安堵、そして疑問

 午後一時。昼食を終え、第一部隊の訓練に参加する。上総は仕事が忙しく、訓練にはたまにしか参加しない。その際は相馬と共に指示を出すのだが、今日は自分一人だ。


「えと、今日の訓練は……」


「今日はひたすら走るぞ」


 いつの間にか、隣に上総が立っていた。和泉は目を見開き唖然としている。


「都築さん!今日は研究所の方で実験ではありませんでしたか……」


「ああ、その予定だったが実験は延期になった。今日は俺も走る」


 隊員たちも久しぶりに上総が参加するとあって、普段以上に身を引きしめている。


「じゃあ、とりあえず海沿いを走るか」


 順番は関係なく、ぞろぞろと走り始める。上総と和泉は一番後ろから着いて行った。

 このコースは今朝走ったコースと同じだが、隣に上総がいることでまた違った風景に感じられる。しばらく無言で走り続けていたが、やがて和泉が口を開いた。


「あの……、都築さん。個人的なことで、お聞きしたいことがあるのですが」


 海風に掻き消されそうな声で、和泉は隣を走る上総に尋ねてみた。それを聞いて、上総は横目で和泉を見る。


「なにかあった?」


 和泉もちらっと上総の方へ視線を向け、少し間をあけて話し出した。


「本当に、個人的なことで申し訳ないのですが……。なぜ、相馬が第一小隊長で、私が第二小隊長なのでしょうか。私が劣っているのはどこでしょうか。やはり第一と第二では、第一の方が優れているのでしょうか……」


 和泉はかねてより、心の奥底でずっと引っ掛かっていた気持ちを吐き出した。自分でもよくわかっている。こんなことを尋ねてもただ恥ずかしいだけ。ただの僻み、妬み。こんなことを考えているような部下を、上総はどう思うんだろう。


「あ、いえ、大丈夫です。なんでもありません。大変失礼いたしました」


 応えようとしない上総に、思わず質問を取り消した。なんて惨めなんだ、なんて情けない。和泉は視線を落とし、少しペースを上げた。


「……和泉を、あまり表には出したくないからだ」


 背中に上総の声が突き刺さった。和泉の息が止まる。


「あ、いや。言い方が悪かったな。まず、第一と第二に優劣は一切ない。ただ二つの小隊に分けたからこうなっているだけだ。そして、なぜ第一小隊長を相馬にしたかだけど……」


 和泉はペースを戻し、再び上総の隣を走る。最も知りたかった謎、それが今解明される。


「第一部隊が発足された当時、実は小隊は存在しなかったんだ。相馬、和泉を俺の補佐官として置く予定だった。だけど、俺が我儘言って久瀬将官に小隊を作ってもらったんだ」


 はじめて聞く話に、和泉の目は上総に集中している。


「それまで俺がいた第一戦術部では、すべての人間がすべてのことを行っていた。つまり、皆が皆一様に動いていたんだ。もちろんそれは、誰に仕事を頼んでもこなせるわけだから悪いことではない。だけど、それだとなんと言うか、いつまで経っても平行線のままな気がしたんだ。もっと個々の特性や能力を利用して、戦術部自体のレベルを上げた方が良いのではと感じていた。そうしたらちょうど部隊の話が来たから、試しに考えていたことを実行してみようと思ったんだ」


 上総は、息一つ切らすことなく話し続ける。和泉の中ではすでに、自分がくだらない質問をしてしまったという後悔はどこかへ行ってしまっていた。上総の話に夢中になっていた。


「これは俺から見た、俺が判断したことだから違っているかもしれないけど……。まず、相馬は表に出していくべき部下、外交や交渉に使える人間だ。俺の代理でよく外出させるのも相馬だろう。そして、和泉は中に留めておきたい部下。和泉の情報処理能力、展開予想、人を見る目、これは他人の前で披露させたくはない。むしろ、存在自体を隠しておきたい。だから、よく表へ出す相馬を第一にしたんだ。相馬が第二だと、第一に和泉が存在するってことが知られやすくなるだろ」


