ふと、本性が垣間見え
「あれ、柊は本部?」
作戦室へ向かう途中、桐生は見学席の片隅でひとり携帯電話をいじる諜報部隊長の有坂渉特尉に声を掛けた。
「……お疲れさまです。柊は急ぎの業務がありまして。さして、この演習にも興味はないようです」
有坂は、隣に腰掛ける桐生を前にただ正面を向いて淡々と応える。
「だからさ、敬語なんて使わなくていいのに。従兄弟なんだからもっと気楽に行こうよ」
「そういはいきません。桐生二佐は上官ですから」
「そんなこと言って、話したくないオーラ全開だけど」
この二人は従兄弟同士であるが、有坂は一方的に桐生とは距離を置いている。
「……そのピアスさ、外してもいいんだよ?」
その一言に、有坂の表情は途端に強張った。右耳にひとつ開けられたピアス。隣に座る男に、強引に開けられた畏怖の塊。
「髪の毛であまり見えないから、別にどちらでもいいんだけど。辛かったら外していいからね」
「……」
「諜報部は楽しい?俺はさ、今でも渉はこっちの方が向いていたんじゃないかなって思ってるよ。実際、順位も俺より上だしね」
こちらの様子などお構いなしに、桐生は話すことをやめない。こちらを見なくとも、今自分がどれほどに青い顔をしているのかを愉しんでいる。
「……外したら殺すんだろ。俺は死んでも構わないけど、一佐は巻き込むな」
携帯電話を握り締める有坂の頭に、思い出したくもない厭わしい記憶が甦る。
***
逢坂が、ある任務で大怪我を負って戻って来た夜。それは、上総と有坂もこうなる事を見越して、ひとりで向かわせた事案。
案の定、逢坂は緊急手術が必要となり、極秘に病棟へ入院することとなった。そして、その時の上総との電話越しでの会話を聞かれてしまった。
「……逢坂二佐ですが、あと二日で強制退院をお願いします。次は今回ほどではないでしょうし、メサドンを使用すれば、もう二、三発撃たれても平気かと」
確かに、あまりにも心ない言葉だ。真相を知らない者にとっては、そして特に桐生にとっては、決してあってはならない言葉だった。
翌日、桐生に呼ばれ悪夢は始まった。
***
「……思い出してるの?あの日のこと」
隣に座る桐生は、作り笑いを浮かべてこちらへ顔を向ける。忘れてしまいたいさ、だけど忘れてはならない。忘れることなんて出来ない。そうしたのは、お前自身じゃないか……。
***
「なに。聖が二、三発撃たれていいって。強制退院?今、海外出張中なんじゃないの?」
桐生は、有坂たちが裏でなにをしているかなどまるで興味はない。自分の知らない逢坂を知っている。逢坂を酷い目に遭わせている。ただ、それだけが許せない。
「申し訳ありません。口外することは出来ま……」
気が付いたら、床に転がり蹲っていた。目に見えぬ速さで桐生の蹴りをくらった。内臓が破裂したのでないかと思うほどの強烈な痛み。冷や汗と眩暈が襲い、声が出せなかった。
「……都築一佐もそうなの?一緒に、聖を苦しめてるの?」
「うっ……」
徐に、桐生は棚からある物を取り出し、有坂の右耳に突き刺した。
「……!!」
その痛みに思わず右耳を覆う有坂を、桐生は再度蹴り飛ばした。今度は頭。たった今痛みを与えたばかりの右側頭部。その衝撃に軽い脳震盪を起こしたのか、有坂の意識は朧げだった。
「よく聞けよ。そのピアスは爆弾なんだ。いつでも、俺が爆破出来る。人混みにいる時でも、都築一佐や桐谷といる時でも」
腰を下ろし、無表情でこちらを見下す桐生。昔からこうだ。彼には異常な二面性が隠れている。親戚ゆえ彼の性格は知っていたが、いざ自分に向けられるとこれほどまでに怖ろしいとは。
「おい」
髪の毛を鷲掴みにされ、生気のない眼で桐生はこう言った。
「だから、爆破されたくなければ外してもいいよ。……ただ、外したら都築一佐を殺すからね」
