少女は決意する
その日の帰り、自宅までの道のりを、あたしはどうやって残り少ない夏休みを過ごそうかと考えていた。
いつもと同じ道、毎日歩く道。近道も信号の変わるタイミングも分かっている。目を閉じていても帰れそうな気がする。
通学路にある桜並木。初めて桜が咲き乱れる中を歩いた時はとても感動したのに、今ではただの通学路の一部に成り下がっている。
中学生の時に友達と計画して行った旅行の事は一日目の朝から順を追って思い出せるのに、一昨日の味噌汁の具はもう思い出せない。
あたしは早く家を出たい。
無意識に日々を過ごしたくない。夏休みは非日常だと思っていたけど、もう既に鍍金は剥がれ落ちてしまっていた。
犬の遠吠えが響く夜道を一人歩く。
そういえば、あの角を曲がると、あの日貼り紙が張ってあった電信柱がある道だ。 近藤って人は結局、いたずらされていただけなのだろうか。もうあたしには知る由もないけど。
(はい、近藤ですけど……)
あの間抜けな声が頭に残っている。ケータイの履歴にはまだあの番号は残っているはずだ。
電話してみようかな。
そんなことが頭をよぎった事に自分でも驚いた。馬鹿馬鹿しい。いたずらに決まっている。頭ではそう思っているのにいつの間にかカバンから携帯を取り出していた。
ピンク色が気に入ってわざわざショップで取り寄せてもらったこのケータイはまだ半年しか使っていないのに傷ついてみすぼらしい姿になってしまっている。
一緒に機種変更した美智子のケータイはピカピカなのに。なんでこんなに差があるのだろう。
発信履歴を確認する。
履歴をさかのぼっていくが、なかなかラッキー堂の電話番号を発見出来ない。遡れるだけ履歴を見てみたけど、あの電話番号はなかった。
そんなもんか。
息を思いっきり吸うと夜の匂いがした。
長年使わなかったから捨てたのに、捨てたらすぐ必要になったり、どこか間が悪いって事よくある。
つまんないな、と思いながら歩いていると、あの電信柱が見えてきた。 『北川病院直進200メートル』と看板が貼られている電信柱。ここに彼女募集のチラシが貼ってあったのだ。
近づいてみるが、何も貼られてはいない。
やっぱり、何もないか。
少し期待した分だけ虚しさが残った。
目を逸らした瞬間。
次の電信柱に白い貼り紙がある事に気づいた。
貼り紙は、この前と同じ腰の高さにあった。まさかと思いながら覗き込む。
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『急募!! 勇者大募集中!!
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心臓の鼓動が早くなる。
あたしはすぐにその貼り紙を破り、駆け出した。
もう、ダッシュだよダッシュ。
家に帰ったあたしは制服も脱がずにケータイを取り出した。
貼り紙を見ながら慎重に電話番号を入力する。
震える指で通話ボタンを押す。
着信音がなる。
今回は迷いなどなかった。
電話を取る音、名乗ろうとする男の声をあたしは遮った。
「あなた、近藤さんでしょ!? 変な貼り紙に電話番号載せられてるの知ってるの?」
「えっ……は?」
当惑した様子の相手。考えてみれば当然で、知らない女から変な電話がかかってきたのだから、そりゃ困惑もするだろう。だけど、教えてあげないともっといじめはエスカレートするかもしれない。
だが、予想と反して彼の口からは驚くべき言葉が飛び出した。
「えっと、電話番号合ってますか? 近藤ではないんですけど……」
「へ?」
自分でも随分と気の抜けた声が出たと思った。
「ち、違うんですか?」
「はい、違いますけど…」
気恥ずかしさで顔が熱くなる。
「ま、間違えました!」
急いで電話を切りベッドに放る。
うそ、違うってなに? どういうこと?
もしかしたら前の貼り紙と今日の貼り紙は別の人の番号が書いてあったのかもしれない。確認する術はないけれど。
慌ててゴミ箱を漁ってみるが、既にあのチラシは捨ててしまっていた。
肝心な所でダメなんだよなぁ、あたしって。がっくりと肩を落とし溜息をつく。
再度電話をかける気は失せてしまっている。近藤さんかどうかでなくチラシについて尋ねればよかったのに。何か勝手な勘違いをして恥をかいてしまっただけだった。
その時だ。
電話が鳴った。嫌な予感を抱きつつ、ベッドに投げられているケータイに手を伸ばす。
……さっきの番号からだった。
しまった。あたしの馬鹿。非通知にするのを忘れていた。
手のひらで震えているケータイを握り締め、出るか出ないか迷う。迷っているうちに規定回数のコールが終わり留守番電話につながってしまった。
ひとまずほっとする。
しかし、留守電の案内が流れているのに電話は切られない。
あたしは自然と耳を澄ます。
「先程お電話頂きましたコーウンドーの細波と申します」
この前の近藤クンと同じ声だ。息を潜め受話器に集中する。
「もし、先程のお電話が間違い電話ではなく、『ある貼り紙』を見てこちらまで掛けられたのでしたら、折り返し連絡を頂戴したくお電話させて頂きました。なにとぞ、宜しくお願い致します」
丁寧にそう言うとカチャリ、と電話は切れた。
コーウンドー、ってなんだろう……。
『ある張り紙』ってコレの事なのかな。手元のチラシを目をやる。
等間隔に並ぶ無気力なゴシック文字が今更になって恐ろしく見えてきた。
自分からは相手のテリトリーに踏み込むくせに、相手が自分の生活圏へ入り込んでくるのは怖いと感じる。
