第6話
「少しでも疑わしいものがあれば、それらをすべて偽りとして退け、徹底的に疑うことで、どうしても疑うことのできないものが私の核心の内に残らないであろうか」 ルネ・デカルト
熱心な日蓮の信者によると、将来、人類のほとんどが日蓮の信徒になり、それ以外の少数派は変人扱いされるそうである。その原動力となるのが、どんな迫害もものともしない信徒たちの広宣流布への情熱である。そのためには、どんなタイプの人間にも日蓮の主張を心の底から納得させる必要がある。
不惜身命と、信者に向かって命を捨てて折伏しろと言うだけなら誰でもできる。まずは教祖自身に見本を見せてもらいたい。日蓮なら、どんなタイプの人間でも折伏できるはずである。そこで本章では、適当に思いついた十名の著名人相手に、日蓮が折伏を成功させることができるかどうか予想してみたい。
題して、
「ザ・折伏祭り 日蓮試練の十番勝負」
挑戦者はもちろん、どんな相手にでも不屈の精神で挑む我らが日蓮である。
挑戦者 日蓮(法華原理主義)
教条主義(ドグマティズム)の一派。教条主義とは、状況や現実を無視して、科学的証明なしに、ドグマ(教義や教条)にもとづき世界の事象を説明することをいう。絶対的な明証性をもつと信じ込んだ基本的原理(南無妙法蓮華経)を基に、競合する全ての哲学や思想を破折していく。
まずは先頭バッターとして近代合理主義の祖、ルネ・デカルトに登場してもらおう。
1 デカルト(懐疑主義)
デカルトはフランスの哲学者、数学者である。デカルト幾何学と呼ばれる解析幾何学の創始者。デカルト(直交)座標は彼が考えついたものではないが、彼の思想の延長線上にある。積極的に疑い、少しでも疑わしければそれを排除するとする方法的懐疑と呼ばれる思考方法を用いた。
彼は、数学を他の学問に応用することや、数学と現実世界との対応関係に関心を持っていた。しかし、自身が数学者のくせに、数学も偽りとして斥けた。
「幾何学のもっとも単純な問題についてさえ、推理を間違える人々がいるのだから、私もまた他の誰とも同じく誤りうると判断し、私が以前には明らかな論証と考えていたあらゆる推理を、偽なるものとして投げ捨てた」と述べている。
このような人物を論理的に折伏するのは、相当困難だと予想される。目の前に広がる世界も幻覚で本当は存在しないかもしれないので、偽りとして斥けた。つまり目の前でどんな奇跡が展開されようと、デカルトを入信させることはできない。
「私はすべての存在を疑って退けたが、そのように疑っている私自身が存在することは疑い得ず、それは確実に存在する」
と彼は述べているが、阿含経の中での、釈迦は世の中の見方を次のように語っている。
「身体がある。身体は誕生し滅びる。感覚がある。感覚は発生し消える。意識がある。意識は発生し消える。もう空想を思い描くのはやめて、ああだろう、こうだろうとかいうような憶測も、自分の考えではこうだとかも捨てた」
なんとなくデカルトと似ているような気がするが、なんとなくという曖昧な表現をしては、この二人に失礼なのでやめておこう。ちなみにデカルトは神の存在を認めていた。ただし、信仰上の神ではなく、推論上の存在である。しかし、デカルトの神の存在証明はカントにより誤謬とされた。
さあ、対決本番だ。信じなければ地獄に堕ちる法華経と、少しでも疑わしければそれを排除する方法的懐疑の対決でもある。まさに盾と矛の対決だ。坊主頭のこめかみに血管を浮きあがらせて折伏を挑む日蓮に対し、デカルトなら冷静にこう答えるだろう。
「幾何学のもっとも単純な問題についてさえ、推理を間違える人々がいるのだから、日蓮もまた他の誰とも同じく誤りうると判断し、日蓮が明らかな論証と考えているあらゆる推理を、偽なるものとして投げ捨てた」
2 ルソー(啓蒙主義・百科全書派)
18世紀のフランスで活躍した哲学者、政治学者。フランス革命に影響を与える。カント曰く、「わたしの誤りをルソーが訂正してくれた。目をくらます優越感は消え失せ、わたしは人間を尊敬することを学ぶ」。
さあ、対決だ。日蓮の誤りをルソーが訂正するか、ルソーが百科全書に法華経学を加えることになるのか。
法華経以外の諸経を釈迦の方便とする日蓮の主張に対し、彼の言葉はこうだ。
「方便の嘘とは、正真正銘の嘘である。というのは、他人とか、あるいは自分の利益のためにひとを歎くことは、自分の利益を犠牲にしてまで歎くのと同じく、不正だからである」
3 ニーチェ(虚無主義)
ドイツの哲学者。絶対的な真理はないという虚無主義に基づき、文化、道徳、宗教などの権威を批判。科学の進歩により、宗教の説く幻想は崩れていく。神が死んだ世界で、強靱な意思の力で現実に立ち向かう超人的生き方を説いた。