その時の桐生の顔は一生忘れることはないだろう。たった今、自分はこの男にすべてを支配された。
***
「あの日のことも今日の模擬演習も、なんならこの組織自体、俺にとってはどうでもいいんだ。それは、渉だって同じでしょ?」
桐生は携帯電話を取り出し、ある画面を表示して見せた。
「ここを押せば、一瞬で君の上半身は粉々だよ。ほら、押してもいいよ。俺を巻き添えに、もう全部終わりにしたら?」
「……はは、それは名案だ。だけど、楓のような頭の狂った人間はこの組織には必要だから。心が存在しない奴じゃないと、裏仕事なんてとても出来ない」
「なにそれ。俺の仕事は、パトロールと兵器や戦闘機の開発整備だよ」
桐生は軽く笑い、腕を組んで背もたれに寄りかかる。この男は本当に怖い。とにかく、自分自身が行う事に対して容赦がない。
「……昨日は十八人殺したろ。こちらの指示書には五人となっていたのに。まったく、一佐と楓くらいだ。ほぼ毎日裏仕事をしているのは。笹谷一佐にさえ知らせないで勝手にやっていることも多いし、それらを揉み消すのに諜報部がどれだけ労力を使っているのか知ってるだろ?」
「へえ、もう根回し終わったんだ。さすがだね!この先も頼むよ。消さなきゃいけないクズは、まだごろごろいるからね」
そっと、右耳に刻まれた死の刻印に触れる。彼は、人を殺すことを愉しんでいる。以前、ストレス発散になるとも言っていた。それでも、平穏な自分も保っておきたいため、技術部に在籍し続けているらしい。
「それより、いつまでもふらふらしてるなよ」
「ああ、まだ大丈夫だよ。作戦会議まで時間あるし……」
ふと、有坂の表情が変わった。一呼吸置き、諜報部の顔で桐生を見据える。
「そうじゃない。……諜報部から忠告だ。桐生二佐、あなたは標的の最も近くにいながら最も遠い場所にいる。俺から言えることは、今はその場所から絶対に動くな。ただそれだけだ」
「……なんの話?A戦の話ではなさそうだけど」
急な忠告にも関わらず、桐生はなんだか落ち着いた様子だった。……なんとなくわかっている?本質的なところまでは理解しなくとも、おそらく勘の鋭い桐生は大方気が付いているのではないだろうか。
「諜報部って一番神経使うよね。外も中も調査しないといけないし。……忠告、受け取ったよ」
「じゃあ、本部に連絡しないといけないことがあるから、俺はこれで」
有坂は重い腰を上げ、軽い敬礼を掲げる。
「渉、お盆は一緒に帰省しよう。全然帰ってないだろ、皆喜ぶよ」
精悍な顔で見上げる桐生に、有坂は辛辣な表情を向けた。
「それどころじゃなくなるよ……」
そう言い残して、有坂は足早に去って行った。
「……お別れは近いね」
***
「特務は最終確認しないの?」
演習場の入り口で、ひとり立っている美月に逢坂が声を掛けた。
「一番乗りだと思ったんだけど、もう桐谷がいた」
「逢坂二佐!今日はよろしくお願いいたします」
その声に、美月は勢い良く振り返り笑顔で敬礼を掲げる。
「上総は研究所から電話が掛かってきまして、陽もすぐ戻るってどこか行っちゃいました。逢坂二佐も、最終確認はなさらないんですか?」
「乃村一佐と昴はしてるよ。たぶん伏見たちも一緒に」
「明里もですか」
「彼女にとっては勉強にもなると思うし。今日はなんか、他に考えたいことがあって。ちょっと外してもらったんだ」
たまに美月の前で見せてくれる笑顔も、今日はなんだか哀しげなものだった。
「……もちろん本気でやるけど、正直別のことで頭がいっぱいで。俺自身、どこまでやれるかわからないな」
「それでも、逢坂二佐と今回訓練を行えて私はとても勉強になります。実際戦うのも久し振りですし、今日こそは命中させていただきますよ」
