第2話

 法華経勧持品第十三に曰く、

此諸比丘等 為貪利養故 説外道論議 自作此経典 誑惑世間人 為求名聞故 

「この坊主たちは、名誉と布施のために、自分たちでこの経を作り、外道の論議を説いて、世間を惑わしている」


 前回は自作此経典に注目し、法華経が釈迦本人の説ではなく、後世の仏教徒の創作だと主張したが、その後、それも疑わしく思えてきた。


 というのも、法華経以外の大乗経典も、釈迦本人の説とは思えず、後世の仏教徒の創作である可能性が高いからだ。

 上座部教団からすれば、法華経以外の大乗経典も法華経同様後世の創作といえ、大乗の団体からすれば、自分達で経典を創ったのだから、法華経のことをどうこう言える筋合いではない。

 おそらくは、法華経の成立が他の大乗経典より遅く、他の仏教団体は法華経以外の経典を釈迦の説として受け入れているが、法華経については初めて知った状況だったのだろう。


 それで一応の説明はつくが、何かがひっかかる。


 そこでもう一度、該当箇所を読み直してみよう。


此諸比丘等 為貪利養故 説外道論議 自作此経典 誑惑世間人 為求名聞故


 主語の此諸比丘等のすぐ後に、行為の理由である為貪利養故が続き、術語に相当する部分が三カ所ある。

 説外道論議 自作此経典 誑惑世間人

 まず外道の論議を説きが最初で、自分で経典を作りと世間を惑わすが続く。

最後に、為求名聞故という行為の理由がもう一カ所出て来る。


 理由が二つあり、離れて記述されている。これは、為貪利養故が強調したいことで、補足として為求名聞故をあげたのだろう。

 同じように考えると、自作此経典より説外道論議がより強調したいということだ。


 自分でこの経典を作ったことばかりに注目したが、それ以上に為貪利養故と説外道論議が法華経教団に対する批判のポイントだったのだ。


 金の為に外道の教えを説いた。


 外道とは、今日では文字通り人の道に外れた行為や人物に使われるが、本来は仏教以外の教えを意味する。

 当時のインドで仏教以外の教えといえば、ヒンズー教(バラモン教)やジャイナ教が思いつくが、もうひとつ重要な宗教も広まっていた。


 キリスト教だ。


 十二使徒の一人聖トマスは、インドに伝道に出かけたと伝えられている。

 いまでもケララ州ではその信仰が残っている。

 紀元後のインドではキリスト教が広まっていた。

 大乗運動自体がキリスト教に触発されたもので、信者をキリスト教に奪われることを危惧した仏教側の改革だったと言われる。


 大乗仏教全体がキリスト教の影響を受けているのなら、法華経だけを外道扱いするのはおかしいではないか。


 大乗仏教は修行より布教を重視し、釈迦の教えを拡大解釈するものだと、以前からの仏教徒である上座部から批判された。しかし、あくまで拡大解釈にとどまり、釈迦の思想を引き継いでいる。

 法華経は、同じ大乗仏教に分類され、仏教用語を使っているが、仏教的な理論を含まず、ひたすら自画自賛と信仰の重要性を強調している。

 釈迦自体が究極の真理を語ろうとはしているが、比喩ばかりで、肝心の真理は語られずに終わっている。それで日蓮は、本文ではなく文の底に真理が隠されていると考えたのだろう。



 法華経とキリスト教の共通点は今日ではよく知られている。


 久遠本仏という釈迦が永遠の過去から仏だったという思想は、新訳聖書の「彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている(コロサイ人への手紙 1:17)」に見られる。


 それまでの仏教は女性は仏になれないという概念があったが、法華経では女人も成仏できると説く。トマスによる福音書で、イエスは女性も天国に行けると説く。


 釈迦は霊鷲山という山で法華経を説いた。イエスの山上の垂訓は有名である。

 ルカ福音書の放蕩息子と、法華経の長者窮子の話など、法華経と聖書には共通点が多く、仏教がキリスト教の影響を受けたというよりも、キリスト教が仏教に鞍替えしたようなレベルだ。


