明日、君が見る景色と僕が見る景色

 "僕は頭はいい方だ。……ただ、馬鹿なことをするだけなんだ"


 ***


「お待ちください。一佐、ここは私が」


 ビルへ向かう上総を制し、諜報部の有坂渉が行く手を阻んだ。予想もしていなかった行動に、さすがの上総も驚きを隠せない。


「有坂……、なに言ってるんだ。お前は非戦闘員なんだ、すぐに戻れ」


 だが、有坂は動こうとしない。揺るぎない決意を固めたその目は、まるで自分自身を見ているかのようだった。


「命令だ。お前は、諜報部隊長として指揮を執れ。そして、今すぐにそこをどけ」


 しかし、有坂は首を横に振った。最初で最後の命令違反だった。上総は、有坂のただならぬ決意を察した。この男は本気だ。なんとか説得したいが、もう時間も迫ってきている。


「……任務放棄、任務妨害、命令違反。これ以上ともなれば、諜報部どころか組織にさえいられなくなる」


「構いません」


「いいだろう。お前は現今で組織追放だ。さあ、この場から出て行け。お前は部外者だ」


 最悪の空気が流れる。周りの隊員たちは切に願う。これ以上はやめてくれと。さもないと、とんでもなく怖ろしいことが起こってしまいそうで……。


「部外者なら……」


 鋭い眼光を向ける上総に、有坂は決してあってはならない行動をとった。


「軍規違反にはなりませんね」


 あろうことか、有坂は上官であり隊員のトップに立つ上総の額に銃口を向けた。その光景に周りの部下たちは凍りつく。


「な……、有坂特尉!」


「いくらあなたでも、これは……」


 相馬と和泉は、思わず拳銃に手を掛ける。


「いい、やめろ」


 しかし、それを上総が制する。


「……どういうつもりだ」


「行かせませんよ、一佐。あなたはここに残ってください」


 拳銃を構える有坂の眼は、覚悟を決めた中にも、どこか未練を感じさせるように見える。


「これがどういうことか、充分理解してやっているんだろうな。お前だけじゃない、諜報部にも処分を下す」


 それでも有坂は動かない。そして、ついに人差し指は引鉄を捉える。


「どうかお願いします。私は、上官である一佐に銃口を向けてしまいました。この罪は、命を懸けて償います」


 突きつけられた銃口越しに伝わる有坂の決意。だが、彼はこれからの組織に必要な人間。充分に自分の代わりを務めることが出来る人間だ。絶対に失うわけにはいかない。


「もう一度言う。お前はもう、組織とは無関係の人間だ。その銃を置いて、この場から出て行け」


「承服出来ません」


 しかし、有坂は引き下がらない。上総から一ミリも視線を外さず食い下がる。その姿に、上総は目を閉じて眉間に皺を寄せる。そして、激昂の形相で声を上げた。


「任務の邪魔だ!さっさと出て行け!!これ以上言わせるのなら、お前わかってるな」


 上総の荒げた声に、周囲の隊員たちは自らの耳を疑った。ここまで怒りを露わにした姿など、これまで目にしたことがない。


「……あーあ。あんなに怒らせちゃって。まったく、有坂は馬鹿だなあ」


 異様な空気が漂うなか、陽だけはその様子を指揮通信車の中から頬杖をついて見護っていた。


「このまま折るぞ」


 上総は、拳銃を握る有坂の手首を掴む。その手には、今にも有坂の腕を握り潰してしまいそうなほどに尋常ではない力が篭っていた。有坂は僅かに顔を歪めたが、これくらいで退くわけにはいかない。


「……片腕は諦めましょう。ただ、もう片方あれば解析は充分に可能です。そろそろ時間も差し迫ってきております。まだ、お許し願えませんか」


「すぐに、もう片方も潰す」


 上総のその悍ましい目つきは、もはや人間の域を超えているであろう。有坂は無理に笑顔を見せているが、内心酷い恐怖に襲われていた。

上総の恐ろしさを知っているが故、出来ることならすぐにでも腕を振り払ってこの場から逃げ出してしまいたい……!とてもじゃないが、上総の顔をこのまま直視し続けることなど不可能。とにかく怖くてたまらない。もう限界だ。


