悩める小隊長
和泉小隊長の悩み事
第一部隊、和泉小隊長の朝は早い。
「今日も寒そうだな」
二月上旬。全館空調の本部内はいつ何処にいようと快適だが、外は反対に凍えるような寒さだ。
午前四時半起床。パソコンの電源を入れ顔を洗う。タオルで顔を拭いていると、部屋の方からメールの受信音がけたたましく鳴り始める。これは毎朝のことで、和泉は特に気にしていない。
画面には、十数件のメールを受信していることを示す表示がポップアップされていた。そのほぼすべてが、上官である都築上総からのものだ。
「……今日は少ない方だな」
早速メール画面を立ち上げると、それと同時に再び一通のメールを受信した。それもまた上総からのものだった。
「まだ起きていらしたか……。これで最後かな」
相変わらず上総は早朝まで仕事に追われている。この時間にメールが送られてくることなどめずらしいことではない。
メールの内容は、ほとんどが報告書の確認と添削、会議や訓練の予定など。特に急いでチェックするものでもないのだが、その中にたまに重要なメールが混じっていたりする。法務省との接見、急な海外出張、研究所や医師会の件で組織の会議を欠席するなど多岐に渡る。
「今日は十八時から特務室の会議か。なんか話し合うことあったっけ」
***
午前五時。海沿いをランニング。普段は相馬と一緒に走っているが、彼は昨日から出張に出掛けている。
まだ日の出には早く、空には微かに星が瞬いている。手首と足首にウエイト、そしてマスクを着けて走る。そろそろこの重みにも慣れてきたから、もう少し重くしようか。一時間ほど走り、次に室内訓練所にて筋トレを始める。
最近少し考えること。このISAでトップを誇る第一部隊に自分がいる。そして、その第一部隊で小隊長を務めている。もちろんこれは自分の努力の賜物なわけで、現在もこの座から落とされないよう食らいつくのに必死だ。
だけど、所詮は第二小隊。第一小隊には相馬がいる。決して第一部隊長の椅子を狙っているわけではない。いや、むしろ隊長は自分には向いていない。部下の上に立ちつつも、頼りに出来る存在がいて欲しいのが事実だ。情けない話でもあるのだが……。
ただ、自分は第二小隊長。二番目なのだ。うちの隊長がどう考えてそう決めたのかは聞いたことはないが、実はずっと気になっていた。
相馬には負けたくない。だからといって、勝ちたいわけでもない。次に第一部隊長に任命されるのはおそらく相馬なのだろうが、相馬自身はどう考えているのだろう。そんなことをぼんやりと思いながら、今日は少しだけ多めに腹筋をこなしてみた。
***
午前七時半。軽くシャワーを浴びて朝食を摂る。この時間のテラスは混んでいるが、自分が座る席というのは自然と決まっているもので、いつもの窓側のカウンター席は空いていた。
「おはようございます、和泉一尉」
「おはよう」
隊員たちが次々と一礼をする。和泉も一人一人にきちんと対応する。
中央の席には、いつも通り柏樹陽と桐谷美月の姿がある。二人は毎朝一緒に朝食を摂っているため、このフードテラスの中ではとても目立っている。
ここに上総の姿はない。上総は朝食は摂らず、毎朝自室にて珈琲で済ませている。それどころか、忙しいため食事自体が厳かでかなりの偏食。我が上官ながら、ここだけは直してもらいたい部分だ。と言うか、この特務室の上官たちは正直変な人たちだと思う。
上総はなんでも出来る人なのに、自分のことはほとんど考えず意外に面倒くさがりだ。いかに適当に済ますかを常に真面目に考えている。会議中はこっそりと居眠りをしているし、司令官が話しているというのに堂々と別の仕事をしていたりする。ここまでマイペースな人間は見たことがない。
陽はというと、おもしろいくらいに上総と逆だ。見た目はちゃらい。軍人あるまじき外見。だけど、もの凄く頭の回転が速く、部下からとても慕われている。そして仕事も完璧にこなす。それも大真面目に。実際、この三人のなかで一番まともな人だと思う。
そして美月だが、彼女がまた変だ。まず、上総と同じで朝がとてつもなく弱い。そのくせ、仕事がなくても夜はなかなか寝ない。仕事中は人が変わったかのように、とんでもなく仕事が出来る。指示が的確で無駄がない。だけど、いかにもO型という感じで大雑把な一面も見受けられる。
だけど、こんな三人が上官だからこそ、精神的にきつい仕事が多い特務室でも、隊員たちはなんとかやっていけてるのだろう。そうであるならば、三人は無理をしていることになる。一番辛い仕事をしている三人が笑って部下たちを和ませているのだ。やはりこの三人は凄い。
***
午前十一時。和泉は四十三階の事務フロアへ向かっていた。この巨大なビルのワンフロアすべてが事務室。そして、それは四十階から四十三階までを占めている。
和泉は少し緊張していた。これから会うのは、まだあまり話したことのない相手。任務などではよく一緒にはなるが、その時はほぼ上総と会話をしているのを目にする。
「お疲れさまです、和泉一尉」
「お疲れさまです」
事務員と挨拶を交わすなか、部屋の奥の広報部にパソコンとにらめっこをしている後ろ姿があった。
よく考えたら、一対一で話すのって初めてなんじゃないか……。なんだか身体の中がむず痒くなってくる。
「……お、お疲れさまです。有坂特尉」
