第3話

 一旦、前章までの説明を忘れて、つまり予備知識のない状態で、次の二つの説のうちどちらが事実と思えるか、考えてみてください。ファンタジーに浸るのではなく、現実的に判断してください。

 

A 膨大な仏典はすべて釈迦が実際に語った言葉を当時の弟子達が正確に残したものであるが、釈迦が時期ごとに異なる教えを説いたせいで、各経典の主張が異なる。釈迦がそうせざるを得なかったのは、語った時期により、弟子の程度が異なり、その程度に合わせるため、複数の経典ができた。


B 膨大な経典のほとんどすべては、釈迦本人ではなく、後世の仏教徒の手で創作されたもの。釈迦本人の思想は古い教典の中にわずかにかいまみえる程度しか残っていないが、どれが釈迦本人の説なのか正確に判断することはできない。

 



 仏教にはキリスト教やイスラム教と違って正典がない。経典とよべるのは、釈迦が弟子に語ったとされる経、教団の規則である律、解説書である論であって、それらは共通点もあれば、異なる点もあり、その数、数千点に及び、全てを読破することは困難である。


 一般に考えられている仏教の歴史は次のようなものである。

 開祖釈迦は、紀元前五~七世紀に、現在のネパールのルンビニで生まれた。釈迦の本名はゴータマ・シッダルタといい、釈迦族出身であることから釈迦と呼ばれる。当時はバラモンの教えを否定する思想が展開されていた。

 釈迦の死後から百年ほどして原始教団は上座部と大衆部に分裂する。その後も分裂を繰り返していくが、出家者は自分の修行に専念し、民衆への説法を怠るようになっていった。インドから東南アジアに伝わる。

 紀元後、大きな乗り物を意味する大乗仏教が起こる。出家せずとも悟りは可能とする。それも、ヒンズー経と結びつきインドで衰退。中国に伝わるも、道教と結びつく。日本に伝わるも、正月には神社に行くなど、純粋な仏教徒は少ない。

 

 釈迦の言葉は、すぐには文字として残されず口伝にされた。

 釈迦が説いたとされる仏教の経典には主に次のようなものがある。


         阿含経


 パーリ語で書かれた最古の経典。最古とはいえ、口伝されたものを紙にまとめたのは数百年後といわれる。釈迦の語った言葉は在世時文字に残されなかった。釈迦入滅後間もなく、弟子たちが集まって、釈迦の言葉や思想を整理した。これを仏典結集と呼ぶ。一回目は内容を確認したに留まる。その後、仏教集団は複数に分かれ、それぞれに伝わる内容の確認整理をする必要から、全部で四回結集をしたと伝わっている。二回目は仏滅後約百年、三回目は紀元前三世紀のマウリア朝のアショーカ王のもとで行われた。

 阿含経は平易で簡潔な文章で書かれている。瞑想により、肉体、感覚、意識が自分そのものでないことを知り、苦から逃れることができる。欲を抑え、喜びにおぼれず、常に正しく考え、行動すること。

 欲を抑えることを説くだけあって、釈迦は教団を大きくしようというつもりはないと語る。文献研究により、最古の経と言われているが、ある場面では死後の世界について語ろうとしないのに、別の場面では輪廻から解脱しろと説くなど、釈迦の弟子達による追加がなされた可能性が高い。


 以下、紀元後に創作されたといわれる大乗経典。


         般若経


 空の思想が中心。一切のものは実体がない空である。肉体のような物体がないというだけでなく、感覚も意識も本当は存在しない。阿含では、それらは自分ではないとしていたが、ここでは存在しないとまで言い切っている。一切は平等で本質は清浄。

 六百巻、字数五百万字に及び、法華経の百倍近い長さ。そのためエッセンスをまとめた般若心経という短い経がある。呪文が多いのも特徴。


         維摩経 


 般若経の影響が大。戯曲構成。一般的な内容だが、おもしろい部分がある。

 維摩詰言。此土眾生剛強難化故。佛為說剛強之語以調伏之。言是地獄是畜生是餓鬼。是諸難處。是愚人生處

 衆生は愚かなので言うことをきかない。だから仏は、強い口調で、地獄に墜ちる、畜生や餓鬼に生まれ変わるなどと言って調伏する。地獄に墜ちるというのは、単なる脅しだそうである。

  

         華厳経

 

 我に執着することで生死流転する。この世は実態がない空であるが、世間の人は真実だと思う。存在は非存在であり非存在は存在であり、一は多であり、多は一である。

 すべてのものは互いに関連し融合している。あらゆるものに仏性が遍在している。すべては心から起こる。

 自分だけが悟りに向うことは、誤りである。全てのものは、清らかでも汚くもなく、明るくも暗くもなく虚妄でも真実でもなく正道でも邪道でもなく、平等である。菩薩は真理にも禅定にも徳を積むことにも執着しない。すべてのものは自ら生じたものでも他から造られたものでもない。

