


「そういえば、ミカさんって一体何歳なんですか?」


 ザルフェルと同じく、祖父の代から取引があるのだから、相当な年齢なのではなかろうか。僕は幼い頃から彼女のことは知っていたが昔から何も変わっていない。容姿も性格も。美貌を何十年も保持できるというのなら、世の女性は羨ましくて憤死するであろう。


「ヒ・ミ・ツ」


 唇に指を押し当て微笑む天使。天使なのに笑顔は小悪魔的だ。


「出来た!」


 と、部屋の空気を霧散させる叫びを上げ、姉が勢いよくキーボードをはじいた。

 デスク脇の旧式のプリンターががたがたとA4用紙を吐き出す。

 プリントされたチラシを手に取り姉は大きく頷いた。

 どんなのが出来たの? と聞いて欲しいであろう姉はこちらを見つめてくる。

 少々癪に障るので、姉の期待するような行動にはでてやらない。


「自信作よ」


 大きな胸を逸らし得意げな姉。


「ふうん。今度はちゃんとフォントとか文字の大きさとか変えた?」


 前回のような酷い代物だったら容赦しないぞ、と言外に臭わせたのだが姉は気付かない。


「ばっちりよ。私のライター能力は日進月歩の勢いだからね。うふふ。将来は敏腕コピーライターってのも悪く無いわね」


 などと有り得ぬ妄想をしている。馬鹿丸出しである。


「すごいわね! あっちゃん天才なんじゃないの?」


 ミカさんはチラシの内容も見ずに余計なことを言っている。馬鹿はおだてちゃダメなのに。


「えっへん」とは流石に言わなかったが、そのような仕草で大きく頷き、姉はブイサインをこちらに送る。


「よーし、じゃあこのチラシも貼ってきてあげちゃう! 仁、応募対応はしっかりやりなさいよー。電話じゃんじゃん鳴るからねー」


 姉はまくし立ててると嵐の様に駆けて行った。


「ちょっと! ザルフェルが来るまでには帰ってきてよ!」


 僕が叫ぶが、姉は返事も無く出て行ってしまった。

 猪突猛進、馬鹿まっしぐらだ。そして、またしてもチラシをチェックすることはできなかった。


「ホントあっちゃんも頼もしくなったわね」


 姉を見送り、見当はずれなことをミカは言う。


「……本当にそう思っているんですか?」


 僕の問いにミカさんはニコリと笑うだけで、肯定も否定もしなかった。


「じゃあ、私はもう一箇所寄ってく所があるから、もう行くわね」


 立ち去ろうとするミカの背中に投げかける。


「もしかして、他社エージェントですか?」


 ピクリと肩を震わせてミカは立ち止まった。図星なのだろう、振り向いたミカさんは申し訳なさそうに目を伏せながら言った。 


「上司命令でね。天満カンパニーにも依頼しないとならないのよ」


 やっぱりそうだった。幸運堂のような業者は何社もある。複数社に振って早く上がってきた人材を雇用するのが効率的であるしこの業界では一般的な依頼方法だ。


「それ、一週間だけ待ってもらえませんか」


 無理を承知で頼む。稼ぎが少ない幸運堂にとって、数少ない飯の種なのだ。他社に取られて骨折り損、なんて事態はなんとしても避けたい。


「そう言うわよね、やっぱり」


 苦い顔をしている。彼女も上司から業者への依頼を命じられているわけで、独断で特定の依頼業者を贔屓をするわけにはいかない。


「うちには中々仕事が来ないんです。なんとか、なんとかお願いします。一週間で見つからなかったら他社へ振って頂いて構いません。なんとかお願いします」


 ミカさんに言葉を挟む隙を与えず言い切り、勢いよく頭を下げる。数秒の間、沈黙が流れた。頭上でミカさんが弱りきっているはずだ。彼女は人情に厚い。僕は彼女が言葉を発するまで頭を上げる気は無かった。


「……一週間は厳しいわ。三日だけよ」


 よっしゃ、と心の中でガッツポーズを取る。


「ありがとうございます!」


 下げていた頭をあげ。もう一度お辞儀をする。


「そんなに頭を下げなくてもいいって。先代には私もお世話になったんだから。昔のよしみってやつよ。気にしないで」


 僕の肩を叩き微笑むミカさん。


「それじゃ、私も天さんのバーにでも行こうかしら。ザルフェルもいるみたいだし。人集め、よろしくね。三日後にまた来るわ。いい報告待ってるわよ」


 昼間っから酒を呑むんだから、いい身分だよな、と思いながらミカを見送った僕はパソコンをインターネットに接続した。


 姉のチラシはあてにならない。

 三日だ。三日でなんとか異世界に派遣できる人を探し出さねば。

 動作の遅いパソコンの砂時計を睨みながら、久しぶりに僕は本気になった。


 なぜかっていうと、僕は犬が嫌いだからだ。人材が見つからなくて、自分が行くことになるなど、まっぴらゴメンなのである。


 

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