いつだって、誰かが見てくれているから

「……このときのため、か」


 病室の外で、逢坂は壁に寄り掛かりながら二人の話に耳を傾けていた。

 もちろん上総の見舞いに来たのだが、陽のことも気掛かりだった。逢坂にとっては、陽が不調だろうと別にどうだっていいことだが、あんなにも上総のことを考えていたとは思わなかった。

 陽のことは好きではないが、特別嫌いなわけでもない。ただ、喧嘩を売られれば買うだけだし、部署が違うため普段は接点もあまりない。それでも、想像以上に人間らしさが伝わってきて、それがどうにも気になっていた。


 陽が病室から出て行くのを物陰から確認し、逢坂は再度扉の前に立つ。おそらく、上総はすでに気が付いているのだろう。ノックも名乗る必要もなさそうだ。


「……失礼いたします。代わる代わる申し訳ありません。そろそろお休みになられたい頃だとは思ったのですが」


「いや、今は誰かと話していたい気分なんだ。こんなことをしておいて矛盾しているけどね。……もしかして、陽の話に付き合ってくれた?」


 やはり、上総は自分が来るのをわかっていたようで、こちらを向いて微笑んでいた。


「……ええ、まあ。もともと情の厚い奴ですが、今回のことで相当滅入ってしまっているようでして。励ましてやるつもりが、つい余計なことまで」


 逢坂は、ベッドから少し離れた場所に後ろ手を組んで立っていた。仕事中であってもなくても、逢坂は軍人として上官に対する態度は徹底している。


「それを聞いて、陽はどんな様子だった?」


「はい。ボストンで都築一佐と知り合ったと話すと、柏樹はなんだか落胆した様子でした。柏樹曰く、自分は都築一佐に対してなにも役に立っていない。それなのに、部署が違う私ですら昔から都築一佐と接点があり、今の都築一佐のこともよく理解していると」


「そう……。役に立てていないなんて、そんなことはないのに。陽はああ見えて繊細だからね。一度罪悪感を感じてしまうと、なかなか抜け出せないところがある」


 逢坂は、ただ黙って上総の話を聞いていた。意見を求められない限り、下の者からの発言はしないよう努めていた。


「……陽や有坂たちと違って、相変わらず逢坂は仕事関係なく上の者に意見を述べたりはしないね。でも、今だけは想っていることを正直に言ってくれないかな。十年前のように、俺のためを想ってくれるなら」


 上総の言葉に、逢坂は記憶の底からボストンでの出来事を引っ張り出した。ふと口に出してしまわぬよう、奥へ奥へとしまっていたこと。


「俺自身のことで自暴自棄になったとき、逢坂はちゃんと止めてくれた。なにがあったか、詳しく話してもいないのに」


 ボストンに留学している間、上総は人目を盗んでISAのことを徹底的に調べ上げていた。内通者も特定し利用出来るものはすべて利用し、遂に元凶である恩田の存在を突き止めるまでに至った。

 逢坂は、目を伏せてそのときのことを思い出す。組んだ腕を解き、全身の力を抜いた。


「……だって、あれは仕方ないでしょ。どこから手に入れたんだか、都築が拳銃片手に飛び出して行ったから。どんな理由だろうと、あの状況は止めるべきだろ」


 椅子に腰掛けた逢坂は、部下ではなく当時上総のひとつ上の先輩だった頃の表情を見せた。


「そうだよね。あとで冷静になってよく考えて、本当に逢坂が止めてくれて良かったって思ったよ」


「いつだって誰かが止めてやらないと、都築はどんどん自分を追い込んでしまうから。でも、それは今も変わらない。きっと都築は、たくさんの人に見護られて心配されながら、この先も進み続けて行くんだろうね。それでも、やっぱり声を掛けてあげる人間は必要だから。そして、その役目はもう俺じゃない、柏樹の仕事だ」


 二人は、十年前にボストンで出逢った頃のように、今では誰にも見せない穏やかな表情を浮かべていた。

 ISAで再び顔を合わせ、上官と部下という立場になりはしたが、二人の関係は変わらなかった。逢坂は、部下として軍人としての態度を保っていたが、心の中では以前からの友人として上総のことを気掛かりにしていた。


