結局、敵わないんだ
「あ、おーい柏樹」
前方で大きく手を振っているのは、技術部技術課第二部隊隊長の桐生楓二佐。彼はいつでも明るく組織のムードメーカーだ。
「これからパトロールか?」
「うん、外寒いから中にたくさん着込んできたよ。そういえば、聖が捜してたよ」
「今テラスで会ったけど、すげー嫌味言われた」
「二人は本当に仲が悪いね」
桐生は、タブレットPCを立ち上げパトロール情報を確認している。そんな桐生を横目に、陽はぼそっと呟いた。
「……逢坂って、実は良い奴なのかな」
「ええっ」
突然の陽の一言に、桐生は開いた口が塞がらない。いったい、この二人の間になにがあったんだ。
「なんか話聞いてくれたし励ましてくれたし、もちろん相変わらずだったけどさ。でも、帰り際にこれくれたんだよね」
陽は、ポケットから缶コーヒーを出してみせた。それを目にした桐生は、腕を組んで数回頷く。
「うん、それはいつもの聖だね。柏樹以外の人相手だともっと優しいよ。いつかそんな聖が見られるといいね」
桐生は満面の笑みで陽の肩をポンと叩く。だが、次第に険しい顔つきに変化した。
「……でもさ、俺は柏樹相手の聖よりももっと恐ろしい聖を知ってるんだよね。柏樹さ、聖と戦ったことある?」
「え、ああ。模擬演習で戦術部とは当たってるけど……」
「サシではないでしょ!?」
今度は両方の肩を力強く掴まれた。思わず陽は後ずさりをする。
「今度戦う機会があったら、ぜひ聖にぶつかってみてよ。怖いよ、本当に怖い。もうね、なんだろう……。目が合ったら、ああこれは終わったって感じるんだよ。聖、足速いし隠れるの上手いしさ。すぐには撃たずにじりじりと確実に距離を詰めてきてね、ふと後ろを振り返ったら最期、あの顔はたぶん一生頭から離れない。俺からしたら、聖は都築一佐よりも怖い」
逢坂と一番仲が良いはずの桐生がここまで恐怖に苛まれるとは……。確かに、演習では逢坂は上総にしか堕とされたことはない。
「じゃあ、逢坂は鬼じゃん」
「鬼……。え、都築一佐は?」
「あいつは大魔王だ。眼力だけですべてを支配する大魔王」
「……くっ」
一瞬思考が止まった桐生の影に隠れて、誰かが失笑した。
「鬼も酷いですけど、しかし大魔王って……!」
口を押さえて笑いを堪えていたのは、技術部開発課第三部隊隊長の城戸樹生三佐。
「都築一佐のことをそんな風に言えるのって、上層部を含めても柏樹二佐だけですよね。ああ面白い」
「確かに。柏樹がなに言ったって、都築一佐は全然気にしてないもんね。まあ、スルーされてるとも言えるけど。柏樹は、都築一佐にとって隣にいて当然の存在で、柏樹になにかあれば必ず助けるし、時には助けて欲しいと心の奥底では願っているのかもしれないね」
陽ははっとした。核心を突かれた気がした。逢坂といい桐生といい、皆よく見ている。自分だってなにも気が付かなかったわけじゃない。でも、考えているだけではなにも変わらない。行動に移さないと意味を成さない。
「じゃあそろそろ行かないと。城戸、たくさん着てきた?外すごい寒いよ。柏樹も、冷めないうちにそれ飲んじゃいなよ」
「では失礼いたします。桐生二佐、すみません電話が。先に外出ていますね」
携帯電話を手に、城戸は小走りで扉へと向かった。陽も、自室へ戻ろうとエレベーターへ向かう。
「……聖と、どんな話をしたの?」
背中を向けたまま、陽は足を止めた。その声に陽は眼を見開く。普段の朗らかな桐生ではない。滅多に見せない、感情を棄てたかのような酷く冷たい声色。
「いつもの聖と違ったんでしょ?それって、誰の影響かな」
「影響?……まあ、強いて言えば上総かな」
その名前に、一瞬で桐生の眼は据わる。
「……そう。でも、いくら都築一佐だからといって、これ以上聖を困らせるのなら、さすがに俺も考えちゃうな」
「桐生……?」
パトロールへ向かう二人の背中を見送りながら、陽は逢坂が置いていった缶コーヒーのプルトップを開けた。
***
「都築先生……!大丈夫ですか、具合はいかがですか?それと、申し訳ございません。都築先生のことを桐谷三佐に」
「ああ、そうでした。三佐より託けを受けております」
いたって平然とした表情の有坂とは対照的に、助手は顔を青くして飛び込むように病室へ駆け込んで来た。
「わかってるよ、なにも気にするな」
ふと、有坂が後ろを振り返る。
「……一佐、客人が」
病室の入口へ目を向けると、険しい顔をした陽の姿があった。
「では、これで失礼しますね。こちら、来月の大阪支部視察の予定表です。お時間がございましたら目を通しておいてください。なにかございましたらご連絡ください」
有坂と助手が去り、病室には上総と陽の二人きりになった。ゆっくりと話す場を設けるのはいつ以来だろう。
「全部、知ってそうだな」
