第4話

 内容の異なる複数の経典があるだけでも面倒だが、末法思想がそれをさらに複雑にしている。


 末法思想とは、釈迦入滅後の時代の区分で、仏教が時代を経るごとに廃れ、正しい教えが実践されなくなるとする中国仏教界が生みだした思想である。インド仏教の正法、像法、法滅尽の概念から、正法、像法の次の時代を末法とする三時説が唱えられた。最初の千年が正法で正しい仏法が保たれ、次の千年が像法で教えが形骸化し、それ以降は教えが廃れる末法と時代は段階的に移っていく。


 大乗仏典の大集経では、五百年ごとに五つの時代が訪れるとしていて、三時説と結びつけられている。


 大集経             三時説

解脱堅固            正法時代

禅定堅固

多聞堅固            像法時代

造寺堅固

闘諍堅固            末法の始まり



 鎌倉時代の日本の僧侶日蓮も、

「大集経に、大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂、我が滅度の後の五百歳の中には解脱 堅固、次の五百年には禅定堅固、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せんこ等云々(撰時抄)」

 と、釈迦入滅後二千年から釈迦の教えが消えてしまうと記している。


 起点となる釈迦の入滅時期がはっきりしないが、主な説として、次のものがある。

 周書異記による紀元前949年

 中国チベットに伝わる紀元前四から五世紀

 東南アジアに伝わる紀元前五から六世紀


 歴史学的には、アレキサンダー大王のインド攻略の時期やアショーカ大王の遺跡から前四から前六世紀とされている。すると、平安末期や日蓮の活躍した鎌倉時代は像法ということになるが、当時は周書異記を採用していたらしく、末法の始めの頃と思われ、世に不安がはびこっていた。


 何故、一個人である釈迦の臨終の瞬間がスタート時点になるのか不明だが、どこかでそれをカウントしているらしい。白亜期のように約一億四千五百万年前から六千六百万年前頃といったおおよそなものではなく、いかにも人間がその場で思いつきそうな区切りのよい千年という数字。しかも秒レベルの単位で、一気に時代のモードが変わる。

 

 日蓮も、

「仏の滅後の正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し(教機時国抄)」

 と、人間の性質が突然変異種のように変化し、しかも、一千年前後という曖昧なものではないことを断言している。


 最初のカウントから千年の間は、誰かが管理しているのかどうか知らないが、教えが保たれる。

 そのカウントが千年を越えた時点で、突然に像法時代に移行し、その影響で仏教が形骸化する。さらに千年後、釈迦の教えが保たれなくなる末法が始まる。


 大乗非仏説にたてば、大集経も他の仏典同様、釈迦本人の説ではないとされる。その大集経の五つの時代区分と、中国で生まれた三時説が結びつき、末法思想は鎌倉仏教では定説となっていた。 

 インドの仏典では、末法という概念はないが、仏典の漢訳にはよく末法という言葉が出てくる。法華経の薬王菩薩本事品に登場する釈迦が亡くなってから五百年を、日蓮は末法の始めの五百年と解釈した。



 今日の日本で、公称数千万人といわれる信徒数からいうと、日蓮の流れをくむ宗派の割合は大きい。彼は自ら法華経の行者と名乗ったが、法華経に命を捧げるという意味の南無妙法蓮華経を自分が提唱したせいで、法華経が役に立たなくなったと主張した。その発言と行動は原理主義者そのものである。

 その原理も高く積み上げられた積み木の上に成り立つ。積み木のどれかひとつでも崩れれば、彼の主張は根本から崩壊してしまう。しかし、信じる者は救われる。この教えを信じ続けると、寂光土にいけるそうだ。


 寂光土とは、天台宗が法華経の仏説観普賢菩薩行法経に出てくる仏の住みかである常寂光から発展させた概念だ。苦悩や煩悩がないばかりではなく、永遠に変化のない安定した世界のことだ。ちなみに、法華三部経はサンスクリット語の原本が未発見で、中国で作られた偽経のようだ。


「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり(御義口伝)」

「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず。ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云う(上野殿後家尼御返事)」