「一佐……」


 だが、目を逸らしたくても逸せない。身体が固まっていく。


「……うっ」


 拳銃を握る手から力が抜けていく。痛みと恐怖とで全身の血の気が引いていくのがわかる。視界がぼやけ、上総の恐ろしい眼光が徐々に霞んでいく。


「……お前は、俺とは違うだろ。この先も生きるべき存在なのに」


 "自分以外の人間になりたいと願いながら、人生を送るのは耐え難い"


 ***


「柏樹二佐!よろしいのですか、止めるべきでは……」


 必死の形相で、指揮通信車に相馬が駆け込んで来る。しかし次の瞬間、相馬は目の前の光景を疑った。


「え、皆さん……。どうして……」


 外ではあれだけの事態が起こっているというのに、この車内だけは普段と変わらずキーボードを叩く音が響いている。諜報部の隊員たちは、一切外には目もくれず表情ひとつ変わらない。


「……目の前で如何なることが起きようとも、与えられた仕事を放棄してはならない。感情はすべて消すこと。これ、諜報部での唯一の規則。まあ、たった今隊長自ら破ったけどね」


 唖然としている相馬に、横目で陽が微笑んだ。


「平気だよ。上総は、有坂に対して怒っているわけじゃないから。有坂を止められない自分に、どうしようもなく呆れているだけ」


「まったく、勝手過ぎるんだよね。明日からは俺が諜報部の隊長になるわけ?はあ、嫌だな。相馬、俺は有坂隊長ほど聞き分け良くないからね。文句言わないでよ」


 奥の方から、諜報部副隊長の柊朝陽ひいらぎあさひのぼやきが耳に届いた。


「そんな……。このままじゃ、有坂特尉が行くかもしれないんだぞ。柊はいいのかよ、このまま行かせちゃって本当にいいのかよ!」


 柊のあまりにも冷淡な態度に、思わず相馬の口調も強まる。こんな終わり方ってあるか?隊長といえど、同じ部隊の大事な仲間じゃないか。少しくらい引き留めようとは思わないのか?


「……相馬にとっては、その方が好都合だろ」


 しかし、そんな相馬をよそに、柊は依然冷たい視線を向ける。


「相馬の大切な都築一佐の代わりに、うちの隊長が犠牲になって差し上げるんだ。そのおかげで、都築一佐は明日からも相馬の隊長だ。もっと喜べよ」


「なんだよ、それ……。有坂特尉が犠牲になっていいだなんて、そんなことあるわけないだろ!有坂特尉がいなくなったら、諜報部だけじゃなく組織全体にも大きな支障が出るんだぞ。それに、柊だって……」


「なら、相馬が行けば。二人が言い争ってる間に、シェルターに入っちゃえばいいじゃん」


 柊の皮肉に、相馬の表情はみるみる曇っていく。そんな相馬に対し、柊の表情も怪訝なものとなっていた。


「……相馬、お前そんなんでよく外交なんか務まるね。一度諜報部に入ってみたら?すぐに、感情を持たない機械と化せるから」


 その言葉に、遂に相馬は我慢の限界を超え、指揮通信車から出て行ってしまった。


「悪いな。嫌な役を押し付けて」


「いえ別に、慣れてるんで。理解出来るような助言をしたって、まったく役に立たないですし」


 憎まれ口を叩いてはいるが、柊は同じ一尉として相馬には強くあって欲しいと願っていた。すぐに人のことを心配して口を出して、相馬は本当に優し過ぎるんだ。


「しかし、あいつあんなんで都築一佐の後なんて継げますかね」


 腕を組み冷めた表情で、柊は相馬が出て行った扉を見据えていた。


「仕事的には継げるだろうけど、間違いなく相馬自身が苦しくなるだろうね。上総が下さなければならない決断は、本当に辛いものばかりだ」


「だいたい、特務は甘すぎるんですよ。なにもかもが自由すぎる。もう少し組織の人間であると個々で意識してもらわないと、部下に示しがつきません。都築一佐ももっと厳しくするべきだ。なんでもかんでも都築一佐が背負い込んで、これじゃあなんのための隊長かわからないですよ」