「……ひとつ言わせてもらうと、都築は本当に大変なことをしたよ。このことを知った者にとって、今回の出来事がどれだけ影響しているか知らないだろ?あの柏樹があそこまで弱り、その場にいた研究員たちはどれほどの後悔に苛まれ、どれほどに目を腫らしたことか。自分がなにかしてあげたいってだけじゃなくて、皆を安心させてやりたいって考えるんだ。都築の場合は、もう少し休んで笑っていてくれるのが一番なんだよ」


「そうか……」


 メスを手にしたときは、本当に精神が崩壊しそうだった。死んでもいいとさえ思った。自分がいなくなろうと、周りの世界は変わらないと。


「こんな騒ぎを起こして、やっと気付いたことがたくさんあったな。これからは、皆に少し迷惑を掛けてしまうかも。たまに、相談したり愚痴を吐いたりしてしまうかも」


「それでいいんだよ。むしろ、それが普通だ。都築はひとりなんかじゃないんだから、周りにたくさんいるんだから。皆それぞれ、楽しいことや辛いことを共有し合って心の整理をしている。都築だけだよ、すべてを自分の中に押し込めているのは。少しずつさ、せめて柏樹には弱音を吐いてやれ。あいつ、きっと喜ぶと思う」


「……うん。ありがとう」


 俯きながらも、心なしか痛みや苦しみが和らいだように見えた。上総は冷酷でもなんでもない。ただ一所懸命で、周りのことばかりに気を遣い過ぎなだけだ。誤解されやすいが、どうか彼の本心に気付いてやってほしい。逢坂は、今までずっとそう願っていた。


「お話のところ失礼いたします。都築先生、そろそろ新しい点滴に……」


 助手が申し訳なさそうな表情を浮かべてやって来た。彼はこの二日間一睡もせず、ひたすらに上総の看病に徹していた。


「では、私はこれで。お疲れのところ長々と申し訳ありませんでした。嗣永より催促を受けているかとは思いますが、どうかご無理はなさらず」


 一礼をし、逢坂は病室を後にした。


 ***


「悪いけど、ガートル台持って来て。今日中に試験しておかないと間に合わない」


「……かしこまりました。すぐに用意いたします」


 本心は断りたかった。腕の傷も心の傷も癒えていない状態のまま、以前の生活に上総を戻したくはなかった。


 有坂、柏樹、逢坂と会話を重ね、僅かに上総の表情には覇気が戻っていた。

 やはり、隊員たちと自分とは違う。少しは上総のことを理解出来ているものだと思い込んでいた。自分は上総の心を変えることなんて出来ない……。


「はあ……」


 助手は静かに溜め息をついた。自分は、このまま彼の側で共に仕事をしていても良いのだろうか。迷惑ではないだろうか。


「それと、今日はこれで休んでいいから。全然寝てないんだろ。俺のせいで本当にごめん。ただ、これからはもっと相談とかさせてもらうよ。皆に負担を強いることになると思って、今まであまり意見を求めたりはしなかったけど。やっぱり、俺はひとりじゃなにも出来ないし、皆の助けが必要なんだ。今後、益々俺との仕事は大変になると思う。でも、拒否はさせない。これからもよろしく頼むよ」


 はっきりと激務を強制されたが、助手は高揚していた。頼りにされている、これからも上総の側で仕事が出来る。拒否なんてするものか、どれだけの激務だって乗り越えてやるさ。


「……かしこまりました。今まで以上に精進いたしますので、どうかこの先もよろしくお願いいたします。それと、都築先生はこれからも変わらず、今までの都築先生でいてください。その代わりと言ってはなんですが、今後ご迷惑を承知で我々は都築先生に話し掛けさせていただきます。仕事のことだけではなく、時には世間話もさせていただきます。もちろん聞き流していただいて構いません。それでも、我々はしつこく声を掛け続けます!」


 勢いのまま宣言を終えて、なんてことを言ってしまったんだと蒼白になる助手を前に、上総は優しい表情を浮かべていた。


「ああ、助かるよ。俺、結構人見知りで話し掛けたりするのは苦手でさ。あ、でも良い返しは期待しないで。……今の仕事が落ち着いたら、開発室で食事にでも行こうか」


 二人の会話を廊下で聞いていた開発室の研究員たちは、速攻で仕事に戻った。


「さっさと終わらせるぞ」


「ど、どこに連れて行ってくれるんだろうね」


「今から緊張するな。でも、楽しみだな」


 活気溢れる夜明けの病理研究所。今日も多忙を極めた一日が始まった。

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