少女は勇気を振り絞る 1

「では、これからあなたには僕の彼女になってもらいます。三ヶ月は試用期間ですので時給は通常の二百円引きの二千円です。では、こちらの服に着替えてください」 


 男があたしに手渡してきたのは、ひらひらした黒いワンピースだった。

 手渡されて広げてみると、よくアニメや秋葉原なんかで見かけるメイド服って奴。


「こ、これを着るんですか?」


「そうだよ。僕の彼女なんだから当然だよね。いっそご主人様って呼んでもいいよ」


 男はうんうんと頷いている。怯えるあたしに大きな手が迫ってくる。

 男はあたしの肩を強く掴んだ。

 やばい、どうしよう。逃げられない。

 男の顔が近づいてくる。やばい、やばい。何されちゃうんだろあたし。

 男はあたしの耳元で囁いた。


「ああ、可愛い僕の彼女、鎖骨を折っちゃおうかな」


 ふふふと笑いながらあたしの首筋に手を伸ばす。鎖骨はダメだ。昨日のテレビ番組が思い出される。鎖骨の骨折は直すのに時間がかかるらしい。せっかくの夏休みなのに、鎖骨を折られるのは勘弁して欲しい。


「ちょ、鎖骨は駄目! 治りにくいんだから! ギブスとかやたら仰々しいんだからぁ!」


 あたしは叫ぶ。

 なぜ男に迫られて操よりも鎖骨を気にするのか、あたしにもわからないが、鎖骨のほうがずっと重要だと思っているのだ、きっと。

 必死の懇願も虚しく男はにたにた笑いながらあたしの鎖骨を撫でる。


 その瞬間、スポットライトが男を照らした。スタジアムは興奮の坩堝だ。

 あたしの鎖骨を撫でながら、高らかに謳いだす。

 あ、この人、なんか見覚えがあると思っていたら、大神リューヂじゃん。そっか。そうだった。あたしリューヂのライブに来ていたんだった。


 チケットは取れなかったはずだったけど、取れたんだっけ?

 ま、いっか。せっかくのライブだし楽しもう!

 って……ってあれ? なんか遠くであたしを呼ぶ声がするような、しないような……。



 もぞもぞと体を動かすと、枕もとで鳴り響く携帯電話が手に触れた。

 通話ボタンを押す。


『アユミ!? 約束の時間とっくに過ぎてるよ!』


「……ふえ?」


『って、あんた寝てたでしょ!! もう! 今からあんたんち行くから覚悟しておきなさいよ!!』



 耳から三十センチくらい離しても聞こえる程の大声は有無を言わさず一方的にまくし立て、そして切れた。


 ぼけっとした寝起きの頭で考える。 


 なんだっけ。


 あ、そうだ、美智子とカラオケに行く約束をしていたんだ。じゃあ、今のは夢かぁ。

 気付くのに数秒かかった。


 それにしても変な夢だったな。なんであんな夢を見たんだろう。

 あたしは寝ぼけ眼を擦り壁のコルクボードに貼られたチラシに視線を向けた。

 時間割やら部活の日程やら、友達との写真やらが乱雑に貼ってあるコルクボード。


 そこに昨日剥がしてきたチラシもピンで留められていた。あの電信柱から剥がしてきたチラシは一晩たっても、色褪せることなく異彩を放っている。

 夢の原因は絶対これだ。


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【彼女大募集中!!】

 40歳くらいまでの健康な女性(高校生可)


 時給2,200円

 食事手当て 有


 深夜手当て 有

 制服貸付



  ※短期間でのバイトなので初心者でも大丈夫!

  もちろん、経験者は優遇します!!



 ご応募はお気軽にラッキー堂まで!


 電話番号○○-○○ 』


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 昨日、犬のケンタローの散歩の途中で見つけたヘンテコなチラシ。電信柱の低い位置、ガードレールで見えにくい場所にわざと隠す様に貼られたチラシ。