「はは、そうだな。確かに、さっきみたいな罵声を常に浴びせられていれば、一切の無駄がなく今以上に円滑に任務をこなせていただろうね」


 柊はしかめっ面でこう言ってはいるが、実は自分自身を非難していると陽はわかっていた。


「……有坂隊長も甘すぎだ。だから未だに私はこんな性格のままですし。服装も態度も、一度だってなにか言われたことはないんですよ」


「それは、有坂がそんなことを気にしない奴だっていうのと、お前がやるべきこと以上のことができているからだろ。上総も有坂も頭の回転が速いから、同じようになにも言わずとも先を見越して動ける奴が、あいつらにとっては助かるんだ」


 柊のキーボードを打つ力が僅かに強まる。心の奥底に抱いている感情。決して外には出さないと誓ったけれど、どうやら自分はそこまで器用ではないらしい。


「"気が滅入っているときは頬杖をつくといい。腕は役に立つのが嬉しいんだよ"」


 腕を組み、笑顔で陽が言い放った。


「……え、突然なにを」


 しばし間が空き、顔を引きつらせた柊がこちらを向いた。


「まあいいから。スヌーピー大先生の言うことは聞いておきなさい」


「……。それ、チャーリーブラウンの言葉ですが」


 柊の表情は歪みを増したが、再び正面を向き目を伏せた。キーボードを打つ手は止まり、なにかを押さえ込むように目蓋を閉じる。


「結局柊はさ、有坂がいなくなったらどうなの?辛くないわけ?」


 その問いに、柊は自分の右手を見つめ、そのまま頬杖をついた。


「……まあ、つまらなくはなりますね」


 馬鹿みたいだ。相馬が羨ましくて仕方ない。都築一佐には明日も会えるんだから、勝手に喜んでいればいいのに。なんで意味もなく、俺のことなんか心配してんだよ。


「俺は、もうわかんないよ……」


 その時、デスクになにかが滴り落ちたのを、陽は見て見ぬ振りをした。


「……」


 陽も、一度手を止めて窓の外へ目を向ける。相馬や柊、そして各部隊の隊員たちは非常に優秀だ。技術面や体力面だけではなく、精神面も厳しく鍛えている。

 だけど、それは外に出てしまわぬよう心を偽っているだけ。結局は、辛くて辛くてたまらないんだ。


「……でも、踏ん張れ」


 ***


「……柊。君はもう、俺の遥か上をいっているよ」


 いつだったかな。あれは、仕事がうまくいかなくて、子供みたいに不貞腐れていた時だったと思う。


 いつもの通り、隊長はこんな態度の自分を叱責するでもなく、横目で微笑んでいた。


「あ、あの……」


 思わず声が出ていた。だって、隊長はまだ続きを話そうとしていたから。それはきっと、まだ聞きたくない事だってわかったから。


「……少しはやる気出た?それなら、もう大丈夫だね」


——全然、大丈夫なんかじゃないよ。


「俺より、柊の方が隊長に向いているよ」


——まさか。冗談はやめて。


「柊、海図のない航海をしてみようか。どんな広い世界が待っているだろうね」


——それなら、一緒に旅に出ればいいじゃないか。


「いいかい、柊。この先たくさんのものを見て、たくさんのことを吸収して、ほんの少しでいいから背伸びしてごらん。出来るだけ、遠くの景色を求めるんだ」


 "僕がいつもそばにいて、助けてあげられるとは限らないんだよ"

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