法華経の文底に秘められた真理

@kkb

第1話

 仏教の開祖釈迦の語った言葉は、在世時文字に残されなかった。釈迦入滅後間もなく、弟子たちが集まって、釈迦の言葉や思想を整理した。これを仏典結集と呼ぶ。一回目は内容を確認したに留まる。その後、仏教集団は複数に分かれ、それぞれに伝わる内容の確認整理をする必要から、全部で四回結集をしたと伝わっている。二回目は仏滅後約百年、三回目は紀元前三世紀のマウリア朝のアショーカ王のもとで行われた。


 仏典の書き出しは、「釈迦がそう言ったと聞いている」という意味の如是我聞から始まる。各経典ごとに主張が異なり、互いに矛盾する内容も含まれていることに対し、六世紀の中国の天台宗の僧侶智顗(ちぎ)は、弟子のレベルの違いにより、釈迦が教えを使い分けたと考えた。智顗は、釈迦が最後に説いたとされる法華経を最も重要とした。



 鎌倉時代の日本の僧侶日蓮の残した文章。

「問うて云く八宗・九宗・十宗の中に何か釈迦仏の立て給へる宗なるや、答えて云く法華宗は釈迦所立の宗なり其の故は已説・今説・当説の中には法華経第一なりと説き給う是れ釈迦仏の立て給う処の御語なり」

「仏の出生は始めより妙法を説かんと思し食ししかども衆上の機縁・万差にしてととのをらざりしかば三七日の間・思惟し四十余年程こしらへ・おおせて最後に此の妙法を説き給う」

 どちらも日蓮が法華初心成仏抄で述べている言葉で、彼は智顗の説を発展させ、法華経のみが真実と考え、釈尊の教えは末法(釈迦の死後二千年後以降)には廃れ通用しないとする末法思想と、法華経の「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布せん」から、末法には新しい教えが登場し、それを広めるのは自分だと考えた。


「妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる(法華経題目抄)」


 その新しい教えが、法華経の肝要である本門寿量品の文底秘沈の妙法蓮華経に帰命をする南無妙法蓮華経だ。


 つまり、日蓮によると、膨大な経典を残したことになっている釈迦は、真実を意図的に語らなかったが、法華経の文の底にその真意を隠しておいたそうである。


 日蓮とは別に、筆者も法華経の文底に秘められていた真実を見つけてしまった。


 此諸比丘等 為貪利養故 説外道論議 自作此経典 誑惑世間人 為求名聞故 

「この坊主たちは、名誉と布施のために、自分たちでこの経を作り、外道の論議を説いて、世間を惑わしている」


 釈迦の死後、そのように悪世の僧に言われるが堪え忍べという釈迦の指示である。(厳密に言うと、菩薩達が釈迦に堪え忍ぶことを誓うのだが、語り手が釈迦自身なので、釈迦から後世の弟子達への指導ということになる)。法華経を信仰している集団が、外部の悪僧から、法華経を自分たちでねつ造したと言われることになるとの警告だ。


 その外部の悪僧とは何者だ? ジャイナ教やバラモン教の僧侶が、仏典の中で法華経だけを偽物扱いするわけないから、仏教の僧だろう。悪世の僧侶だから、末法のことだと思えそうだが、末法の天台宗や日蓮宗が法華経を創作したなどとはさすがに誰もいわない。


 漢訳前の古代インドにおいて、ある仏教集団だけが法華経信仰を保ち、その教団以外の仏教集団では法華経を噂で聞く程度で所持せず、法華経経典を持っていたとしても、最近になって入手したばかりで、釈迦の説として認めていないことになる。そのような状況でないと、この表現は成立しえない。


 日蓮はこの箇所を、「此の諸の比丘等は利養を貪るを為つての故に外道の論議を説き自ら此の経典を作りて世間の人を誑惑す名聞を求むるを為つての故に分別して是の経を説くと、常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲する(唱法華題目抄)」と引用しているが、

「文の心は悪世末法の権経の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて法華経を行ずるものの敵となるべしといふ事なり」

 と、自分たち末法の法華経信徒が禅宗や浄土宗などから批判されるという意味に解釈している。漢訳妙法蓮華経ではこの時代を現す言葉は「於仏滅度後 恐怖悪世中 悪世中比丘」ぐらいしかなく、末法という言葉は出てこない。法華経を信じることが悪いと末法の悪僧が言うのではなく、法華経教団が法華経を自ら創作したと悪世の僧が言うのだ。繰り返すが、当時の日本で、天台宗や日蓮宗が法華経を創作したなどとは誰も言っていない。


 事の本質は、法華経を第一義とするしないの問題でも、法華経を信仰すると誹謗されるということでもない。法華経を信仰している集団が、それを自分たちで作り出したと言われるということだ。

 古代インドにおいて、法華経を信仰する集団が自分たちで作ったと外部から言われるようになるには、法華経が釈迦の死後特定の集団にしか伝わらず、他の集団では法華経の存在やその概念すら伝わっていなかったということになる。


 どのような混乱があれば、釈迦本人が在世時の弟子達に語った言葉そのものであるはずの経典を、特定集団だけが釈迦本人の説いた経として所持し、他の集団はその存在すら忘れ去るようになるのだろう。法華経本文には弟子である阿難や舎利弗の名前が出てくる。それに、日蓮が「阿難尊者の結集する」と言っているように、釈迦の死後すぐに阿難ら弟子たちは教えを整理したではないか。その後、初期集団はいくつかに分かれたが、仏滅後、百年後と二百年後に集まって、内容を確認し合ったはずだ。


 この箇所が釈迦の言葉通りだとすると、釈迦の予言が外れたことになる。最第一と釈迦自ら宣言しながら、外れる予言を載せるとは、どういうことなのだろう。


 こういう場合はどうだろうか。法華経は基本的に釈迦の説だが、部分的に後世の人間による加筆修正が行われた。自作此経典の部分も、後世の追加文である。

 それなら、自分達で作ったように外部から言われると釈迦が予言したとわざわざ加筆する理由は?

 そう言われていなければ、そのような不要な追加は行わないはずだ。実際に釈迦の説いた経が、教団が作った経と言われる状況がありえないのだ。


 要するに、釈迦本人が、このようなことを言うはずがないということだ。法華経に限らず、大乗仏典は紀元後に作成された。当時の上座部教団からすれば、自分たちが知らない経典の出現に驚いたことだろう。

 法華経を作り出した法華経教団は、外部からの誹謗に対する批判の一つとして、「自作此経典」を加えてしまった。釈迦滅後に対する予言ではなく、当時の法華経教団が実際にそう言われていたことをそのまま経に記してしまったのだ。



 法華経の文底に秘められていた真理とは、「自ら此の経典を作り」から推測できる、法華経が釈迦ではなく、後世のゴーストライターの創作物だったという事実だ。



 ここまでを整理すると、


1 釈迦の教えは、没後数回に渡って整理された。


2 「釈迦の死後、法華経を信仰している集団が、外部の僧侶から、法華経を自分たちでねつ造したと言われる(2-A)」と、法華経の中で釈迦自らが予言をする箇所がある。



1と2はどちらも事実なので、同時に成立している。


3 1と2-Aが同時に成立する場合、法華経は釈迦の教えでないことになる。


4 3以外は、釈迦の予言が外れたことになる。


 つまり、法華経が釈迦の教えでないか、釈迦の予言が外れたか、の二つの選択枝しかない。



「宗教のことを一般人は真実とみなしており、賢者は偽りとみなしており、支配者は便利とみなしている」 エドワード・ギボン(歴史家、代表作「ローマ帝国衰亡史」)

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