少女は勇気を振り絞る 2


「あたし、美智子さんが言う、暇人で変人の側の人間なのですが、電話掛けてみない?」



 おどけて挙手をする。一人だったら多分電話などする勇気は無いのだけど隣に美智子がいると気が大きくなる。



「えー、絶対止めといた方がいいよ!」

 美智子の反応はあたしの期待したそれとは大きな差があった。あれー、もうちょっと食いついてくると思ったのだけどな。

 いつもは割と美智子はあたしの馬鹿話に付き合ってくれるのに。


「なんで?」



「なんでって、怪しすぎるでしょ」



 当然でしょ、と美智子は付け加えた。



「怪しいから面白そうなんじゃん」



「やめときなさいって。それより今日の埋め合わせはいつしてくれんの?」



 美智子は乗り気でない所か、この話自体を終わらせようとした。


「えー、ノリ悪い~」


 ぶう垂れるあたしに美智子は呆れ顔。



「したいならしてみればいいじゃない。でも非通知にはしておいた方がいいと思うよ」


 呆れ顔の美智子。なんでそんなに嫌がるんだろ。いいじゃん。おもしろそうなのに。

 あたしの面白いという基準と美智子のそれは近いんだけど、やっぱり合致はしないわけで、あたしが面白いからやろうと言うのに美智子が渋るという事も多々ある。でも、あたしが面白いって思って実行した事で面白くなかった事なんてあんまりないじゃん。


「え? マジで電話かけるの?」


 携帯に貼紙の番号を打ち込むあたしに美智子は訊ねた。


「うん」



「ちゃんと非通知にした?」



「してるー」


 貼紙と照らし合わせながら番号を入れていると段々と緊張してくるから不思議だ。


 電話番号の下には『ラッキー堂』という企業名らしき宛名が書いてある。名前からして、とても怪しい気はするんだけど後には引けない。気づかれないように小さく深呼吸をする。



「……あんた緊張してんでしょ」



 返事はしない。図星だけど認めない。やっぱり辞めといた方がいいかなって心の中で呟いてるあたしもいる事はいるんだけど、断固認めない。


 考えてみれば美智子が止める時はそれなりに理由があるわけで、あたしが乗り気でも美智子が乗り気じゃなかった時は、後からやっぱり辞めといたほうが良かったと後悔する事も多いような気もする。


 さっきと話が違うって?

 まあ、いいじゃない。



 ともかく、あれだけ美智子に電話しようと言った手前、引き下がるのも癪だし、もしかしたら退屈な夏休みを打開する糸口がここにあるのかもしれないと思ったのも事実なのだ。

 あたしは刺激が欲しかった。たとえそれがインドの密林直行便だったとしても。
 番号を入れ終え通話ボタンを押す。深呼吸して携帯を耳に当てる。



 一回二回と呼び出し音が鳴る。出ない。

 三回四回と呼び出し音が鳴る。まだ出ない。



 もう、出るなら出る。出ないなら出ないでハッキリしなさいよ。

 なんて思った瞬間、ガチャリと電話を取る音。



『はい、近藤です』



 出た!! ヤバい、どうしよう。


 なんて言えばいいかわからない。頭の中が真っ白になった。


『もしもーし。近藤ですけどー』


 相手はもう一度そう名乗った。近藤?

 ラッキー堂じゃないの?

 個人名を言われても……。


 あ、まさか、あたし番号を間違ったのかも。

 そう思うと一気にパニックになった。


『どちらさまですかー?』


 どうしよう!? 間違えちゃったのかも!

 あたしはとっさに『切る』ボタンを押してしまった。通信が絶える。

 固まるあたし。不思議そうにこちらを見ている美智子。



「なに? どうなったの?」



 のぞき込んでくる美智子。



「き、切っちゃったぁ」


 魂が抜けるような脱力声で返事をする。 



「はぁ? なんでよ」


「いやね、なんか、だってなんか、名乗られたんだよ」


「そりゃ名乗るんじゃないの?」


 正論を言う美智子。


「ちがうのー。だって、近藤ですけどって言われたんだよ。誰!! 誰だよ。ラッキー堂じゃないのかよ。仮にあんたがラッキー堂の社員の近藤だとしても、会社の電話なんだったら企業名言いなさいよー、突然名乗られたって、こっちはマックステンパるっつーの」