「聞け、私は日蓮に超人を教える。君達は地上を超えた希望を説く日蓮を信じてはならない。かつては、法華経を冒涜することが最大の冒涜だった。しかし法華経は死んだ。そして法華経とともに、それら謗法者達も死んだのだ」
4 マルクス(共産主義、唯物史観)
経済学者、思想家。資本主義の行き詰まりと、それに変わる共産主義を説いた。
「すべては疑いうる。法華経的悲惨は現実的悲惨の表現でもあれば現実的悲惨にたいする抗議でもある。法華経は追いつめられた者の溜息であり、非情な世界の情であるとともに、霊なき状態の霊でもある。それは人民の阿片である」
5 デモクリトス(唯物論)
古代ギリシャの哲学者。原子論を作り上げる。唯物論の先駆者。万物はケノン(空虚)とアトム(原子)という、たった二つのものによって説明できるとした。アトムにより、無数に存在する宇宙は生成から消滅に至るという。
「原子の自発的な運動によって、世界は成り立っている。日蓮の唱える南無妙法蓮華経という原理の入り込む余地はない」
6 イブン・アル・ハイサム(イスラム科学)
最も偉大な科学者の一人。天文学・数学・医学にも通じる。近代光学の父。鏡やレンズについて実験を行い、光の屈折や反射の原理をいくつも発見する。帰納法によって仮説をたて、実験によってその仮説を検証し、理論を打ち立てた。ニュートンら西洋の科学者に多大な影響を与える。
「法華経に記されている釈迦の額から出る光について、実験では検証できなかった」
7 富永仲基(大乗非仏説)
江戸時代の思想家。大阪が生んだ天才。浪花商人でありながら、文献学的手法により大乗仏教の成立過程を明らかにし、大乗仏教は釈迦本人の説ではなく後世に創作されたとする大乗非仏説を唱えた。最初に唱えた説に、後世の人間が次々と新しい説を追加する加上により、全体がわけのわからないものになってしまうという。
一見、日蓮と対照的な人物と思われるかもしれないが、出した結論が違うだけで、両者とも霊感や迫害などに左右されず独自に文献を研究して結論を出した。商人と僧侶と職業は異なれど、どちらも文献学者なのだ。二人が話し合えば、日蓮が仲基を折伏するどころか、日蓮は仲基の説に賛同し、なんらかの宗教ムーブメントを起こしたかもしれない。仲基は言うだろう。
「一切は空とか、法華最第一などと大乗仏典に説かれているのは、各々の経の作者がそう言い張っているにすぎない」
「法華経は仏を褒め称えるか、自画自賛ばかりで、教理らしきものが説かれていない。経と名づけるに値しない」
国学者平田篤胤も、富永の「出定後語」を参考に「出定笑語」を著し、
「法華経は能書きばかりで、肝心の丸薬がない」と批判した。
8 エジソン(勤勉思想)
ご存じ発明王。ゼネラル・エレクトリック(GE)の前身となる会社を創業するなど起業家としての顔もある。猛烈な努力家としても知られる。オカルティストとしての一面もあり、降霊術や来世を信じていたようだが、一旦、日蓮の信者になれば、時間のほとんどを折伏に捧げなくては地獄に堕ちるということなので、エジソンならそんなことに費やす時間があれば仕事に打ち込むだろう。彼はきっとこういうに違いない。
「悩み事を癒すには、南無妙法蓮華経より仕事の方がずっといい」
9 アインシュタイン(理論物理学)
ドイツ出身の理論物理学者。光の速度は常に一定であることと、移動する乗り物を静止した人が観察した場合と、乗り物の中の人が観測した場合で速度が異なることから、相対性理論を導きだした。この理論により、空間や時間を感覚的に理解することが難しくなった。宇宙の秩序を神として信じていたと言われる。
記者「一般大衆には、とうてい理解できないような日蓮の理論に対して、一般大衆が、かくも熱狂的になるのはなぜでしょう」
アインシュタイン「それは精神病理学の問題でしょう」
10 釈迦(原始仏教)
仏教の開祖。紀元前五世紀ごろにインドで釈迦族の王子として生まれる。これほどラスボスにふさわしい相手はいない。日蓮は「釈迦に説法」をすることになる。
阿含経に曰く、「世間の人々の多くは、近寄り、つかみ取り、執着し、とらわれている。だが、仏弟子は、近寄り、つかみ取り、執着し、とらわれることがなく、『これが私なのだ』と確信することがない」
日蓮も、法華経に近寄り、つかみ取り、執着し、とらわれてしまい、これこそが真理であり私そのものであると確信してしまった。
彼ほど自説に固執し、他を拒絶する人間も珍しい。常に自分が一番でないと気がすまない。阿含経に説かれる十二縁起の四つの取著(執着)のうち、見解への固執(見取)と自分への固執(我取)が異常に強い。取著を取り去る方法が八正道なのだが、日蓮はそれを方便といって退ける。そんな自我肥大、自説執着の権化に対し、釈迦はこう説く。
「南無妙法蓮華経が真理であるとも、真理でないとも言わないが、法華経は私の説ではない」