 日常に不満があったからか、猛暑日の気温のせいなのかはわからないが、あたしはそのチラシに目を奪われてしまった。


 あたしの望む非日常がそこにあるような気がしたんだ。やる気の無い白黒のA4サイズの用紙が、あたしには非日常への入場チケットに見えたんだ。

 ……でも、それはやはり暑さのせいだろう。


 昨日は『夢と感動の非日常ランド、フリーパス券』に見えたチラシも、一晩寝かせたら『インド・ネパール密林の旅、航空券(往路のみ)』くらい危険な物に見えていた。


 電話口であれだけの剣幕で捲くし立てられたというのに、あたしはのんびりとシャワーを浴びた。

 急がなきゃいけないのは分かっているんだけど、頭も体もついていかない。朝が弱い。あたしの悪い癖だ。


 洗面台で歯を磨いているところでチャイムが鳴った。

 歯ブラシを口につっこんだまま玄関に出る。


「おはよー」



「おはよー、じゃないよ。この炎天下に馬鹿みたいに待たされるこっちの身にもなってよ。干からびちゃったらどうすんの」



 美智子はぶりぶり怒りながらも、「お邪魔しまーす」と我が家の奥のほうに声をかけ、脱いだパンプスをきちんと揃えて玄関の端に寄せた。

 気の置けない仲のあたしに対しても、こういう些細な気遣いが出来るから、どこに行っても皆から好かれるんだろうな。


「いやあ、朝弱くて……」


「朝って時間じゃないでしょ!」


 ビシッと指摘されてあたしは、えへえへと下手糞な愛想笑いを浮かべ頭を掻いた。

 だっさい部屋着のあたしの横を白い花柄ワンピースが通り抜ける。

 うーん、華やか艶やか色っぽい。

 自分のよれよれのTシャツと美智子の姿を見比べてみる。言うなれば美智子は少女マンガの美少女ヒロインで、あたしは少年漫画、しかもギャグ漫画のキャラクターみたいだ。


 まったく、美智子は美人でスタイルもいいんだから腹立つわ。

 そりゃ、あたしだってヒールさえ履けばスニーカーを履いている時の美智子と同じくらいの腰の高さにはなるけどさ。

 あ、それって何の自慢にもならないか。



「あら、美智子ちゃんいらっしゃーい。何? カラオケ行くんじゃなかったの?」



 母が亀みたいにリビングから頭だけ出した。



「あ、おばさん、こんにちは。いつものパターンですけど、あゆみの寝坊で中止です」



「あゆみ! あんた今まで寝てたの!?」



 気づかないのも母親としてどうなのよ、と思いつつも変に反論はしない。夏休みは短い。退屈なお説教など聞く時間がもったいないのだ。


「はいはい、すいません」


 適当に返事をして冷蔵庫からオレンジジュースを取り出しコップに注ぎお盆に乗せる。


「まったく、生活のリズムはちゃんとしておかないと学校始まったら大変よ」

「分かってるよ! ほら、ミチコ、早く部屋行ってよ」



 あたしは美智子を追い立てるように自分の部屋へ向かう。

 美智子の後姿をまじまじ見ると、その腰の高さにいつも驚かされる。

 スタイルはいいし、肌出してるくせに焼けないし綺麗だし、瞳は大きくてまつげは何もしなくても扇みたいに広がっているし、化粧いらずのナチュラル美人。

 こっちは毎日時間かけて二重に偽装してるってのに嫌になっちゃうよ。


 当然男子にもモテモテ。でも美智子は男子の前では緊張して上手く喋れなくなって、つっけんどんな態度になってしまう。

 それがクールで近寄りがたい雰囲気の女と捉えられていて、近づきたいけど上手く近づけないという男子が多い。

 そんな男子が美智子と仲のよいあたしを足がかりにしようと寄ってくることが多く、いい迷惑をしているのだ。


 くそ、憎き諸悪の根源、美智子め。いつかその鼻をへし折ってやるぞ。


 眉間に皺を寄せたまま階段を上がる美智子の後姿を追う。


「なにこれ」



 部屋に入るなり、彼女は不思議そうな顔をしてコルクボードの貼り紙を指差し振りむいた。


「って、なんて顔してんのよ。般若のお面みたいよ」


 指摘されて慌てて表情を緩める。


「そ、そのチラシ面白いよね。バイト募集みたいな軽い感じでさ。変だから持って来ちゃった」


 書体や文字の大きさも始終変える事もなく、イラストもない嫌々作らされたレポートみたいな、なんとも無気力なチラシ。


「ふーん。何かしらね。こんな色気の一つもない貼紙で、誰が応募しようなんて考えるのかしら。よっぽどの暇人か変人ね。彼女募集中、深夜手当、制服貸し出し。うん、怪しい言葉のオンパレード。始めから最後まで不審な点しかないし、気味が悪いわね」


 ズタボロに言われてるぞ、ラッキー堂。しかし、美智子の言うところの暇人の変人というのはあたしの事なのかもしれない。


 気味は悪いんだけど気にはなる。


 それこそ、さっきの夢みたいに無理やりメイド服かなんかの妖しげな衣装を着させられて、押し倒されるって可能性も無きにしも有らずだし。


 でも電話番号も書いてるから、そんなあからさまな犯罪行為をするってことはないのかなあ、なんて思ったりもする。

 じゃあ何なのか。気になる……。


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