堂々と撃ち倒す宣言をした美月に、逢坂は精一杯の笑顔を見せた。
「うん、お互い全力でやろう。……これが、最後になるだろうし」
「え、最後……?」
初めて見せる逢坂の物憂げな表情に、美月はこれ以上言葉を発することが出来なかった。
「……ねえ、桐谷。正直、組織を辞めたいって思ったことはない?」
「そうですね……、正直ないです!」
突然の問いに少し考えながらも、美月はあっさりと答えた。
「すべてが自分に合ってるんですよね。任務も訓練もとても愉しくて、辞めろと言われても絶対に辞めないです」
「そうなんだ、それは良いことだね。なかなかそう思える職場ってないだろうし」
「……」
笑顔を浮かべていた美月だったが、次第に表情が曇り始めていく。
「……それと、ここなら私の最後の願いが叶う気がして」
「願い?」
言葉とは裏腹に、美月は口を噤み少し険しい顔を浮かべていた。願いといっても、叶えば必ずしも良い方向へ向かうというわけではないのだろうか。
「自分が死ぬとき、誰かに感謝されたいんです。褒めてもらいたいんです。私、自分で言うのもなんですが、これまで結構周りのことを考えて生きてきました。そういう性格だっていうのもありますが、自分のことは犠牲にして周りのために頑張ってきました。ですが、誰も私のことを見てくれはしなかった。だから、最期くらいは誰かのために、誰かの犠牲になって終わりたいんです」
まるで想像もしなかった発言に、逢坂はしばし言葉を返すことが出来なかった。
自分が死ぬことによって、誰かに感謝や賞賛をされたいだなんて、それでは彼女の生きる理由は死ではないか。
「それが、ここなら叶うと……」
「はい。これだけ危険な仕事なので、近いうちに実現するかなと。ですが、それでは感謝はされてもまだ褒められはしません。部下や上官の皆さんの信頼を得て、惜しみつつも褒めてもらうために、これからも仕事を頑張るんです。……よくやったって、言ってもらいたいんです」
「でも、それはなにか別の方法で叶えることは出来ないの?」
「そうですね。いろいろと頑張ってはみたのですが、私良いところがないので。身体を張るしか、もう残っていないのかなって。少しで良い。誰かに、私の存在を認めて欲しかった」
美月が組織に在籍しているのは、自分が望む終わり方を実現出来るかもしれないから。美月が仕事に奮闘しているのは、自分が死んだときに褒めてもらいたいから。
なんでもっと、早く気が付いてあげられなかったんだろう。こんなに哀しい願いを抱き続けて、辛い任務や訓練を今まで頑張っていたなんて。
「もちろん、任務中であれば喜んで命を捧げますが、事故死とか病死は勘弁ですよ。今は今でとても充実していますので、この時間がずっと続けばいいなと思います。そして、いつか来る最期の日に、願いが叶えば本望ですね」
***
「おい美月!離れろ離れろ、陰険さが感染る」
遠くの方から陽が声をあげている。その後ろには上総と笹谷の姿もあった。
「うるさいな。演習始まったら、さっさとその口封じてやるからな」
「ああ?お前こそ、ぼけっとしてるとすっ転んでそのまま終わりだぞ」
「おい、逢坂」
陽と睨み合いが始まる寸前、笹谷がこちらに気付き声を掛けてきた。
「はい」
「お前、調子悪いんだって?テスト飛行は出来そうか」
「……ああ、ええ。支障ありません。予定通りよろしくお願いします」
一瞬言葉に詰まりながらも、逢坂は普段通りの整然とした様子で応対した。
「まあ、無理はするな。墜落なんてされたらどうしようもないからな」
冗談を言い残し、笹谷は桐生と国近のもとへ向かった。逢坂は、やるせない思いでその背中を目で追っていた。
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