有坂から受け取った書類に目を向けながら、上総は軽く微笑んだ。
「ああ、廊下で聴いてた。血圧がどうとかDC用意しろとか、自分の耳を疑った。お前、本当になにしてんだよ」
「……ごめん」
陽は椅子に腰掛け俯いていた。今、自分は哀しいのか辛いのかよくわからない。なんて言葉を掛けるべきなのかも思い付かない。
「……逢坂が、お前はボストンに留学していたときから変わらないって言ってた。相変わらず頑張り過ぎる性格で、止まることを知らないって。逢坂は、昔のお前ことも今のお前のこともよく知ってる」
上総は書類から目を離し、その言葉の真意を考えた。陽から逢坂の名前が出てくること自体めずらしいことなのにどうして。
「皆ちゃんと周りを見てるよな。違う部署の人間のこともよく見てる。俺もさ、そうなりたいって思ったんだよね」
「……」
上総は、陽の中に渦巻く後悔や羨望、そして諦念の想いを汲み取った。
「まず、俺なんかって卑屈にならずに、そうなりたいって前向きに考えた点は自分を褒めてやれよ。それと、お前もちゃんと周りが見えているよ。第二部隊を見ればわかる。俺たちのような個々の動きじゃなく、完璧にチームとして動けている。隊長や隊員という括りを超えて、皆が一丸となるのはなかなか出来ないことだ。対して俺は、愛想はないし部下を見捨てたし、訓練ばかりに厳しい名前だけの隊長だ。お前がいなかったら、当時の第一部隊は壊滅していたよ」
「違う、あれはお前が正解だった。間違っていたのは全部俺だ」
「結果的にそうだったとしても、部下に不信感を抱かせてしまったのは事実だ。あのときはまるで隊長とは呼べないほどに心許ない、信用のない人間だったよね、俺は」
昔のことを話す上総はなんだか愉しそうだった。笑った顔を見るのでさえ久しい。たまにでいい、こうやってなんでもないことを話す時間が必要だったのだと気付かされる。
「上総、このままで大丈夫か?もうやめた方がいいんじゃないか?精神的にも辛いだろ」
「今さら引き返せないよ。これが最短のルートだし、恨みを買うのは俺だけで済むから。恩田の情報はまだあまり集まっていないけど、橋本の方は思ったよりも単純だった。すでに俺のことを信用しきっている」
上総は、組織のために極秘で恩田や橋本の下についた。彼らの情報を得るのが目的だが、それは結果として仲間を裏切る行為となる。
これまでは慎重に調査を行ってきたが、上総自身の病状悪化とともに陽の身体も少しずつ深刻化しており、悠長に構えている場合ではなくなってしまった。
「……でもさ、恩田のやり方は本当に酷いものだよ。研究員たちがあまりにも可哀想で。だから、尚更早く終わらせないといけないし、俺の身体もお前の身体もそろそろ限界だ。今が動き始める最初で最後のチャンスだ」
研究所の中でも、一部の人間にしか指示されない特別な仕事。他会社を潰すためには手段を選ばず、裏ルートで手に入れた違法薬物にて罪人を使っての人体実験。そして、邪魔者を排除する仕事は上総が単独で行っていた。
そんな恩田の残虐さを身をもって知りながらも、それでも上総は恩田らの下につくと決めた。
「頭が良過ぎて、仕事が出来過ぎて、周りのことを考え過ぎる。それは長所でありながら、お前にとっては最悪の短所だ」
「……仕方ないよ、こんな考え方しか出来ないんだ。陽、もし俺が最後まで持ち堪えることが出来なかったときは、悪いけど頼む」
もしもの話ではない。このことを充分わかっているだけに、陽は心苦しかった。
「……なにをしたらいいのかわからないんだ。これから先、俺はどうあるべきなのかもわからない。お前のためになにかしてやりたいのになにも出来ない」
「とりあえず、今はなにをするにも自信がないと言うのなら、お前はなにもしなくていい。なにか不都合なことがあるなら、俺がすべて引き受けてやる。お前はただ、そこにいてくれればいいから」
またそうやって、一人ですべてを背負い込むつもりだろうか。そうやって、終いには部下を助けて護ってくれるんだ。でも違うだろ、なにをしにここへ来たんだ。次は自分の番ではないのか。
「だめだ、お前にばかり任せていたからこんなことになったんだ。これからは、俺が全部ちゃんと……」
陽は、ただただ後悔に呑み込まれていた。眉間にしわを寄せ唇を噛み締め、大きな不安に押し潰されそうだった。
「お前に、これ以上の負担は……」
「なんのために、俺はお前よりも上の階級でいると思ってるんだ」
潤んだ瞳に、このときの上総の顔は映らなかった。きっと、今までもこれからも目にすることのない優しい顔だったのだろう。
「ああ、くそ……」
もう、涙を隠すことは出来なかった。
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