その眼に映るのは深淵の如く

 ハッキング開始から二十分。ロック解除ももうじき半分を過ぎようとしていた最中、有坂は少し顔を歪め時折パソコン横のモニターを睨みつけていた。


「……」


 最悪の可能性。キーボードを叩く指に力が入る。


「……地下の爆弾、仕掛けられている位置が妙なんですよね。映像が鮮明ではないので、まだなんとも言えませんが」


 有坂の言葉に、陽も衛生通信で映し出した地下の映像に目を向ける。そして、あることに気が付いた。


「これ……。待て、ここにあるってことは。この任務、システム解析ってまさか。これじゃあ、どうしたって誰かが……」


「ここはおそらく余興といったところでしょうね。ただ、我々の考えが正しければ……」


「行くのは、あいつなんだろうな」


 ***


 指揮通信車の隣に数台の軍用車が到着した。どんな状況に陥ってもいいよう、車内にはあらゆる武器や装備品が揃っている。

 だが、陽と有坂の考えが正しければ、今回はこれらのどれも使用することはないだろう。


「状況は」


 戦闘服姿の上総が指揮通信車に乗り込んで来る。ふとモニターへ目を向けた上総は、この場のすべての人間が今回の任務の行く末を悟ったことを知った。


「……状況を、説明いたします。こちらのモニターにて確認出来る爆弾は、おそらく壁の中に埋め込まれています。無理に壁に穴を開けようものなら、その振動で爆発する作りとなっていると思われます。今、解析班が映像を特定しているところです」


 しばし静寂のときが流れた。聞こえるのはキーボードを叩く軽快な音だけ。皆、上総がどんな指示を出すのか息を呑んで待っていた。

 今回の任務の真実、そしてそれに伴う結末。ここにいる全員がそれを知ってしまっている。だからこそ余計に、上総が次になにを語るのかを案じていた。


「……この地下室はおそらくシェルター。そして、この画面中央のシステムが今回の鍵。このシステムを解析し、別の場所に仕掛けられているであろう爆弾を解除するのが、この任務の真の内容だな」


「別に本命があるのね。そして、そっちには大量の爆弾を仕掛けている。ここでの目的は、警察か自衛隊、そして俺らを最低一人は消すこと。まさか、警察の奴らはこれをわかっていてこっちに振ったわけじゃないよな」


「……まったく、厄介なものを。面倒掛けて悪いな」


 特にこれといった指示はなく、上総は指揮通信車から出て行ってしまった。その後ろ姿からは決意と動揺が感じられた。そして、指示がない。それが意味することを部下たちは理解していた。


「めずらしい……。あいつ、少し焦ってたな」


「ええ。この任務を受けた責任、そして本命の在り処を確実に特定することが出来るか。……ただ、そこには一佐自身のことは入っていませんね」


「自分が犠牲になるのは当たり前、なにもおかしくはない。……そんなの、認められるかよ」


 陽は歯を食いしばり、それでもキーボードを叩き続ける。先ほどまでの軽快な音とは程遠く、怒りや苛立ちがこもった力強い音だった。


 ***


 数十分後、解析班によって地下シェルターの全貌が明らかとなった。


「このシェルターは中へ入ったら最後、外側からも内側からも扉を開けることは出来ません。この中央にあるシステムのコードを解析すれば、おそらく別の爆弾が仕掛けられている場所を特定出来るでしょう。もちろん、扉を閉めて再び内側からロックを掛けないと、システムは起動しないようになっています」


 今回の任務の真の内容を聞かされ、相馬や和泉、そして部下たちは目を見開く。混乱する頭の中で、たった今聞かされた内容をなんとか整理する。


「だが、爆弾は壁の中。振動を与えれば即爆発する。よって、爆弾を解除することは不可能」


「遠隔操作はどうですか?爆発は止められなくても、システムにさえ入り込めれば……」


「無理だ。このシェルター内だけは完全にシャットアウトされていて、色々と探ってみたけどまったく入り込めそうにない」


 深い溜め息をついて陽が嘆く。しかし、そんな部下たちをよそに上総は淡々とした様子だった。


「人の手でシステムを解析しなければならない。ただし、コードが判明したところで、地下シェルターからはもう出られないし爆発も免れない。必ず、犠牲になる者が出てくる」


 突然のことに隊員たちは皆動揺していたが、やがて鋭い目つきに変わる。仲間には死んでほしくない。だったら、自分が行けばいいだけだ。そもそもこれは仕事。任務遂行の為なら、自らの生死など関係ない。


