もう二度と届かない

 その頃、技術部でただ一人残っている笹谷は、狙撃の目を掻い潜り、じりじりと美月との距離を詰めていた。

 美月は国近を堕とした後、大きく迂回して戦術部を狙いに動いている。だが、美月ももちろん充分に警戒しているため迂闊に近付くことは出来ない。近距離の自分が狙撃手を堕とすには……。

 笹谷のユーティリティポーチには地雷と手榴弾が入っている。本当は手榴弾を二つにするつもりだったが、上総が遠距離ということで急遽変更していた。


「これで、どこまでやれるか……」


 演習前、上総と談話しながら考えていた作戦を今一度しっかりと組み直し、笹谷は走る速度を上げた。


「ねえ、私から笹谷一佐の姿が見えないってことは、私を追ってるってことだよね」


 美月は周囲を警戒しつつ、たまにスコープを覗きながら駆けている。


「まさにその通りだよ。俺も今笹谷一佐を追ってるけど、ちょっと距離離れてるなあ」


 その後ろを、笹谷を追って陽も同じルートを猛然と走っていた。


「……あ。陽、乃村一佐の姿が一瞬見えた。たぶんこっち向かってる。陽はそっちお願い」


「そうだな。陽、乃村に変更だ。美月、笹谷はたぶん突拍子もないことをしてくると思うよ。演習前、なにかいろいろと考えていたみたいだったから」


 美月たちとは反対側の高台で、上総は銃を置き地面に腰を下ろしていた。本来ならば二人の援護をすべきところだが、すでに疲労が限界にきていた。


「なんだろう。うん、わかった。注意してみるけど、これはたぶんやられちゃかも。ごめん!」


「気にすんな。笹谷一佐がいないうちに、俺が戦術部を潰してきてやるから。上総、お前はせいぜいやられないように隠れてろ」


「悪い、あとは任せた」


***


 残り六名。笹谷は美月を追い、陽は乃村のもとへ向かう。


「……これでいい」


 笹谷は、ひとつずつしかない地雷と手榴弾をまとめて紐で巻き付けていた。近距離の自分は、狙撃手に近付きさえすればほぼ堕とすことは可能。だが、自動小銃の有効射程距離よりも離れていれば格段にこちらが不利になる。