 日蓮によると、単なる死後の世界の概念ではなく、熱心な信者の頭の中では、すでに寂光土に暮らしているようだ。

 そこであなたも、次の障害を乗り越えて寂光土行きにチャレンジしてみればどうだろうか。ただし、疑えば地獄行きなので、読みたくない方はとばしてください。


 日蓮によると、寂光土に行くには、日蓮の教えを信じる必要があるそうだ。さすがに狭き門だけあってそのための敷居は高いが、決して不可能ではない。いくつかの前提条件を受け入れるだけでいい。ただし、人を選ぶ。

 三角形の面積の求め方が、デカルトの死後千年と十六秒後に底辺の円周率倍に変わってしまうと教えられて、それを本気で信じることができるなら、あなたも日蓮の信者になれるかもしれない。なお、日蓮本人も含め、過去に寂光土に行った人間の記録はない。


 法華経のサンスクリット版原文は十九世紀に発見された。漢訳と随分食い違いがあり、日蓮の主張は漢訳に基づいたものだとわかる。ここからわかることは、日蓮自身は法華経の原文を見通す能力(千里眼)はなかったということだ。いわゆる超能力者ではなく、あくまで人間の頭で考え判断したということだ。


「経文に明ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり(聖愚問答抄)」

 と、本人自ら、文献から判断したと述べている。彼の残した文章も、どこどこの経や論にこう記されているからこうであると、出典とその解釈がほとんどで、夢の中で謎の人物が出てきて私にこう告げたなどというような神秘的なものはない。日蓮は超能力者ではないことがわかったので、これから彼の主張を論理的に検証してみよう。      


 日蓮の主張を全て受け入れるのは並大抵のことではない。

 彼の説を大雑把に言うと、


 数ある仏典の中で、釈迦が本当に言いたかったのは最後に説いた法華経だけで、それ以前の諸経は正しい経である法華経に導くための準備としての方便(嘘)である。

 その法華経も有効期限があり、三時説における末法に入ると、価値を失う。それは末法に出現する法華経の行者である日蓮が、法華経の文の底に隠されていた真理である南無妙法蓮華経(題目。法華経の正式名である妙法蓮華経に帰命するという意味)を明らかにするためで、南無妙法蓮華経さえ唱えれば、法華経を読む意味はなくなる。

 ただし、唱えるだけではだめで、日蓮自ら記したマンダラである本文戒壇の大御本尊を、弟子が書き写した御本尊を偶像崇拝する必要がある。

 信者は、命がけでこの真理を広める必要があり、もしそれを怠ったら、いくら題目を唱えようと、死後に無間地獄(絶え間なく苦痛を受け続ける地獄)に堕ちる。勧誘を断った相手も無間地獄に堕ちる。末法では日蓮の教え以外の仏教徒はことごとく無間地獄に堕ちる。

 釈迦本人も当然、南無妙法蓮華経について知っていたが、それを公表できる時代ではなかった。釈迦は末法において、南無妙法蓮華経を授持する民衆を地湧の菩薩として予言していた。その先駆けになるのが法華経の行者日蓮である。地湧の菩薩たちの活躍で、末法には人類のほとんどが日蓮の信者になる広宣流布の時代が来る。


 無茶苦茶な主張に聞こえるが、日蓮は神がかったシャーマンではなく、法華経を中心とした文献研究から、そのように導きだしたのだ。


 鋭い読者は、すでに日蓮のパラドックスにお気づきだろう。


 日蓮によって要点が取り出された法華経は、すでに価値がなくなっている。南無妙法蓮華経とは法華経に命を捧げるという宣言で、その宣言が判明した途端、命を捧げる対象は、中身のない入れ物となるから価値がなくなる。

