哀傷の鳥が鳴くとき
本部内対抗模擬演習大会
暑さ厳しい八月半ば。ISA本部内は、ある行事に向けて慌ただしかった。
「選抜者、発表されましたね」
年に幾度か地方支部と模擬演習を行っているが、今回開催されるのは普段とは少し違い、本部内対抗模擬演習大会という特別な演習だ。
特務室、戦術部、技術部にて、A戦と呼ばれる隊長戦や小隊長戦のB戦、そして分隊員戦のC戦と三つの競技で争う。
A戦は特務室に合わせて各部三名ずつ選出、B戦は各部小隊長六名が出場する。C戦は二戦行われ、二つの部隊に分かれて出場する。
そして、このA戦の人員が周知されるのが大会一週間前となっていた。
「今回は、結構バランス良く選ばれたな」
「だね。これはどうしよう」
特務室は元から三名しかいないため変わり映えしないが、戦術部と技術部は毎回誰が選ばれるかわからない。そのため、選出者によって作戦内容が大きく変わる。
「……そうだな」
上総は腕を組み、選抜者の名前が表示されているパソコンの画面に見入っていた。
特務室の会議室にて、つい先ほどまでB戦の戦略を練っていたが、今しがたA戦の選抜者が発表され会議は一時休止していた。
「この後は我々で続けますので、お三方はA戦の作戦会議を進めてください」
相馬が席を立ち、部下たちを会議室の後ろへ集めた。
「なんか、戦術部も技術部も割と綺麗に分散しててつまんないな」
陽は頬杖をついて、大会会場である群馬支部演習場のマップに目を通していた。
縦千三百メートル、横千五百メートル、周囲五千六百メートル、面積百九十五万平方メートルの、楕円形に深い渓谷がそびえる分隊や小隊用の演習場だ。
「……ショートの乃村は前しか見ない勢い馬鹿、ミドルの逢坂はショート寄りだが後方に回ることが多い、ロングの昴は狙いを付けてから撃つまでに割と時間がかかる」
上総は、腕を組み遠目からマップを確認しながら敵チームの分析を始めた。
「ショートの笹谷はかなりの慎重派、ロングの桐生は無茶なことはしない正統派、ショートの国近は乱射はせず一点集中」
上総の話を聞きながら、陽は苦笑いを浮かべていた。
「……お前、乃村一佐のこと嫌いだろ」
「技術部は攻撃こそ少ないけど、一発一発確実に狙ってくるってことね」
美月も、戦術部と技術部の隊員データを細かくチェックする。美月は狙撃手なため、敵の動きをよく頭に叩き込んでおく必要があった。
「このフィールドなら、俺は今回ロングにいく。陽、お前一人で暴れて来い」
「ええ……?」
上総の鋭い視線が陽に突き刺さる。めずらしい作戦に、一瞬会議室に静寂が訪れた。陽は上総の顔を凝視している。
「……先に、美月と俺で他のロングを仕留めて上からの攻撃を阻止する。その間、お前が凌げばこちらが優勢だし、お前がやられても俺たちは上から狙えるからまだ有利だ」
「うわあ。フレンドリーファイアとかしないでよ」
普段通りの真剣ではないようで真剣な作戦会議だが、相馬や和泉らは尊敬の眼差しを浮かべていた。
「あんな感じの作戦会議でも、毎回勝ち残ってるんだもんな」
「個々の能力が凄いもん。勉強にはなるんだけど、とても真似は出来ないよね」
そして、一週間後に行われるこの大会が最後の大会になってしまうとは、この時点でいったい誰が予想出来ただろう……。
***
午前八時。群馬支部に大型バスが続々と到着し始める。模擬演習を行うのは本部のみだが、群馬支部の隊員はもちろん福島からも演習を見学しに多くの隊員が集まっていた。
見学席にはいくつもの巨大モニターが設置されており、この場にいない者も社内モニターやパソコンを通して観戦することが出来る。
使用する武器は演習用に特別に作られたもので、目に見えないレーザーを使用した銃だが、実銃とほぼ変わらない反動や重さを再現している。
負傷したり致命傷を負った場合など所々でアナウンスは入るが、戦闘中の隊員たちの声は見学席には届かない。
最初に行われるのは、分隊員戦であるC戦。特に戦術部と技術部は分隊員の入れ替わりが多いため、前回仲間だった隊員が今回は敵になる場合も少なくない。
特務室でも、数ヶ月前に二名が技術部に異動した。配属されたばかりの隊員は、実戦訓練や模擬演習などで様々な戦術や武器を試し、自分にはなにが向いているのかを見極める。
