有坂渉
運命の灯火
いつもと変わらない午後。特務室に突如、とある任務が舞い込んできた。
「急だが、いけるか?」
久瀬の部屋で、上総は手渡された書類に目を通す。それは普段の依頼書とは違い非常に簡素なものだった。
「これは、私たちが行う必要があるのでしょうか」
上総は顔を歪め、依頼書を一度机に戻す。現場は割と近場で急を要するらしい。内容は、ビルに仕掛けられた幾重もの厳重ロックの解除、非常に難解なシステム解析、そして爆弾が仕掛けられているという。だが、これくらい特殊捜査班で事足りるはずだ。
「どうも、国外で使用されているロックとシステムが仕掛けられているらしい。今回は特捜だと間に合わないとのことで、こちらに依頼が来た次第だ」
「そうですか。まあ、システム解析や爆弾解除は問題ないでしょう。ただ、目的がわかりません。犯人の要求は警察も知らない。これで終わるとは思えませんね。悩んでいる時間もないのですが……」
上総は再び依頼書を手に取り、一字一句漏らさず読み直した。見落としている箇所も、特に無茶な指示もない。
「今日はあまり人がいないのですが、直ちに仮部隊を編成します」
***
この依頼を聞いた時点で、すでにタイムリミットまで約二時間。外出している部下も多数いるなか、上総は残っている部下を掻き集めて急拵えの部隊を編成した。
幸い、情報通信やシステムに強い柏樹陽や諜報部の有坂特尉をはじめ、直属の部下である相馬と和泉も残ってくれていた。
「……以上。まだ詳しいことはわかっていないが、なにしろ時間がない。柏樹二佐及び諜報部は指揮通信車にて現場へ急行。他の者は、先に周辺住民の避難及び交通規制。一時間以内に終わらせろ」
「承知しました!」
普段通り、なんなく任務完了するかと思われた。誰もがそう思っていた。しかし今回のこの任務は、上総をはじめ幾人もの人間に辛い衝撃を与えるものとなってしまった。
***
「凄い数ですね。少しでも気を抜いたら追いつかれそうです」
「俺たちがしくじったらドカンかな」
指揮通信車の中では、先に現場へ到着した陽と有坂、そして諜報部の数名でシステムへのハッキングを開始していた。
今回依頼されたのは、東京港を臨むビルの地下に仕掛けられたとされる爆弾の解除。だが、地下までたどり着くまでには、扉や通路に仕掛けられた多くの赤外線システムや監視カメラのロックをひとつひとつ解除しなければならない。そのため、未だ地下の実状はわかっていない。
早速ロック解除に取り掛かったはいいが、それにはシステム内部に入り込む必要があり、現在ハッキングに気付いた敵側から猛攻を受けているところだ。
「お前、追いつかれそうとか言ってるけど結構余裕だろ」
冷めた目で無心にキーボードを叩き続ける有坂に陽が笑いかける。
「……ええ。まあ、速いことは速いですけどね。数が膨大なだけで、中身は割と軽いですね」
「こういう奴らに限って、簡素だけどいやらしいもの用意してたりするんだよな」
元情報部の陽も別段焦りはない。他の諜報部員も順調そうだ。
「さすがは元第一情報部ですね。噂はかねがね、諜報部から声が掛かっていたとか」
「だいぶ昔の話だな。嫌いじゃないんだけどね、こういうの。誰にも気付かれず敵を潰すのもいいけどさ、俺はやっぱりこの手で直接やってやりたいわけ」
そう言いつつも、陽のハッキングの腕はもの凄い。この組織に来る前は、なんでも公安の特殊部隊に所属していたとかいないとか。
「お前が聞きたいことはわかるよ。俺は選ぶなら現場だけど、欲を言えば裏方もやりたい。ここだったら、まさにお前たち諜報部が俺には合っているのかもしれないけどね。第一情報部だった頃は、正直このまま戦闘員でいるか、声を掛けてくれている諜報部に移るか迷ってたんだけど、あいつがさ……」
有坂は横目で陽へ視線を向ける。いつもそうだ。彼が上総の話をするときは、ほんの少しだけ声色が変わる。
「まあ、酷い上官でね。俺たち部下になんの興味も示さないと思えば、訓練は基礎ばかりで地味に厳しいし。あの表情と態度だからやる気があるのかと疑えば、想像以上の量の仕事を毎日完璧に終わらせてる。戦闘員の方がいいっていうより、都築隊長の下にいたいと思っちゃったんだよね」