しかし、釈迦本人がそう断言しても、日蓮はそれも方便だと解釈し、釈迦に折伏する必要がないことに気づく。
筆者の予想では残念ながら十戦十敗。たとえ十番勝負全てに圧勝したとしても、広宣流布ははるか先の話である。世の中にはまだまだ強敵がいることをお忘れなく。
広宣流布を達成するためには、科学者や思想家をことごとく折伏する必要があるだけでなく、それ以外にも各国首脳、ハリウッドスター、多国籍企業のCEO、マフィア、ローマ教皇庁、ユダヤ教のラビ、シャーマン、テロリスト、吟遊詩人、羊飼いなど数え上げればきりがない。
一見、非現実的な妄想に思えても、信者の頭の中では、彼ら全てが南無妙法蓮華教と唱える日が来るのだろう。
教会は打ち壊され、聖書は燃やされたとしても、イスラム教徒は頑強な抵抗を示すはずだ。当然、イスラム諸国とは戦争になる。同じ神を信じるユダヤ教徒やキリスト教徒ですら、ジハードの対象になるくらいだ。
彼らは啓典の民には厳しいが、仏教には寛容だと勝手に誤解しているあなた。寛容なのではなく、周りに仏教徒がいないので、仏教について全くの無知だから大きな反発が起きていないだけのことだ。仏教がアラーを否定していることがわかったら、啓典の民以上の攻撃をしてくるだろう。現にタイ南部やミャンマーではイスラム教徒と仏教徒が殺し合っている。
エルサレム奪回を掲げた十字軍のごとく、広宣流布を大義名分とし、日蓮諸国がイスラム連合との戦争に打ち勝ち、世界の有識者の大半が日蓮の思想を真理だと認めたとしたとしても、さらなる大問題が発生する。
これまで宗教ということで大目に見られていた日蓮諸宗による真理利権の独占がやり玉にあげられるはずだ。人類のほとんどが日蓮諸宗の信徒となった場合、その宗教マネーは先進国の国家予算に匹敵する。
しかし、真理と証明されたなら、以前のように宗教扱いするわけにはいかず、僧侶の出番はなくなる。国連直属の科学者からなる研究チームを発足させ、マンダラの発行に必要な条件を解析し、それが全人類に行き渡るよう量産体制を整え、日蓮諸宗を解体し、守旧派の僧侶を追放すべきだ。
これはたとえていえば、ニュートン家に代々伝わる先祖供養の儀式の中に、それ以前に未解明だった重力を利用している部分があったが、ニュートンの公表により、身分人種を問わず全ての人間が重力の利用が可能になったようなものだ。ニュートンには名誉が残るが、ニュートンの子孫に重力使用料を支払う必要はない。
ここまで日蓮を批判してきたが、日蓮から学ぶ点もある。彼は薬師経の他国侵逼難に基づいて元寇を予測した。インテリ集団だった仏教教団の中には、当然賢い人間もいた。釈迦本人の説でなくとも、優れた思想はところどころに見つけようとすれば見つかりそうだ。
底辺×高さ÷2の公式に当てはめれば、誰がやっても三角形の面積が同じになるように、日蓮のような思考回路の持ち主でも定理に従えば、正解が導き出せるということだ。なお、信者の方は、日蓮が元寇を当てたからといって法華経が優れているという根拠にしないように願いたい。法華至上主義だった日蓮は、法華経ではなく、地獄の因とした薬師経などから、他国の侵略を推測したのだ。
もう一点は、それがどんなおかしなことでも、本気で信じ込めば実現する可能性が高まるということだ。竜の口で斬首されそうになったとき、空に彗星らしき存在が出現し、危うく命拾いした。
日蓮が奇跡を起こしたのではなく、処刑の時間がその時間帯になるよう、彼の運命が調整されたのだ。誰もが自分の運命を無意識のうちにコントロールしているとわかれば別に驚くようなことはない。その程度のシンクロニシティなら、芸能人の体験談辺りでもいくらでもみつかる。
日蓮の信者がここまで増えたのも、彼が全く自説を疑わなかったからだ。広宣流布にむけての労苦ははかりしれないが、信者諸君はあきらめずに、無報酬で折伏に励んでもらいたい。うまくいけば、死後、寂光土にいける。多次元宇宙のひとつである寂光土の住人になれば、総人口二十万人、総面積二百平方マイルの平地で、二百兆グーゴルコンプレックス年以上、何事もなく平穏に暮らせるそうだ。筆者なら五万年もすれば飽きてしまうだろう。
番外勝負 鳩摩羅什(三論宗)
おまけの番外勝負。対戦相手は鳩摩羅什。法華経を漢訳したまさにその人。実は彼、三論宗という仏教の一宗派の開祖でもある。三論宗では、釈迦の言葉とされる経ではなく、仏教の解説書である論を論拠とする。翻訳の仕事を通じて、いかに経というものが怪しいか気づいたのであろう。自説が受け入れられず激昂する日蓮に対し、彼は自分の体験を淡々と語る。
「私が翻訳した時点では、妙法蓮華経の文の底にあったのは、南無妙法蓮華経ではなく竹だった」
当時は木簡や竹簡に文字を記したようだ。
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