この演習は、これから先の道を決める場でもあり、その力を発揮する場でもあった。
***
「あ、柏樹」
武器受け渡し場所に向かうと、桐生と嗣永、そして諜報部副隊長の
「今日は日差しがすごいね!」
桐生は相変わらずの明るい性格で、この後の演習のことなど特に重要視していない。
「C戦もB戦も、前より面白い戦いだったよね。皆ちゃんと強くなってる!そうだ柏樹、今日こそぜひ聖と真っ向勝負してよね!」
またしても、満面の笑みで勢いよく肩を叩いてくる桐生に、陽は思わず後退りをする。
「同じミドルとして、どちらが上か見ものですね」
嗣永は、腕を組んで嫌味な顔を浮かべていた。今回、彼はA戦には出場しないため、まるで緊張感が抜けていた。
「……嗣永。どちらが上とかって言うより、まず柏樹と比べないでもらえる?」
そこへ、タイミング悪く逢坂聖が姿を現した。横目で陽を睨みつけながら、逢坂は受付で短機関銃を受け取った。
「逢坂二佐、サブなんですか?」
この春、大阪支部より異動してきた香月が不思議そうに首を傾げる。中距離であるミドルレンジだと、主に自動小銃を使用することが多いはずだが。
「聖は本当によく動くし、どちらかって言うと至近距離から撃ってくるからね。はじめは離れたところからよく観察しているんだけど、気付いたらもうすぐそこだもん。だから、射程はそこまでじゃなくていいし、なるべく小型の方がいいんだ」
逢坂自身よりも詳しいのではないかと思うほど、すらすらと桐生が説明し始めた。
「それならクロスの方が良いんじゃないかって思うんだけどね、聖は全体を見渡して適切な状況判断が下せるからミドルのままでいいんだって。前に都築一佐が」
「……いつの間に、俺のことなんかで話し合ってんの」
「柏樹もそうだよね。クロス寄りだからサブ使ってるじゃない。聖と同じMP5」
犬猿の仲である陽と逢坂は同じ空間に居させてはならないのだが、一切の悪気がない桐生はそんな事などお構いなしに話を続ける。
「ミドルだろうとクロスだろうと、お前のそのひねくれた性格じゃあどっちにしろ集団戦には向いてないね。よくも隊長なんてやってるもんだ」
「柏樹はひねくれてはいないけど、知識もないし腕もない。……第二の奴らが心底哀れだ」
二人は距離こそ離れているが、周りの者を寄せ付けない、むしろ遠ざけてしまうほどの不協和音を発していた。
「……今、柏樹二佐のことちょっとだけ褒めたよな」
「ええ、めずらしいと言うかはじめて……?」
「あの二人、銃も一緒だし、なんなら車も一緒だよな。実は、仲良いんじゃないの?」
その様子を、桐生は腕を組んで凝視していた。最近、陽に対しての聖が丸くなっている。いい加減相手にするのが面倒になったのかとも思ったが、聖の言動や態度を見る限りそういったことでもないようだ。
「余裕がないのか……?」
聖はなにか急いでいる?いや、焦っている?普段は、まったくと言っていいほど感情を外には出さないが、今はなんだかわかる。聖は気持ちに余裕がなくなっている。
「……頭にきた。次の昇級試験受けて、分刻みにお前に命令を下してやる」
「は?受かるとでも思ってるの?て言うか、柏樹が受かるのなら、俺も受かるに決まってるけど」
逢坂は鼻で嘲笑う。その様子は、やはりいつもの聖と変わりないようにも見えた。思い過ごしだったのだろうか。
「ですが、皆さん昇級試験まったく受けませんよね」
諜報部は一尉が最高階級となるため、現在二尉である香月は上がってもあとひとつ。だが、戦闘員は佐官の先まで上がることが出来る。
それなのに、二佐である陽や逢坂に桐生、そして三佐である嗣永までもが、ここしばらく昇級試験を受けていない状態だった。
「今のままでいいって言うか。正直、一番上にもなりたくないしね。まあ、上総がいる以上それは有り得ないけど、もし俺がそうなっても上総のようにはとても出来ないし」
「そうそう。俺の場合は上に笹谷一佐がいてくれた方がいいし、これ以上の責任は俺にはちょっと重荷かな」
陽も桐生も、上に尊敬する人物がいるという安心感と、自分がその立場になったときの重圧を感じていた。
「……逢坂二佐もそうですか?私も上に乃村一佐と逢坂二佐がいらっしゃるので、正直そこまで責任感だとかは感じていないんですけどね。それに、結構好き勝手させていただいているので、私としてはこの先も今のままの状態でいるのが理想ですが」