 天に向かって叫ぶ。ムキー。 



「番号を間違えたんじゃないの?」



 あたしは携帯に表示されている電話番号を美智子に見せた。美智子は両方を見比べた。



「番号は間違ってはいないね」


「でしょー。なんなのよー、どういうことよー!」


 無意識にバタバタさせていたあたしの手をつかむ美智子。



「まず落ち着きなさいって。ほら深呼吸、深呼吸」


 言われるがままに深呼吸をする。吸って吐いて吸って吐いて。何度か繰り返すと、なんとか落ち着いた。まだ心臓はドキドキ言っているけど頭は冷静になれた。


 どういうことだろうか。


「もー、最悪ー」


「いたずらだったんだよ、きっと」



 つまらなさそうに美智子が呟いたので、なるほど、とあたしは簡単に納得した。

 いたずらか。言われてみれば確かにそうかもしれない。


 近藤クンはいじめられっ子なのだ。いじめっ子が勝手に変なチラシを作ってそこに近藤クンの電話番号を載せたんだ。

 近藤クンは知らない電話番号からいっぱい電話が掛かって来て困るだろうし、あのチラシを作ったいじめっ子達はそれをみて喜ぶ、とそんな感じだろう。


 あのやる気のない貼紙はそういうことだったのだ。うん、我ながら完璧な推理。

ま、真相はわかんないんだけど。


 とりあえず期待していた非日常は幻と消えさったことだけは確かだった。


 残念だけどホッとする。ホッとするけど腹立たしい。矛盾した感覚が湧き上がるが、どちらも本心なのだから仕方ない。


 拍子抜けしちゃったなぁ。

 あたしはベットで仰向けになり天井を見上げた。


 白い壁紙の天井。小さい頃は天井も壁も派手なピンクにして欲しかったけど「シンプルイズベスト。人生平凡が一番だよ」と父はあたしの意見を聞いてくれなかった。

 美智子は既に興味を無くしているのか、元からさほど興味が無かったのか、パラパラと雑誌をめくっている。


 ちぇ、あたしだけ空回りしていただけだった。


 黙って雑誌を読んでいる美智子の脇で再び襲う眠気にうつらうつらしていたが、あのチラシに対する不満はどうも消えない。


 期待し過ぎて拍子抜けとか良くある話だけど、やっぱり現実ってこんなものなんだろうか。

 美術部の友人サッチーの「SNS事件」だってそうだ。


 写メしか見たことないのにサッチーったらはしゃいじゃって、新しい靴なんか買っちゃって、婚前旅行の妄想までしちゃってたもんなぁ。哀れだったな、あの時のサッチーは。会う前から彼氏が出来るかもー、なんて騒いでて。


 実際会ったら話も合わないし、顔も写真となんか違うし。うまくいかないもんだね、現実ってやつは。

 そんな過去の友人のぬか喜びの表情と現実に打ちひしがれた悲壮な表情を思い出し、あたしはえもいわれぬ虚無感に包まれた。


 ぼんやりと窓の向こうを眺める。向かいの家の壁と空と庭木しか見えない、いつも通りのありきたりな風景。

 美智子はあたしの気も知らないでまだ雑誌を読んでいる。美智子はあたしの日常への不満や非日常への憧憬も、何にも知らないでこの時間を過ごしているんだ。



 時間が立つに連れ心の中では腹だたしさが満ちてきた。


 そもそも、近藤クンがいじめられっ子だからいけないのよ、と見当違いの責任転嫁をしてみる。いじめっ子が一番悪いのは当たり前だけれど、いじめられてる方にだって非はあると思う。いじめられたくないなら何故戦わないのか。


 愛想笑いで済ませているからエスカレートしていくのに、なぜそれに気がつかないのか。


 そして、あのとぼけた声。


 何が「近藤ですけど…」よ。



 ですけどって何よ! ムキー!



「あゆみ? いつまで気にしてんのよ。ねぇ、もうその事はいいから、今日の埋め合わせ決めようよ」



 美智子ががあたしの顔をのぞき込んでいた。眉間に寄せていた皺を緩めて無理やり笑顔にする。


 そうだ。こんな無駄な事に気を取られるなんて馬鹿馬鹿しい。忘れよう。こんなアホな近藤のことなど。



「そうだよね、カラオケね、えっと水曜日はどう?」


 あたしは鞄から手帳を取り出した。


 夏休みはまだある。

 楽しい事はいくらでも起こるはずだ。

 あたしはそう自分に言い聞かせた。

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