 南無妙法蓮華経とは、価値のない対象に命を捧げるという宣言だった。


 パラドックスの件を除いても、彼の主張が仮説として成立するための前提条件は、主なものだけで次のようになる。


釈迦は真理を説き、

日蓮登場以前においては真理は釈迦以外の人類には解明できず、

法華経は釈迦の説であるだけでなく、

弟子達がまとめたものではなく釈迦本人の直接の言葉で、

末法思想も釈迦の説であり、

釈迦の説いた他の経は方便(事実ではないがやむをえない嘘)で法華経のみが釈迦の主張であり、

末法において方便は有害であり、

後に有害になる方便を説く必然性が存在し、

釈迦自身がその危険性を知りながら周知しなかった必然性が存在し、

真理は法華経本文ではなくその文底に隠されており、

真理をわざわざそのような紛らわしい方法で表現せざるをえなかった必然性が存在し、

法華経以外の科学を含めた諸説の中に真理は存在せず、

釈迦は末法に日蓮が登場することを確信し、

釈迦は末法を日蓮に託し、

一個人に人類の命運を託す必然性が存在し、

法華経の真理が機能するために南無妙法蓮華経と唱えることのみが有効であり、

パーリー語マガダ方言を話す釈迦は漢文日本語読みの南無妙法蓮華経を知っていながら公表できない理由が存在し、

法華経本文に信じそうにない人には説いてはいけないとあるのに、末法では全ての人間に勧めなければならず、

その結果人類の大半が日蓮の信者になる。

キリスト教徒は教会と決別し、イスラム諸国はイスラム教を放棄し、ノーベル賞学者たちもこぞって南無妙法蓮華経と唱える。

釈迦は、一般に言われるように紀元前五、六世紀ではなく、紀元前十世紀の人物で、当然、仏典に登場するマガダ国も紀元前十世紀には存在していた。

法華経本文に、紀元前五、六世紀の人物とされるジャイナ教開祖の名前があるから、彼も当然紀元前十世紀以前の人間である。

 他にもあるが面倒なのでこのくらいにしておく。



 中国で考えられたとされる三時説によると、日蓮は像法時代の僧侶である。しかし、彼自身は、「仏滅後二千二百二十余年」といっているように自分を末法の人間だと思っていた。

 これも無理がないことで、今日では釈迦は紀元前五、六世紀の人物と考えられているが、鎌倉時代の日本では釈迦の入滅時を周書異記説の紀元前十世紀としていたので、すでに世は末法に入っていると思われていたからだ。


 日蓮本人も末法に生まれたことを、

「天台大師日蓮を指して云わく『後の五百歳遠く妙道に沾わん』等云々、伝教大師当世を恋いて云く『末法はなはだ近きに有り』等云々、幸いなるかな我が身(土木殿御返事)」

 と、このうえもなく喜んでいる。


 彼は開目抄に、

「例せば世尊が付法蔵経に記して云く『我が滅度・一百年に阿育大王という王あるべし』摩耶経に云く『我が滅度・六百年に竜樹菩薩という人・南天竺に出ずべし』」

 と記しているが、阿育(アショカ)大王は紀元前三世紀の人物で、龍樹は二世紀の人物である。ということは、日蓮は、アショカ大王を紀元前九世紀、龍樹を紀元前三世紀頃と考えていたのだろう。

 両者が登場した後に作られた経に、釈迦が予言したと記されているのをそのまま信じ、釈迦という人物の計り知れぬ能力に圧倒されていたことだろう。



 仏典の書き出しは、「釈迦がそう言ったと聞いている」という意味の如是我聞から始まる。各経典ごとに主張が異なり、互いに矛盾する内容も含まれていることに対し、六世紀の中国の天台宗の僧侶智顗は、弟子のレベルの違いにより、釈迦が教えを使い分けたと考えた。智顗は、釈迦が最後に説いたとされる法華経を最も重要とした。

 それが日蓮になると、釈迦は真実である法華経の他に、わざと真実とは違う法華経以外の諸経(爾前経)を説いたとした。それらは法華経を説き示すための方便にすぎない。その根拠は、法華三部経のひとつで、法華経の開経とされる無量義経に「四十余年未顕真実」と書かれているからである。


 無量義経には法華経という言葉は出てこないが、仏が八万人の菩薩たちに囲まれ説法するなど、法華経と似ている部分が多く、天台大師らが法華経の序文に決めたものである。サンスクリット語の原文がなく、老子道徳経と酷似している表現があることなどから、五世紀頃、中国の仏教徒が法華経を参考にして創作したという偽経説が有力である。


「問うて云く八宗・九宗・十宗の中に何(いずれ)か釈迦仏の立て給へる宗なるや、答えて云く法華宗は釈迦所立の宗なり其の故は已説・今説・当説の中には法華経第一なりと説き給う是れ釈迦仏の立て給う処の御語(ことば)なり」

「仏の出生は始めより妙法を説かんと思し食ししかども衆上の機縁・万差にしてととのをらざりしかば三七日の間・思惟し四十余年程こしらへ・おおせて最後に此の妙法を説き給う」