 女人は地獄の使い。

 全体的に難解かつ深遠で、阿含に較べると現状肯定的。この世を蓮華にたとえるなど、ヒンズー教の影響が見られる。


         法華経

 

 これまでの経は方便だった。この経だけが本当に言いたいことで、この経を信じると想像を絶する功徳が訪れ、逆に批判すると地獄で責めさいなまれ続ける。大地から巨大な塔が出現し、釈迦が空を飛ぶ。万人に仏性が宿るとする一方、障害者や容姿の醜い者に対する差別もみられる。全身全霊で布教に励め。この経の信者には批判が必ず起きる。女人も成仏できる。経典中に大乗という言葉が頻繁に出てくる。 


         大乗涅槃経


 一切のものに仏性が宿る。法華経の影響が随所に見られる。法華経以上に誹謗に対して厳しい。



 全ての経は釈迦が弟子の阿難に語ったことになっている。

 一人の人間が他の一人に語った内容が、複数の経に別れてまとめられるとはどういうことだろう。経ごとに長さの制限はないので、普通に考えれば、一つの経として存在するはずである。釈迦が語った時期により、複数の経典に別れたと主張する教団もある。


 それでも釈迦在世時なら、複数の経に分ける意味など全くなく、一つの経として存在するはずである。阿難に語ったというのは単なる伝承で、実際は時期ごとに別々の弟子が聞いた場合でも、時期ごとに弟子が全て異なり、その集団は釈迦在世にも関わらず、釈迦の元を去り、集団ごとの教えが伝承していかなければ、ひとつの経としてまとめられるはずである。それに、時期により弟子達が入れ替わったなどという記述はなく、登場する弟子達の名はどの経も同じではないか。


 釈迦の死後すぐに、弟子達は互いに意見交換して、釈迦の言葉をまとめあげたとされている(第一回仏典結集)。釈迦在世時に釈迦の元を去った弟子がいて、その人物だけに釈迦がある経を語り、伝承されていたとしても、第二回や第三回の仏典結集で複数のグループが集まってまとめたはずではないか。それは釈迦の死後、百年や二百年のはずだから、阿含経の成立開始時期に相当する。阿含以外の大乗仏教の経典が出来たのはどういうことだろう。


 それら大乗仏典は、釈迦が使っていたとされるパーリー語マガダ方言ではなく、サンスクリット語で書かれている。文字として残されたのも紀元後とされる。今日では紀元前五世紀頃の人物とされる釈迦は、近代に入るまで、日本仏教界では紀元前十世紀の人物とされた。すると大乗仏典は千年間口伝の時期があったことになる。


 本当に、釈迦は一続きの文章である長大な経を説いたのだろうか。キリスト教の開祖ナザレのイエスも、自分で文章を記すことはなかった。弟子達には、経のようなまとまった一続きの長い文章を語ることはなく、日常の短い会話や、信者を前にしたときの説教記録が残っているだけである。

 そうしたイエスの言行録である福音書もひとつではない。四人の執筆者がいて、四つの福音書がある。文章にされたのがイエスの死後ということもあって、互いに異なる部分もある。

 だが、墓の石が塞がっていたのか、そうでないかといった程度の違いで、イエスの思想そのものはどれも同じである。作者が違うのに、イエスの言葉は同じで、釈迦ひとりの言葉なのに、ある経では女性は仏の種子を絶つといいながら、別の経で女性も成仏できると言ったりするなど、内容が矛盾する複数の経典があるのはどういうことだろう。


 紀元前に編集されたとされ、パーリー語経典が残る阿含以外は、後世の各グループが、釈迦がこう語っていたと伝えられている伝承をまとめたものか、意図的に釈迦の名を使い創作したものの可能性のほうが高くないだろうか。いや、最古の経典阿含ですら、釈迦本来の思想が最も反映されているだけで、釈迦本人の言葉そのものとは思えない。


 人が第三者に口で語る言葉としては経は長すぎる。般若経ひとつとっても、五百万字といえば、四百字詰め原稿用紙にびっしり詰めても、一万二千枚にもなる。それだけの量の文章を、釈迦が阿難に語り、阿難はそれを覚えて、口伝で後代に伝えたなどということが現実としてありうるのか。鎌倉時代の僧侶日蓮によると、それは現実の出来事だったようだ。

「阿難尊者は多聞第一の極聖・釈尊一代の説法を空に誦せし広学の智人なり(念仏無間地獄抄)」


 ここで疑問がある。阿難が釈迦の説法全てを完全に記憶したとしても、それをただの一度きりで覚えたとは限らない。一回で覚えきれない場合は、釈迦は全く同じ内容を、何度も繰り返し話す必要がある。釈迦は、漢訳で五百万字という長大な般若経を、何回繰り返し語ったのだろうか。メモなどがない状況で、五百万字の文章を、一言も違わずに、複数回朗読するのだ。