「……大丈夫。皆には行かせないよ」


 決意に満ちた部下たちを引き下げ、上総は笑みを浮かべた。


「とりあえず、今は地下シェルターまでのロック解除が先だ。諜報部は引き続き頼む。他は、爆弾の種類特定及び本命候補地の割り出しにかかれ」


 上総が指示を出している普段通りの光景。だが、部下たちの内心は違っていた。"皆には行かせない"確かにそう言った。その言葉が部下たちの心に深く突き刺さる。それじゃあ、誰が行くっていうんだよ……。


「まだ引継書とかちゃんと出来てないんだけど。あと、来週の会合と医師会と……」


 まるで何事もないかのように、上総は携帯電話をいじりながらぶつぶつ呟いている。


「相馬、和泉。急で悪いが、来週の会合に代理で出席してくれないか。さすがにあれは欠席出来ない。医師会の方はキャンセルして大丈夫。あとは……」


 上総はいたって平常だ。そんな上官に、相馬と和泉は悲痛な表情を浮かべるしかなかった。


「都築さん、先ほどからいったいなにを仰っているんです」


「引継とか代理とか、私たちは認めませんよ。指揮官なんですよ、都築さんは。任務完了を見届けていただかないと」


 相馬と和泉は、上総の言葉を遮り口を開いた。こうでもしないとこの人は本当に行ってしまう。上官だろうが無理矢理にでも止めないと、必ず後悔することになる。


「俺は指揮官であり、お前たちの上官であり、この場の責任者でもある。だから、俺が中へ入るのはなにもおかしくはない。爆発を止めることは出来ないし、この任務を遂行すると決めたのは俺だ。その責任を以って俺が行く」


 上総は目を伏せ、それでも笑って応えた。予備の拳銃や銃弾などの装備を外し、無線の調子を確認する。銃も武器も必要ない。必要なのは、コードを解析するための頭脳と死を恐れない強靭な精神力のみ。


「失敗は許されない。爆弾に気を取られて解析を間違ってしまうかもしれないだろ。お前たちに出来ないと言っているわけではないよ。ただ、どちらにしろ俺が一番適しているんだから。……二人とも、この先第一部隊のことは頼むよ」


 もう生きることは出来ないのに、身体中がばらばらに破裂してしまうというのに。それを充分理解していて尚、こんなにも冷静でいられるものなのだろうか。第一部隊長ともなれば、これくらいはどうってことないというのか。時刻は無情にも過ぎて行き、爆発まであと四十分を切っていた。


「おい、じきに地下シェルターまでの通路が確保される」


「そうか」


 指揮通信車の中で諜報部と共に通信業務を行っていた陽は、無線を通して聴こえてくるその声に憂いていた。最も尊敬し一番の仲間だった上総が、あと数十分後にはいなくなってしまう。その正確な時間がわかっているからこそ、何も出来ないことが悔しかった。


「じゃあもう行くけど、必ず次の爆弾は解除しろよ」


「まずは、お前がシステムのコードを解析してくれないと、なにも始まらないんだけどね」


「はは、確かにそうだな」


 上総は力なく笑っていた。それは死ぬことを恐れているからではない。残される部下たちになにも遺すことが出来なかった不甲斐なさ、そしてもうじき現実の世界から解放されるというなんともいえない感情だった。


「……総員、現時点を以ってこの場の指揮権を柏樹二佐に移行する」


 相馬と和泉は、今にもビル内部へ消えてしまいそうな上総の背中を追いかけた。


「都築さん……」


「悪いけど、あいつをサポートしてあげて。今あいつは、総指揮を執れる余裕がない」


 最後まで、上総はいつもの上総だった。無理にそう振舞っているわけではない。これが彼の真の強さだ。するとそのとき、指揮通信車から一人の男が飛び出して行った。

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