「……それが、理由ですか」


「そうだ。単純だろ」


 上総は、こちらへ顔を向けてふっと微笑んだ。だがその顔は、なんだか申し訳なさそうな表情に見えた。


「悪かったな、ずっと気になっていたんだろう。ちゃんとはじめに説明しておけば良かった。ごめん、あのときはそんなこと全然頭になかった。余裕がなかったんだ」


 その上総の発案のおかげで、小隊発足は非常に実りあるものになっていた。第一小隊は表から、第二小隊は裏から、密かに且つ確実に仕留めていく。

 上総は、第一部隊のメンバーを成績順で決めてはいない。各々の性格や特技、授業中に座る席でさえもチェックして、総合的に集めたのが第一部隊という組織内トップの隊だ。


「まだ他にもあれば、遠慮せず言ってくれていいから。ずっと悩ませていたなんて、俺は上官としてまだまだだ。本当に申し訳ない」


「いえ、とんでもありません!私が勝手に悩んでいただけですのに……。私のしょうもない話に時間を使ってしまい、誠に申し訳ありませんでした」


 和泉は、立ち止まって深く頭を下げた。思わず上総も足を止める。


「……ですが、知れて良かったです。都築さんが、それほどまでに私たちのことを見てくださっていると知れて嬉しいです。ありがとうございます」


 上総は、ふと視線を落とした。


「……求めてもいないのに、順位を付けられるのは不服だよな。あいつも、そうだったのかなあ」


「都築さん……?」


 あいつとは誰だろうとか、上総の過去のこととか、気にはなったが今は聞かないでおいた。ちっぽけで、だけど自分の奥底を支配していた悩みが解決され、和泉はなんだか清々しい気分だった。


「そういえば、有坂が和泉のことを褒めていたよ。和泉がいれば、自分たちは必要ないのでは、って」


 ***


 午後四時。


「……はい、ではよろしくお願いいたします」


 海上保安庁との打ち合わせを終え、玄関まで見送る。来月式典が行われる予定で、その際の警護を依頼されていた。ISAは独立した軍隊ではあるが、世間的にはとりあえず海上保安庁所属となっている。

 すると、海保の職員とすれ違うように、私服姿の柏樹陽が戻って来た。


「お疲れさまです、柏樹二佐。パトロールですか?」


「ああ。なんか最近詐欺やら麻薬売買やらが多発してるとかで。いくつか目星は付けてきたけどね」


 仕事の一環で、隊服を着用してパトロールに出ることもあれば、私服でパトロールと言う名の捜査に出ることも少なくない。


「いつ警察に情報教えてあげようかな。逃げられる直前がいいかなあ」


 陽は悪い顔を浮かべている。陽の言うように、こちらが情報を流せば警察が摘発に向かう。警察に任せずに自分たちで捕まえてしまっても良いのだが、ISAには逮捕権がない。どっちにしろ、なにか事件が起これば、最終的には警察に引き渡さなければならない。


「あ、そうだ。俺さ、来週末フットサルが休みになって、美月と夢の国でも行こうかなとか思ってたんだった。美月部屋にいるかな」


「あ……。桐谷三佐ですが、近いうちに有坂特尉と一緒に行かれると思います。午前中広報部に伺ったとき、おそらくそんな話をしていたと……」


 一瞬で陽の表情が変化していた。怒りでもなく哀しみでもない、なんとも言えぬ顔。


「……有坂と?この間も行ってただろうが。なんなんだあいつは」


「でも、違う話だったかもしれません。試しにお誘いになってみても……」


 和泉の声は届いていたのか、陽は仏頂面でその場を去って行ってしまった。


「……まったく」


 和泉はそんな陽の背中を微笑ましく見つめていた。陽は美月のことが大好きだ。誰が見てもすぐわかるほどに。

 それは、上総も有坂も同じ。そこには、もしかしたら恋愛感情も混ざっているのかもしれない。それでも、この三人はそれを表には出そうとしない。むしろ出さないようにしている。


「皆、どうしてそんなに想いを塞ぎ込んでいるんだろう。支えがもっと必要なんじゃないのかな」


 この和泉の疑問は、二時間後に行われる特務室の会議で明らかになる。

 特定の相手を作らない。いつもいつも笑っている。少しでも時間が出来ればすぐにでも出掛ける。夜もなかなか眠りにつかない。自分の身体のことなど考えずに、好きなように生きている……。

 一見、自由奔放で少々適当に思われるが、これが彼らの出来る精一杯の生き方なのだと、和泉は後に知ることとなる。

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