話し込んでいる陽と桐生から少し離れて、嗣永は二人には聞こえない声で逢坂に問い掛けた。
「嗣永はわかってるだろ?今は試験を受ける余裕なんてないし、俺は責任だなんてまるで考えていないよ。たとえ、乃村一佐が瀕死で嗣永が絶体絶命の状態に陥っていたとしたって、俺は任務優先で動く人間だから」
「……では、お二人を見捨てるということですか?」
話を聞いていた香月が恐る恐る尋ねた。
「見捨てるよ。任務を遂行することが第一なんだから、先へ進めなくなった奴は置いて行く」
「そう、ですか……」
予想を裏切る返答に、香月は僅かにショックを受けているようだった。その姿に、嗣永は溜め息をつきながらも笑みを浮かべていた。
「……逢坂二佐」
嗣永はそっと逢坂の隣に立ち、正面を向いたまま小声で話し掛けた。
「昨日もまた、行かれていたんですよね。お身体は大丈夫ですか?今からでも、私が代わりに出場いたしますよ」
「……平気だよ。昨日はそうでもなかったんだ」
談笑している陽たちへ視線を向けつつも、逢坂の頭の中では昨晩の情景が蘇り、表情が強張っていた。
「嗣永の方が遥かに辛い思いをしているんだから、休めるときは休んでおいた方がいい。俺は一時的な苦しみだけど、嗣永たちのその痛みはこの先も消えることはない。……本当に、よく耐えて頑張っているよ」
「なにを仰っているんですか!その、眼は……。それに、私はまだ戻れます。ですが、逢坂二佐はもう取り返しがつかない。もし、これ以上のこととなったら、本当に、本当に……」
嗣永は、本来は仲間思いで心配性で泣き虫なんだ。だけど、それを表に出さないように、寧ろほんの少しでも出してしまったなら、彼の精神は一気に崩れてしまうだろう。
「逢坂二佐……。全然、大丈夫ではないですよね」
「……ああ、気が狂いそうだよ」
逢坂の眼は据わっていた。普段、部下には見せることのない、感情を棄てた顔。
「拷問とはまた違う、耐え抜けば解放されるわけでもない。だからと言って、彼らに与えるべき情報があるわけでもない。毎回、どうするべきなのかを考えては、結局なにひとつ解決せずに終わる」
悔しい。ただ悔しくて仕方がない。嗣永は、口を噤み険しい表情を浮かべていた。
「嗣永」
こちらを向いた逢坂の顔は、すでにいつもの穏やかな表情に戻っていた。だが、嗣永の目にはそんな逢坂の姿はとても辛いものに映った。
「俺の仕事は誰にでも出来るけど、嗣永の仕事はそうじゃない。代わってあげることが出来なくて申し訳なかった。だけど、もう大丈夫だから。上官として、隊長として、責任を持って言うよ。もう、苦しまなくていいんだ。……もう、終わる」
***
「あ、都築一佐」
その声に皆が振り返る。当たり前に自動小銃を受け取るものだとばかり思っていたが、手にした銃に陽以外の皆が目を疑った。
「……え。なんで、都築一佐ロングなの?」
「桐谷もロングですよね。特務室はロング二名ってことですか」
狙撃銃を手にした上総の姿に、この場にいる人間だけではなく周りの誰もが驚きを隠せなかった。
上総は拳銃から狙撃銃まで完璧に使いこなせるが、通常のポジションは近距離だ。任務でも狙撃銃を使用することは滅多にないため、上総が狙撃銃を手にする姿を今日初めて目にした者も多い。
「そう来たか……。うん、これじゃあ昴と俺、即やられるね」
桐生は苦笑いをしつつ、頭の中で対策を練っているようだった。
「今日のフィールドは円形の渓谷なので、ロングが多いと有利なのかもしれませんね」
「俺、今日出なくて良かった……」
それぞれが動揺するなか、逢坂は別のことを考えていた。そして、それは陽も同じだった。
「……都築一佐さ、本調子じゃないだろ」
「ああ、最近は訓練も出てないし徹夜続きだ。上総はなにも言わないけど、ロングにしたのは香月が言う通り作戦でもあるし、あまり動けないからってのもあるだろうな」
一見すると気が付かないが、僅かに普段とは様子が違う。
「……こっちの弱点教えちゃったけど、お前手は抜くなよ」
「いくら体調不良であっても、本気以上で挑んだって都築一佐には敵わないよ」
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