 そこで笹谷が考えた作戦は、ひとつにまとめた地雷と手榴弾をピンを外して思いっきり投げ、手榴弾の誘爆による地雷の二次爆発を起こす。


 僅かな時間でいい。周囲の木々をなぎ倒し、行く手を阻まれた美月の足が止まったその瞬間が勝負。

 美月が大きなカーブに差し掛かったとき、その先目掛けて笹谷は手製の爆弾を思い切り投げた。

 笹谷の思惑通り到達直前に一次爆発、そして美月の十数メートル前方にて二次爆発が起こった。


「なんだ今の爆発。おい美月、無事か!?」


 陽が振り返ると、遠くの方で黒煙が舞い上がっている。


「……これは、ルールには書いてないですね。やられました」


 幾重にも横たわる大木の前で、美月は笹谷に背中を向けて両手を挙げた。


「だけど、実戦ではほぼ使えない。桐谷を止めるためだけの無理矢理なものだ」


「いえ、参考になりました」


***


「見たか?あれ。笹谷もあんなことするんだな!」


「まあ、たまには無茶なこともするでしょう。それより、そちらに柏樹が向かっていますが、援護は必要ですか」


 陽に追われている乃村は、笹谷のまさかの作戦に目を輝かせていた。そして、先ほどから手に持っている手榴弾を、振り返りざま陽のいる方向へ投げ付けた。


「逢坂、俺はフラグと拳銃にしたよ。お前は?」


 すかさず、乃村は拳銃を構え全弾ぶっ放す。爆発による煙幕に紛れて、次々と銃弾が陽を目掛けて飛んで来る。


「私は、地雷と拳銃にしました。ですが、乃村一佐や笹谷一佐のような無茶苦茶なことはしません。援護は必要ないようですね」


 逢坂ははなから乃村の援護をする気などまるでなく、逆方向に走って行く。


「ちょ、乃村一佐もなんてことを……。なんなの?今回の演習は、派手なことをした部隊の勝ちなの!?」


 なんとか被弾することなく、陽はぎりぎりのところで木の影に身を潜めた。


「陽、生きてるみたいだな」


「お前、もう動いて平気なのか?無理するなよ。あと、援護はいらないからな」


 一キロメートル先で、上総はスコープを覗き陽の無事を確認していた。美月はというと、先ほど笹谷に後頭部を撃ち抜かれてしまい寝転がっている。


「不意打ちされないようにね」


「ああ大丈夫。とりあえず、乃村一佐の動きは止めた」


 白煙が消え、少しずつ辺りの状況が明らかになり始める。それを確認し、身を潜めていた陽はゆっくりと立ち上がった。


「柏樹、なんだこれ!」


 そこには、乃村を囲うように地雷が埋めてあることを示す印が前後左右の木に括り付けてあった。これでは、乃村は一歩も動けない。


「いや、本当は逢坂をそこに追い詰める予定だったんですけど。上手い具合に乃村一佐が掛かってくれたんで、結果オーライです」


「……乃村一佐、お疲れさまでした」


 逢坂の冷たい激励と同時に、陽は引鉄を引いた。


***


「現在の生存者を発表します。特務室、都築一佐及び柏樹二佐。戦術部、逢坂二佐。技術部、笹谷一佐。残り時間四十分です」


 予想外の展開と生存者に、演習を見守るギャラリーは騒然としている。そのなかで、戦術部戦術課第三部隊隊長の嗣永は、モニターを見上げ一際険しい顔を浮かべていた。


「どうかされましたか?表情がお硬いですが」


 ふと後方から声を掛けてきたのは、諜報部の有坂特尉。


「……」


「お疲れさまです。今回、嗣永三佐が選出されていなくて良かったです。もし選出されていたら、あなたの行いを終わらせることが出来なかった」


 有坂は作り笑いを浮かべ、嗣永に冷たい視線を向ける。


「ああそう……。はは、もう完璧にばれちゃってるんだ。柊は本部でなにをしているんだか、今日は絶好のチャンスだったんだ。……そうか、俺はわざと選出者から外されたのか」


「これからどうされるおつもりですか?このまま、私と共に本部に戻られますか?」


 すでに、有坂の右手はジャケットの内側で安全装置を外しにかかっている。


「それを俺に向けた時点で、もう取り返しがつかなくなるな。別にいいよ、一緒に戻ろう。……俺もさ、いい加減終わりにしたかったんだ。罪状はなに?まあ、極刑以外考えられないけど」


「……これは、都築一佐からの指示です。この後、嗣永三佐にはバンクーバーへ飛んでいただきます。都築一佐と付き合いの深い研究所があり、そちらで引き続き病理研究をお願いしたいと。先ほど柊より連絡があり、なんとかすべての準備が整いました」


 有坂の発言に、嗣永は一瞬頭が混乱した。拘束しに来たんじゃないのか?むしろ殺されてもおかしくない。それなのに、逃亡の手助けだと?


「おい、お前ら諜報部だろ。こっちの肩持ってどうすんだよ。都築一佐や逢坂二佐はともかく、俺なんかすぐに消せるだろ」


「都築一佐の命令だからです。私たちは本部の人間だからとか諜報部だからとか、正直そんなことはどうでもいい。正義のために命張って仕事しているわけでもありません。……ああ、ご安心ください。柊も、都築一佐の命令でしたら、文句ひとつ言わずに聞きますので」


「諜報部は、全部知ってる……?こちら側なのか?」


「どちらでもありません。私たちは都築一佐のご命令に沿って動いているだけです。ただ、すべて存じ上げております。それと、諜報部といっても関わっているのは私と柊のみです。嗣永三佐はなにも気にせず、一佐の指示通りに動いていただきたい」


 自分にとっては非常に好都合な話だが、嗣永は決心しきれないでいた。今までしてきた惨忍な行いを、こんなにもあっさりと水に流せというのか?


「罪の意識を感じることはありませんよ。嗣永三佐は被害者です。そして、部下の責任は上官がとるもの。逢坂二佐の決意を、無駄になさらないでください」


「……は?なんだよそれ。逢坂二佐が責任をとるって」


 そんなのなにも聞いてない。責任ってなんだよ、決意ってなんだよ。俺が生き残るってことは、そういうことなのか……。


「逢坂二佐からの要望により、都築一佐が上層部に掛け合いました。嗣永三佐を見逃す代わりに、ご自身で逢坂二佐を処分すると」


 嗣永は、目蓋を閉じて小さな溜め息をついた。逢坂が最悪な選択をしたこと、なにも知らなかった自分。諜報部が関わっていたことすら聞かされていなかった。あまりの不甲斐なさに吐き気がする。


「どうして。逢坂二佐ばかりが、どうしてそんな……。本当に優しい人なのに、皆勘違いしてる。なんで笑うことをやめたのか、ちゃんとわかって欲しいのに」


 怒りと悔しさが込み上げてくる。握った拳が小刻みに震えだす。


「お前ら、なんのために俺たちを監視してたんだよ。逢坂二佐が、あいつらにどれだけのことをされていたか知ってただろ!右眼がほとんど視えてないんだ。首も腕も神経をやられてんだよ。それなのに、ただ黙って見てたのか?都築一佐もそうなのかよ……。なにか手を回したりとか、なにか出来なかったのかよ……」


「……申し訳ありません。その件に関しては、逢坂二佐より手は出すなと申し付けられております。なにがあろうと絶対に関わるなと、きつく命じられました」


 嗣永は、再び頭上のモニターを見上げた。そこには、もう二度と言葉を交わすこともなく、顔を合わせることさえ許されない上官の姿が映っている。

 文句のひとつも、そして感謝の言葉を伝えることすら叶わない。嗣永は、静かに頭を下げた。


「いや、なにも出来なかった俺が悪い。知っていたのになにもしなかったから。本当に申し訳ありません。……大変、お世話になりました」


「さあ、参りましょう。彼らが気付く前に」

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