陽の話に有坂は記憶をたどる。以前も、誰だっただろう。第一部隊の誰かも同じようなことを話していた。第一印象は最悪だったのに、自分でも気が付かないうちに最も尊敬する人物となっていたんだと。
「お前こそ、なんで諜報部?戦闘員だったら、第一部隊はともかく第二部隊は俺じゃなくてお前が隊長だったかもしれないのに」
陽の言葉に嘘はない。もちろん諜報部だからこそその能力が活かされているのかもしれないが、上総も陽も有坂渉の実力を認めている。
「たいした理由はありませんが、最終的に一佐に言われたからです。それに、私も諜報部から声が掛かっていたので」
「そうか、上総が」
「はい。まあ、今となっては諜報部は自分に合っていると思いますよ。ずっとパソコンと向き合っているわけでもないですし、任務に同行したり広報の仕事もあって退屈はしませんね」
有坂は、ふと上総と初めて会ったときのことを思い出した。皆は印象最悪だったと言うが、自分はどうだっただろう。少なくとも、悪いとは感じなかったような……。
「お前とあいつはよく似てるよ。感情を表に出さないところとか、怒りもしなければ特に喜ぶこともしない。でもひとつだけ違うのは、上総は自分のことは考えないけど自分以外の未来を切り拓こうとしている。お前も自分のことは考えないが、自分以外のことも頭にない。お前の目にはなにも映っていない。希望もなければ絶望もない、空っぽの目だ」
ああ、そうだ。上総と会ったときに感じた違和感。この人は自分とそっくりなのに、僅かに人間臭さがある。都築上総という人間は、これから先どれだけのことがのし掛かろうとどれだけ苦労することになろうと、すべてを受け入れると決めたんだ。
「お前には、なにもないんだろ」
上総と有坂の唯一の違い。それは、自分を犠牲にする理由だった。もちろん有坂も部下のことはちゃんと考えている。だけどそういうことじゃない。もっと深くて重い、常に上に立ってきたからこその理由が上総にはあった。
「一佐は抱えているものが大きすぎます。ですが、そうじゃないとあの人は今にも消えてしまいそうで。苦しみが生きる理由だなんて……」
有坂がここまで話をすることに陽は驚いていた。そして薄々気付いてはいたが、有坂も相当な心の闇を抱えている。いや、すでに闇を通り越して、今やもうただの空洞と化しているのだろうか。
***
有坂の目に映る世界はモノクロだった。
自我の芽生えは比較的早く、この世界における自分の立ち位置や存在価値、そしてどの程度の望みを持ちどの程度の諦めが必要なのかを幼いながらにすべて理解した。
中学までは一般の学校に通い、高校は県でトップ、大学は有名国立。その後は国家公務員として中央省庁に勤務していた。周りよりは秀でていたが、有坂自身としてはごく普通の生活を送っていた。
だけど、これはもう生まれつきなのだろう。どうしても生きるということに意味を見出せないでいた。生きたくもないし死にたくもない。言い換えれば、生きていてもいいし別に死んでも構わない。ただ時間が過ぎるのを待つだけの人生だった。
「……でも、少しだけ光が射したんです。彼女は私に喜びを教えてくれました。早く仕事が終わればいいとか、明日が待ち遠しいとか、そんなことは考えたこともありませんでした。今まで白黒だった世界に、初めて色がついたような気がしました」
「……美月が」
「ええ。ただ、私自身はなにも変わってはいません。考えることや感情が少し増えただけで、相変わらず生に関してはなんの興味も持てないままでいます」
こんな話をしているのに、有坂は眉ひとつ動かさずにハッキングを続けている。こんな大変な仕事でさえも彼にとってはただの作業、あるいはただの暇潰しでしかないのだろう。
「お前も上総も、少しでいいから自分を大事にしろよ。お前たちが生きる気がなくても、周りは必要としているんだから」
「ありがとうございます。……努力、してみます」
自分とはまったく正反対な人間がこんなにも身近に二人も存在して、そしてあまりにも空虚感に満ちているというのに。
「……」
陽は、気の利いた言葉のひとつも言えない自分に腹が立った。
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