 悪世の僧侶は、法華経を入手して、その内容をキリスト教のものだと判断した。外道というのは、間違った教えというよりも、異教のものだからそう表現したのだろう。


 そして最も訴えたかった為貪利養故。


 インドでキリスト教はほとんど広まらなかった。一時的な勢いはあったが、ヒンズー教や大乗仏教に押され、次第に衰退してゆく。生計が立てられなくなったキリスト教関係者は、仏教団体として生き残ることを決断した。

 仏教について学習し、表面的な知識を習得したが、新しい高度な理論は構築できなかった。そこで聖書の知識を活かし、イエスを釈迦に置き換え、自分たちの経典を作っていった。

 釈迦自ら究極の真理を、大勢の弟子達の前で複雑に絡み合う比喩を用いて曖昧に語ったような語らなかったような空想物語を経典として作り出し、功徳と罰を極限まで強調した。


 法華経の功徳は半端なものではない。聞くだけで病気がたちまち治り、不老不死になるという。書き写せば仏でさえ想像できないような効果があると断言している。

 試してみれば嘘か本当かすぐにわかるのに、そこまで言うとは驚きものだ。飲むだけで一週間で5キロ痩せるという通販食品も顔負けである。教団は信者とのトラブルが絶えず、開き直りと言い逃れに長けていたはずだ。結果として、信者は泣き寝入りしたのだろう。


 これではインドで廃ったのも当然といえる。ところが、釈迦の直説として中国に伝わると、支離滅裂な内容を難解と深読みし、日本では漢文で書かれると深遠な印象を受け、日蓮に至っては末法には効力を失うので、ありがたいが読む必要がないとして、信者から批判を受けることがなくなった。

「法華経は仏を褒め称えるか、自画自賛ばかりで、教理らしきものが説かれていない。経と名づけるに値しない」は、江戸時代の富永仲基の言葉だ。浪速の天才と言われる頭脳は騙せなかったようだ。

 国学者平田篤胤も、「法華経は能書きばかりで、肝心の丸薬がない」と批判したが、経ではなく信者獲得のための勧誘広告なのだから、能書きだけで十分で教理は必要ない。



 

 あなたの家を二人の人物が訪れたとします。


「この経はお釈迦様が本当に言いたかったことです。聞くだけで病気が治り、不老不死になれます。書けば仏でさえ想像できないような境遇が訪れるんですよ」という宗教関係者。


「金銭目的で、仏教徒の振りをして、自分達で作ったお経を売りに来る元キリスト教関係者が訪問することがあるので注意してください」という自治体職員。


 どちらの言うことを信用しますか?


 悪世の僧侶自身も信者からの布施で生計を立てていたはずである。自分のことを棚にあげて批判するくらいだから、法華経教団の信者への金銭要求は半端なものではなかったのだろう。僧侶は、元信者の被害者の話を聞いて、あこぎなやり口に義憤を募らせたに違いない。


「お坊さん、助けてください。あそこの坊主たちに、病気が治ると言われて、このお経を買わされました。でも、全然病気はよくならないんです」

「どれ、拙僧に読ませていただけぬかな」

 法華経を読んだ僧侶は、その内容に驚く。

「これは釈尊の教えではない。耶蘇教そのものではないか」

「うちにあったお金や食べ物全部とられたんですよ。その金を偉い人に貢いで、自分達も偉くなろうとしてるんです」

「なんという卑劣なやり方」

 僧侶は怒りに身を震わせ、こう語った。

「あそこの坊主どもは、お布施を得るために、外道の教えを説き、自分たちでこの経を作り、世間を惑わしている。そのうえ名誉も得ようとしている」

  


 誰が法華経を作ったのか今となってはわからないが、そこには素晴らしい教訓が隠されていた。

「此諸比丘等 為貪利養故 説外道論議 自作此経典 誑惑世間人 為求名聞故」は、ひとのいうことを鵜呑みにするタイプの人間にとっての最高の教えである。

 皮肉な見方だが、法華最第一というのは本当だった。これほど素晴らしく役に立つ教えが法華経に隠されていたとは。法華経を批判した悪世の僧侶こそ、物事が正しく判断できて信頼のおける人物だった。


 これぞ法華経の文底秘沈の真理。

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