それに本当に怖いものってのは得体の知れないものなんだ。そしてこんな得体の知れないモノに手を出し、案の定青ざめている自分はやっぱり馬鹿だ。
まあ、客観的に自分を見ることができているのだから、まだ心に多少の余裕はあるのだろう。
よし、まあいいや出たとこ勝負だ。
そう自分に言い聞かせ、ケータイを握りしめる。あたしは折り返し電話をかけてみようと思ったのだ。
最後の夏休みだし。平凡な日常には辟易なのよ。
意を決して電話をかける。
「はいコーウンドーです」
そっか近藤じゃなくてコーウンドーって言っていたんだ。
もう、あたしのあわてん坊め。
「すみません、貼り紙を見て電話したんですけども」
緊張で声が震える。
「ああ、先程お電話頂いた方ですか?」
「はい、そうです」
丁寧な応対が怪しい気もする。だが、口を開いていると不安は小さくなっていた。
「どういったチラシをご覧になったのでしょうか?」
「どういったっていうのは、あの、彼女募集中ってのと、勇者募集中ってやつの事ですか?」
聞くと相手は少し驚いた。
「あ、どっちも見てたんですか」
つい普段使いの言葉が出た、という感じだった。
もしかしたらあたしが思っているより若いのかも知れない。彼の声はそんな印象を抱かせた。
「でも前のチラシは捨てちゃったんですけど」
「ああ、そうなんですか。ともかく、お電話ありがとうございます。コーウンドーでございます」
「あ、どうも。石井です」と、とっさに自分の名前をだしてしまって激しく後悔する。
馬鹿馬鹿。こんな怪しい電話に正直に答える必要なんてないのに。もうホント馬鹿。
「石井様ですね。チラシの内容に興味を持たれてお電話頂いたという事でお間違いないでしょうか?」
「えーっと、まあそうですね、はい」
今更警戒して曖昧に答えては見たが、既に携帯の番号と名前は相手に知れてしまっている。自分自信の浅はかさに、あきれ返ってしまうよ。
「ありがとうございます。では詳しい説明は弊社にお越しいただいてからということで宜しいでしょうか」
全く、なんでこんな怪しい人に名前言っちゃったんだろ。
今の時代、電話番号と名前を知られちゃったら、探ろうと思えば家の住所だって簡単に調べられちゃったりするかもしれない。あー、どうしよ。
「あの、よろしいでしょうか?」
「え、あ、はい」
慌てて返事をする。返事をしてから、また余計なことを言ってしまったことに気付く。
「では今から指定する住所に、いらっしゃってください。メモの用意はございますか?」
有無を言わさぬ感じで男は続ける。とっさにシャーペンを取り、
住所をメモする。
教えられた住所は三軒茶屋の駅から大通りを一本外れた所だ。あたしの家の最寄り駅から二駅と、意外に近かった.
でもそんな怪しい1店があったかな。
「日時の指定などはございませんので。いつでも都合の良い時にいらしてください。もし来ていただいた際に不在であったらご縁がなかったということでございます。申し訳ございませんがご了承くださいませ」
「はぁ、そうですか。わかりました」
「あ、でも、出来れば明日とか都合がつくと嬉しいです」
どっちなのよ。いつでもいいと言ったり、明日来てと言ったり。はっきりしない男ね。
「明日は、多分、いけると思います」
「本当ですか? いやぁ、よかったです」
「何時ごろ行けばよいですか?」
尋ねると、何故かコーウンドーは言葉を詰まらせた。
「あの……いえ、大丈夫です。好きな時間で結構です」
なんでだろうか。まあ、いいか。好きな時間でいいって言ってるんだし。
「それでは、明日お待ちしております。失礼いたします」
そう言い残して、コーウンドーは電話を切った。
電話を終えたあたしはベッドに寝転んだ。
さて、どうしようか。
美智子にメールを入れてみる。すぐに返事がきた。 『またヘンな事して~(ヒヨコのスタンプ)バカな事やってるヒマあったらカラオケ連れてけー(パンチ)』 だそうだ。予想通りの何の参考にもならない反応であった。
コーウンドー。
英語かな?それとも高運動? 幸運堂?
わかんないけど、幸せとか、幸福とか謳っているんだったら怪しいモンね。
幸せも不幸もきわめて個人的なものだもの。自分の幸せが他人の幸せに直結するなんておこがましいこと思わないで欲しい。
それにしても時間も指定しないで住所だけ言って好きなときに来てくださいなんて怪しいでしょやっぱり。
指定の住所をインターネットで調べてみる。特徴のない商店街の隅っこだ。
リサイクルショップや金物屋くらいはあるが、ほぼ住宅街の中である。指定された場所が廃工場とか、空き地みたいな駐車場とか、深夜の公園とかなら怖いけど、住宅街でいつでも来ていいというのは、あやしいけれども不審ではないかもしれない。信用できそうでもある。罠かもしれないけど。
いや、罠ってなんだ、罠って。何のための罠だ。うら若きあたしの体を狙った非道な罠か?
疑問は堂々巡りで回るばかりで答えも仮説も出やしない。
「あゆみー。ごはんよー」とリビングから母の大声。
そういえばまだ夕食をとっていなかった。
「いまいくよー」こちらも大声で返事をして制服を脱ぎ始める。
ま、虎穴に入らずんば、なんとかかんとかって言うし。行ってみようかな。なるようにしかならないよね、と鏡に映る自分に言ってみた。
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