 どちらも日蓮が法華初心成仏抄で述べている言葉で、彼は智顗の説を発展させ、法華経のみが真実と考え、釈尊の教えは末法には廃れ通用しないとする末法思想と、法華経の「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布せん」から、末法には新しい教えが登場し、それを広めるのは自分だと、パズルを解き明かしたと考えた。


 その法華経も釈迦が話していたとされるパーリー語文が未発見で、五、六世紀頃のサンスクリット語の写本が残っているだけである。


 では一体、法華経には何が書かれているのか。


 それが読んでみてもよくわからない。

 

 天台宗の智顗も「已今当説最も為れ難信難解」と評している。


 全体として、法華経のありがたみを説明するのに比喩が必要だということが執拗に語られている。これから宇宙の根本原理を説くという流れが延々と続き、その根本原理が語られぬまま法華経は終了する。

 それではあまりにも経典として内容が不足していると、漢訳の翻訳者鳩摩羅什は考えたようで、原文で、一般大衆には理解しがたいことを強調するうえで、仏だけが本質を理解できるとなっている箇所を、天台宗や日蓮宗が一念三千と呼ぶ概念の基となる十如是(仏だけが、全法則の形相、本質、形体、能力、作用、原因、条件・間接的な関係、原因に対する結果、報い、以上の事柄が等しいことの十点を知っている)に追加修正した。

 要するに意訳をしたということだ。


 両宗派では、一念三千は最重要視されているが、梵版(サンスクリット)法華経が発見されて、一念三千が鳩摩羅什の追加と知った日蓮信者の反応は、無視するか、否定するか、鳩摩羅什による追加も釈迦や日蓮は見通していたなどと様々である。日蓮が一念三千をどの程度重視していか、次の文章からもわかる。


「二乗作仏・久遠実成は法華経の肝要にして諸経に対すれば奇たりと云へども法華経の中ではいまだ奇妙ならず一念三千と申す法門こそが奇が中の奇妙が中の妙にて(小乗大乗分別抄)」


 法華経独自の説といえる二乗作仏(誰でも仏になれること)と久遠実成(釈迦が悠久の昔から仏だったこと)が空や縁起などの他経の思想より優れているそうだ。誰でも仏になれるとすれば信者は増えるし、釈迦がいつ悟ろうがそんなことは釈迦以外の人間には関係ない。

 日蓮という人物は、自分に関わる事が他より優れていると思いこむタイプの人間のようだ。自ら奇跡中の奇跡と称えた一念三千が、翻訳者の追加創作だと知った場合の、彼の反応が見てみたい。


「月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり(諫暁八幡抄)」

 とあるように、日蓮は鳩摩羅什に絶大な信頼を置いていたようだ。ここまで言い切るからには、百八十七人のサンスクリット語版と漢訳版を比較して評価したはずだが、そうだとすると恐るべき語学力である。まさか、漢訳版だけで、翻訳の出来を判断したのではあるまい。



 法華経は釈迦の直説であるからには、空や縁起の思想を説いた同じ弟子の前で、自分が空を飛んで、額から光線を出す話を堂々と弟子の前で語ったはずである。まとめられた資料は経だが、釈迦が弟子に語った時点では経ではない。

 法華経の内容を釈迦が弟子に語った時、この話を誹謗した者は地獄に墜ちるぞといわれ、聞いている弟子は、絶対に笑ってはいけないことになる。その弟子は真剣なまなざしでその話を謹聴していたことだろう。弟子の心境はいかなるものや。


 そもそも、何故自分の弟子に向かってこんなまわりくどいたとえ話をする必要があったのか。その真意を弟子は師匠に問わなかったのか。平均寿命が五十歳に満たない医学未発達の時代に、四十年以上も方便を説いていては、肝心の法華経を説く前に釈迦が成仏してしまう危険性もあるなど、疑問は尽きない。



 日蓮は、法華経に地湧の菩薩という地中から出現するたくさんの菩薩たちのことが記されていることから、末法に新しい教えをひろめるのは自分だと考えた。地中から大勢の菩薩が出てくるという比喩だけで、それが自分を指していると判断した。どんなことでも自分が主役になるよう、都合よく解釈できる精神力には敬意を表したい。


