少年は自嘲する

日に焼けた若者。麦わら帽子にアロハシャツ。筋肉隆々の怪しげな男。


「……あなた、ザルフェル?」


 姉が恐る恐る尋ねる。


「よく分かったな。さすが三代目だ」


 麦藁帽子を取ると、彼の全身を煙が包み、あっという間に悪魔の姿のザルフェルが現れたのだった。


「声が変わってなかったもの。あとは、その身長のおかげね」


 姉の直感はよく当たる。僕は全然気付かなかった。


「変身なんて出来たんですね」


 僕が感嘆の声を漏らすとザルフェルは脱いだ帽子をこちらにかざして見せた。


「魔変帽、という。これさえ被れば思い通りの姿に変身が出来る」


 そう言って彼は帽子を被った。黙々と煙が彼を包み、それが収まったときにはビキニ姿のナイスバディお姉さんに変身していた。


「どうかしらん? あっはーん」


「……声が変わってませんよ」


 いくらグラビアアイドルのような容姿になったとしても、身長は馬鹿でかく、地鳴りの様に低い男声なのだからオカマにしか見えない。


「変声飴を忘れてしまってな。がっはっは」


 ザルフェルは大げさに笑い、もとの姿に戻って見せた。


「そんなことより、どうしたの? 急に現れて」


 姉が尋ねると「おおそうだった」とザルフェルは手を叩いた。


「すまんが、先日の依頼の期日が今日であった。我輩が日程を間違えて伝えておったようだ。まことにすまぬ」


「いきなりそんな事を言われても困るわよ」


「なんだ。まだ候補者すらおらぬのか。参ったな。既に何人か候補が出ていると思ったのだがな。先代の時は二三日あれば直ぐに何名か候補者をあげてきたものだぞ」


 姉は唇を噛む。言い返したいが何も言い返せないのだろう。


「経験もあまり無いおぬし等には難しい注文をしてしまったようだな」


 そのザルフェルの哀れみと諦めの入り混じった言葉に姉の眉毛がぴくりと動いた。


「候補者がいないのならば仕方が無い。費用はかさむが、死神デリバリーサービスの連中に頼むか」


 姉を煽るように。あからさまにがっかりした顔を作るザルフェル。

 死神デリバリーサービスというのは、この業界では知らぬものはいない大手の人材派遣会社だ。幸運堂が猫なら、死神デリバリーサービスは虎か獅子ほど規模が違う。


 元々は死を司る死神達の仕事を斡旋する霊能力者達の仲介屋だったが、時代の変遷と共に多角的な事業を展開していて、現在は表社会でもデリバリーピザ屋などを運営しており、資金も潤沢にある。


 確かにあそこに頼んだら直ぐに候補者をピックアップしてくるだろうな。


「待って!」


 姉が声を上げた。姉からは死角になって見えなかっただろうが、ザルフェルがにやりと微笑んだのが僕には見えた。


「それには及ばないわ。大丈夫。この仕事、このラッキー堂に任せて」


「だから幸運堂だって」


 僕の一言はあっさり無視して姉は腕を組み睨みつけるようにザルフェルの前に立ちはだかる。


「あれ、でも姉さん。応募は来てないよ」 


 当然の疑問だ。悪戯電話しか来ていないのに、どうやって人を出すのだろう。僕が首をかしげていると姉は自信満々に啖呵を切った。


「私が行くわ!」


 出た。姉の奥の手だ。

 奥の手といっても、ここ最近は結構な頻度で奥の手を出しているので、僕としても「また出たか」と思う程度の代物だった。


「そうか。我輩としてもそれは大いに助かる。三代目自ら出向いてくれるとなれば、諸々の説明も省くことが出来るからな」


 ザルフェルはしたり顔だ。


「出発は明日朝九時で構わんか?」


 用意していたかのようにザルフェルが尋ねる。


「いつでもいいわよ」


「泊り込みになるんですか?」


「一週間ほどだ。派遣バイトなら毎日帰宅させるつもりではあったが、三代目が出向いてくれるのならば、滞在してもらえると助かる。輸送費もこちら持ちなのでな」


「構わないわ。手当ては出るんでしょ」


「がはは。抜け目が無いな。勿論出るぞ」


「なら泊り込みでOKよ」


 異世界で寝泊りすることに何の抵抗も無いのが姉の豪胆な所だ。


「それに、ここの食費も浮くしね」


 こちらを振り向きウインクをする姉。確かにそれもそうだ。


「では、明日の九時に迎えに上がる。よろしく頼むぞ」


 そう言い残し、ザルフェルは人間に化けて事務所を出て行った。


「結局また私が行く羽目になってしまったわね」


 ザルフェルを見送った後で、さして落胆もしていない様子で姉がこぼす。

 最近は毎度のことになりつつあるので姉も慣れてしまったのだろう。


 僕達は登録者に仕事の斡旋を行うが、別に自分達がその仕事を行ってもいいのだ。業界大手の死神デリバリーサービスなどは派遣業もしつつ、自社の社員が仕事を行う代行業にも手を出している。


 僕達のような小規模業者だと効率が悪いから本来やらないのだが、めっきり仕事が減っている昨今では、派遣を雇うより直接仕事を請け負った方が実入りは良い。


「いいけどね。どうせ、姉さんが居ないからって忙殺されるほど仕事は無いし」


 誰に言うでもなく、一人ごちる。


「志は高く持ちなさい」


 と、姉は叱咤するがその言葉は僕には響かない。僕は平凡な生活がしたいのだ。将来だって、こんな店は姉に押し付けて銀行員であるとか会社員であるとか、そういった所謂「サラリーマン」になりたいと思っている。終身雇用の時代は終わっているが、やはり企業の傘の下で生活するのは安心感が格別に違う。こんなあけっぴろげに公言できないような自営業よりも何倍もマシだ。


「明日から留守番頼むけど、戸締りと火の元には注意しなさいね」


 急に母親のようなことを言い出す姉。いつも鍵を忘れて出かけるのはあんだだろ、とは言えない。


「仕事がもし入ったら、ちゃんと人集めするのよ」


「わかってるよ。仕事がはいったらね」


 そう言いつつも、仕事など入らないだろうな、と内心では思っている。最近は一ヶ月に一つ依頼が来るか来ないかの頻度の仕事量なのだ。だからこその『もやし生活』なのだ。


 留守番をしながら派遣登録を促す怪しいメールを手当たり次第打ったり、ブログ上で募集したりして過ごすのが最近の僕の仕事だ。


 だから姉がいなくても生活はほぼ変わらない。

 また明日から一人時間を潰す日々が始まる、それだけだ。

 ヒマな時間が待っている。

 また人生について考え始めてしまうのかな、と僕は自嘲した。


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