 漢訳とマガダ語では当然長さが異なるが、漢訳でおおよその目安をつけてみよう。漢字一文字に一秒を費やすとすると、五百万秒、千四百時間弱。睡眠や食事などの時間を引いて、一日十二時間程度は確保できたとしても、喉の調子や累積する疲労などから、随時休憩をとる必要があり、実働時間は一日六時間程度が限界だろう。すると、一回読むだけで二百三十日。十五、六回程度で十年を費やす。

 五百万字を十五回聞いただけで完全に記憶できる人間が、世の中にどれだけいるのか知らないが、阿難がそれをできても、後世に伝えるには、今度は阿難が自分の弟子に同じ時間を費やして伝承させていかなくてはいけない。

 般若経ひとつとっても、伝承を受けるのに十年、伝えるのにさらに十年かかり、計二十年。それも、研究室のような恵まれた環境ではなく、食糧事情も治安も悪く、猛獣や伝染病など危険だらけだ。当時の平均寿命は五十歳もないだろう。全仏典を三十世代以上口伝で伝承させるのは、不可能に近いと感じるのは、計算が間違っているのだろうか。

 幸いなことに、今日では仏典が文字として残っている。釈迦の弟子たちが本当に全経典を暗記できたのか、実験を行ってみたらどうだろうか。信徒数百万人以上の仏教系宗教団体の信徒から、能力に偏りが生じないように、無作為に数名を選び、現世の報酬と来世の幸せを保証して一生を実験に捧げてもらう。もちろん、当時は文字にされていなかったはずなので、朗読されたお経を聞いて覚えなければいけない。十年を目安に、全文記憶可能かどうか調べる。それが成功した場合、口伝で伝承する実験を行う。千年後には、どうなっているか楽しみである。


 しかし、それだけ長い経典をよく仏典結集でまとめあげたものである。ひとつひとつの経を誰かが少しずつ読み上げ、それを集まったメンバーで検証するなどという気の遠くなるような作業がよく出来たものである。


 常識的に考えるなら、生前の釈迦が断片的に語った短い言葉から、弟子達が脚色を加えて読み物としたものが阿含経で、その阿含経の思想を紀元後の仏教徒が発展させたものが大乗仏教だと思われる。釈迦の教えが当初文字として記されず、口伝だったのは、文字に残す必要がないほど簡潔で量が少なかったからだろう。全ての経を本当に釈迦が語ったならば、語ったその時点で文字として残したはずである。


 華厳も般若も、単独の理論として成立している。阿含を読んだ紀元後の仏教徒達が釈迦はこう言っていたけど、本当はこうではないかという、自分たちの考えをまとめたものとすれば、科学が進歩するのと同様、上座部より優れていると主張したのもうなずける。

 一般に学問は、先人の研究の上に進歩を積み重ねていくから、阿含の概念を発展させていったのは自然の流れだろう。しかし、釈迦を否定するわけにはいかず、釈迦が語ったことにしたから、後世で勘違いする人間が現れた。現代でいうと、科学者の発明を全部ニュートンの業績にするようなものだが、昔は特許料も名誉もないから仕方がない。


 話をわかりやすくするために登場した観音や阿弥陀仏が、崇拝され、意味もわからないのに経を読み上げるだけで功徳があるとしたのは、偶像崇拝とマントラという世俗化の波にのまれたといえるが、世俗化しないと収入が入らないから、学問としての仏教を維持できなくなるので、必要悪といえる。

 うがった見方をすれば、衆生救済を唱える大きな乗り物である大乗といえど、悟るのは仏教哲学を学習できる僧侶だけで、仏像を拝む一般大衆は、功徳の名のもとに、お布施を寄進するだけだ。修行しないと悟れないとした上座部より、布施の総額は多いのは確かだろう。


 法華経は、他の経を否定し、自らが最高だと説くが、阿難がそう聞いた時点で他の経は廃棄されたはずである。法華経を釈迦から直接聞いた釈迦在世時の弟子達は、どうして他の経典を残しておいたのだろうか。すでに他の経が世に出回って回収できない状態だったのだろうか。しかし、経典として文字にされたのは後世のはずである。


 天台大師(智顗)は、すべての仏典は釈迦の直説だと思い、その中で法華経が最も重要だと判断した。根拠は法華経にそう書いてあるからだ。今から考えるとおかしな気がするが、当時の状況ではそう考えても仕方がないのかもしれない。


 さて、二十一世紀にお暮らしのみなさまにあらためて質問です。


 仏典が複数経典あり、各経典ごとに主張が異なる理由は、次のA、Bのうちどちらが近いと思いますか。


A 釈迦は、弟子の理解力に合わせて、教えを使い分けた。

B 各経典は、釈迦の名を権威として利用しているだけで、実際には作者が別である。


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