 都合よく解釈するといえば、他にもこんなことがある。

「法華経の第二に云く『無知の人の中に此の経をとくこと莫れ』同第四に云く『分布して妄りに人に授与すべからず』(撰時抄)」

 と、法華経に理解しそうもない人には説くなとあることに対し、同経に

「諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」

 とあるので、危害を受けてまで教えを広めろと解釈し、

「両説は水火なり」と矛盾していると考えた。

 その解決を、時機の違いにより、むやみに広めてはいけない時代と、無理にでも広めるべき時代とがあるとし、末法は後者に当たると結論づけた。危害を受けるから、むやみに説いてはいけないという発想はなかったようだ。

 

 全ての仏典が釈迦の言葉だという前提はどうだろうか。法華経の場合は千年以上口伝されたことになる。当時のインド人は記憶力がよかったなどとして、千年間口伝で伝えると口で言うのは簡単だが、現実的にはかなり負担が大きい。三十世代以上、漢訳で七万文字。千年の間に日常使う言葉そのものが変わってしまう。日蓮の言うには、

「此の経は仏説き給いて後二千余年にまかりなり候、月氏に一千二百余年、漢土に二百余年を経て(諸経と法華経と難易の事)」、日本に伝わったそうだ。月氏とはインドのことで、中国に伝わるまで千二百年もかかったらしい。


 法華経だけではない。釈迦が紀元前十世紀の人物だとすると、最古の阿含経ですら五百年以上口伝されることになる。紀元前十世紀に釈迦が弟子に語った膨大な言葉が一言も失われることなく、確実に翻訳され、紀元前にパーリー語、紀元後にサンスクリット語で文字として記されたとしても、仏教の長い歴史の中では、意図的な偽書ではないにせよ、教団の中で伝えられた説が、混じってしまうという可能性が全くないと言い切れるのだろうか。


 イスラム教の開祖ムハンマドの言行録をまとめたハディースも一世紀以上にわたる口伝をまとめたものだが、誰から誰に伝承されたなどという、伝承の経由が細かく調べられ、信頼のおけるものだけが採用されている。

 それは一文字違うだけで別物とみなし、各伝承者の時代、年齢、性格、記憶力まで調べ上げるという徹底したもので、偽典を防ぐという目的を果たしているといえる。それでも百パーセント確実といえないため、信頼度をサヒーハ(確度優秀)、ハサン(確度良好)、ダイーフ(うたがわしい。但しダイーフの中にも等級がある)、サキーム(不確実)とランク分けしている。

 イスラム教の正典はコーランであり、ハディースはあくまで補助的な役割しかなく、一般信者は読む必要もないが、ここまで徹底されている。

 少しは仏教も見習って欲しいものであるが、もし仏典を同じようにランク分けすると、阿含経がダイーフの下の等級辺りで、他は全てサキームになるだろう。


 もし奇跡的に偽典が存在せず、釈迦が阿難に語った言葉が正確に翻訳され、伝承されてきたとしても、これだけ言うことがバラバラな人物に、よく弟子達が集まったものである。なにも弟子になることが強制されているわけではない。釈迦が優れた人物と判断したうえで自分の意志で釈迦の弟子になったはずである。


 阿含経と法華経が同じ作者であるということがありえるのか。阿含のときはまともな精神状態で、法華経のときは頭がいかれてしまったのだろうか。自我や欲望、執着などが苦悩を引き起こす原因であると冷静に語った、まさにその人が、舌の根も乾かぬうちに、この経を信じれば絶大な功徳があるなんて大風呂敷を広げて言うだろうか。

 絶大な現世功徳といううたい文句に釣られて、公称数千万も信者を獲得できたのだが、いくら信仰バイアスがかかっていても、信者は現世功徳がないと判断し、信仰を放棄しないのだろうか。

 ひとつは、一旦信者になって退転すると、罰が当たり、死後地獄が待っていると脅されること。功徳のないのは信心が足らないと説得されること。日蓮系の教団Aの信者が疑問を感じた頃、これまた日蓮系の教団Bが、Aは間違っている、自分のところは正しいと主張し、Aの信者はBでやり直し、これから功徳が待っていると期待していること、などが理由に挙げられる。

 そもそも信仰の動機が、家の宗教がそうだったからというのが大半で、自分から入信する場合も、人から熱心に勧められたというのが主な理由だろう。自分の頭で教義を深く検証することなど滅多にない。

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