恐る恐る声を掛けると、目にも留まらぬ速さでキーボードを叩いていた手がぴたりと止まった。片耳に装着しているイヤフォンを外し、その男はゆっくりと立ち上がる。
「お疲れさまです、和泉一尉」
自分よりも少し高い背丈ながら身体は細く、ふわりとしたほんのり茶色がかった髪の毛に左目下の涙ぼくろ。一見、陽に似て組織の人間とは思えないビジュアルだが、その目は酷く冷めている。よく知っている目、上総の目とそっくりだ。
この有坂渉という男は、見た目も性格も都築上総と柏樹陽のちょうど中間の人間だ。
「今日はどうされました?」
有坂が口を開く。この変な緊張感は味わったことがある。第一部隊が発足して、初めて上総と顔を合わせたときと同じだ。
「あの、先日の会見及び総会での記事ですが、こちらで問題ないそうです。お借りしていたUSBメモリを返却しに参りました」
先週ISAの会見が行われ、広報部の有坂が記事を作成し、上総に目を通すようデータを預かっていた。
だが、彼は本来諜報部所属。正確には、約八十名の部下の上に立つ、広報部兼諜報部隊長特一尉。表向きには広報部として振る舞い、もちろん広報部の仕事も担っている。
ここでは、戦闘員と同様に非戦闘員にも階級が付けられている。非戦闘員は三曹から一曹までだが、諜報部は別だ。
非戦闘員でありながら、潜入捜査や戦闘員と共に行動をすることもあるため、彼らは常に拳銃の携帯を許可されており、あらゆる薬品や爆弾の組み立て及び解体の知識を持っている。そのため、諜報部は特別に三尉から一尉の階級が付けられている。そして、戦闘員と混ざらないよう、非戦闘員には"特"が付けられる。
「わざわざすみません、ありがとうございます」
なぜこんなに緊張するのかというと、この有坂特尉はなかなか凄い男だった。
「……有坂特尉。あの、私に敬語は使わなくて宜しいですよ。むしろ、もっと命令していただいて構いません」
同じ一尉で同い年。だが、有坂は非戦闘員でありながら、全隊長及び小隊長の中で総合七位の実力の持ち主であり、誰もが認める有能な男だ。
「いいえ。階級は同じですが、私は非戦闘員です。それに、和泉一尉は都築一佐の直属の部下であり、第一部隊小隊長でおいでです。命令だなんてとんでもない」
口だけを軽く微笑ませ、和泉からUSBメモリを受け取る。
「和泉一尉こそ、遠慮せず私に命令してください。都築一佐が不在の際は、相馬一尉と共に指示を出される立場にあるのですから」
和泉は一礼すると、有坂と目を合わせないよう顔を上げる前に逃げるようにその場を後にした。
上総に似ているようでまるで違う。なにを考えているのか予想もつかないあの眼は、むしろ上総をも上回る恐怖があった。
「お疲れ、和泉」
ふと前方から聞き慣れた声がした。顔を上げると、そこには桐谷美月の姿があった。
「お疲れさまです」
「大丈夫?なんか疲れてるね」
「ええ、少々……」
そんなに顔出てしまっていたのか。たった一言二言話しただけなのに、まったく情けない。
「あ、有坂特尉。昨日の任務のことなんだけど……」
美月は有坂を見つけると、手を振り小走りで向かって行った。そんな姿を横目に、和泉は事務フロアの出口に向かう。
「三佐、お疲れさまです。報告書は出来ております」
和泉は歩みはそのままに、再び横目で二人の方を振り返った。その目に映ったのは、先ほどとはまるで別人の有坂の姿だった。あの冷めた眼はいったいどこへ。今の有坂の目は大きく見開かれており、とても優しい顔をしているではないか。
「あとさ、別件なんだけど……」
「それでしたら、奥でお話ししましょうか」
すると、美月と有坂は部屋の隅にある二十畳ほどの会議室へと消えて行った。
和泉は知っていた。美月と有坂は、普段は上官と部下として振る舞っているが、二人きりになると名前で呼び合う仲だ。二人は同期であり、良き友人である。
「和泉とは、あまり話したことないんじゃないの?」
「ああ、まともに話したのはこれが初めてだよ。相馬一尉も未だにそうだけど、和泉一尉も敬語で話すんだよね。なんでああ、義理堅いのかな」
有坂は煙草を一本取り出し、頬杖をついて深く吸い込む。美月も頬杖をつき、そんな有坂の姿を微笑ましく見つめていた。
「単に、自分よりも実力が上だと認めてるからじゃないの?まあ、なんとなく上総に雰囲気が似てると、やっぱり緊張しちゃうんでしょ」
「え、俺一佐と似てる?いや、あんな格好良くないよ。まあ似てるとしても、せいぜい七割くらいかな」
「なにそれ。でも、渉は格好良いよね」
美月はくすくすと笑っている。有坂は、そんな美月を見ているのが好きだった。同期であり、友人であり、とても大切な存在。
戦闘員である美月は、男の自分よりも遥かに自らの手を穢している。これは仕事だから仕方がないにせよ、それならばせめて任務以外の場では笑っていて欲しい。
「美月、レストランの候補は決まったの?」
「決まった!やっぱり最初に話してた場所がいいな」
「わかった、予約しておく」
この二人は、しばしば夢の国へ遊びに行っている。今月末も行く予定で、その際のレストランを美月が選んでいた。
「今度はなんの被り物にしようかね」
そんな美月の様子を、有坂は微笑ましく見つめていた。
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