思い出
絆
「第一部隊はまだやっているんですか」
空が真っ赤に燃えている黄昏時。陽と美月が寛いでいる、グラウンドを見渡せる休憩所に久瀬がやって来た。
「お疲れさまです、将官」
「なんか薬の実験が長引いたみたいで、始まるのが遅くなったみたいですよ」
広大なグラウンドの中央で、上総の指揮のもと第一部隊は訓練を行っていた。
改めて上から見下ろしてみると、第一部隊は本当に他の隊と比べて圧倒的に動きが違う。
「相変わらず凄いけど、俺がいたときよりは甘くなっているような……」
陽は訓練を見てぼそっと呟いた。その様子に久瀬が気付く。
「そうかもしれませんね。なにか、君に個人的な恨みでもあったんじゃないですか?」
久瀬は嫌味な笑みを浮かべる。
「……愛想がなんたらとか」
「え、なんで知って……」
久瀬のまさかの発言に、陽の表情は凍りついた。しばらくの間その状態が続いたがやっと口を開く。
「……将官、あいつって予備軍のときはどんな感じだったんですか?なんかすごい浮いてそうな気がするんですけど」
陽は、グラウンドを見つめながら頬杖をついた。
「元々研究員ですしね」
美月も上総の方へ目を向ける。
「そうですね。確かに、都築は予備軍に入る前からかなり話題に出ていました。なにせ、医学部を首席で卒業し医師免許も持っている。新人でありながら研究所での評価も高く、将来は約束されたようなものだったのに。そんな彼が、急にこちらへ異動したいと言い出したんですからね」
美月は考えてみた。やっぱり上総は、地位や名誉には興味がない。だけど、なんの理由もなくなにかを切り捨てたりもしない。そこまでして、険しい道を選んだのはどうしてだろう。
「研究所の人たちは引き止めなかったんですか?いくら新人でもかなり使える人員だったんですよね」
「それはそれは凄かったですよ。役職をつけるだとか給料を倍にするだとか、とにかく様々な理由をつけて都築をなんとか引き止めようと必死だった。しかし、都築にはそんなものは必要ない。すべてを押し切り、予備軍の試験を受けたんです」
久瀬は宙を見上げ、昔のことを懐かしんでいるようだった。
「確か、過去最高得点を叩き出したんですよね。今でも破られていないみたいで……」
「そうなんですよ。筆記試験は満点で、すでに英語とドイツ語を習得済み。防衛学や戦史研究などの論文や試験等の成績もトップレベルで、幹部適性試験もかなりのものでした。体力も充分なほどでしたし、とにかく今すぐにでも実戦に出すべき人間だと感じました」
隊員たちの動きが止まった。どうやらやっと休憩を貰えたらしい。皆が休んでいる横で、上総は準備運動を始めていた。ようやく彼も動き始めるようだ。
「私は、ちょうどその年から予備軍の教官も兼務していたので、どんな人物なのだろうと楽しみにしていました」
「でも、あいつ当時はなんていうか、……あまり評判は良くなかったんですよね」
美月は、自分がまだ知らない頃の話に興味津々だった。
「我々教官たちからの評判は良かったんですけどね。やはりあの経歴の持ち主ですから、嫌われるというよりかは近付きがたい相手だったんでしょう。都築自身も、訓練以外での馴れ合いは不要としていたので、まあ孤立していましたね」
その姿はなぜか想像することが出来た。そして、思わず美月は失笑してしまった。
隊員たちが一箇所に集合し始めた。休憩時間が終了したようだ。
「……走るのかな」
「ああ、おそらく五キロ走ですね。訓練予定表に書いてありました」
「あいつも走るのか。最近デスクワークばかりだったのに走れんのか」
陽はこんなことを言っているが、顔は違うことを考えている。
皆、腕時計に手をやり一斉にスタートを切った。
「え……。はじめからあんなに飛ばしちゃって、後で保たないんじゃないの?」
スタート直後、一番後ろにいた上総は他の隊員を次々と追い抜き、あっという間にかなりの差をつけ先頭に立っていた。
「いや、あれはあいつにとってのジョギングに過ぎないよ。あいつの体力は計り知れない。本当、ついて行くのが大変でさ」
美月は言葉が出なかった。そんなことを言われても、あの速さはジョギングとは到底言えない。時々後ろを振り返る余裕すら見せている。
「柏樹。予備軍に入隊してから三週間後に行う模擬演習のことを憶えていますか?」
陽は窓の外から視線を外し、久瀬の方へ振り返る。
「実はね、そのときに少しだけ都築に試練を与えてみたんですよ。なにもかもが予想の上を行く人間だったので、少しは困るところを見てみたかったんですよね」
陽と美月の顔が少しだけ歪んだ。久瀬はこういう人間だ。
「福島で行うやつですよね、四人組の。それで、いったいなにをしたんです?」
「予備軍の訓練は一次生と二次生が合同で行いますよね。ですが、全員が二年で卒業出来るわけじゃない。とりあえず士長ではありますが、予備軍に在籍したままの隊員も少なくありません。当時も二年で卒業することが出来ず、尚且つ成績下位の三名の隊員がいたんです」
多くの隊員は、二年で予備軍を卒業し士長となる。そして、通常は試験を経て三曹となりどこかしらの隊に配属される。また、試験結果や選抜試験によっては、曹をパスして准尉となる隊員もいる。
「予備軍の中では劣等生、ですが都築にとっては大先輩です。そんな彼らを都築と同じ組にしてみたんですよ」
「それで、ねちねち争うところを見たかったんですか」
陽は大きく溜め息をついた。
「ええ、そのつもりだったんですけどね。どうやらその三人はやる気がないだとか態度が悪いというわけではなかったんです。少し自己主張が弱いというか、予備軍は目立ったもの勝ちという部分もあったりするので、なかなか芽が出なかっただけのようです」
グラウンドに目をやると、未だ上総はトップを独走していた。しかし、負けずに部下たちもついて行っている。
本当に、上総には驚かされるばかりだ。息ひとつ切らせていないばかりか、時たま携帯電話を取り出しなにかを確認したりしていた。
「ただね、都築にとってそれは逆効果だったようです。チーム分けをした時点で、都築は私の思惑に気付いていたみたいで、まったくつまらない話なんですが……。これは後で都築が言っていたことなんですけどね、寧ろ少しばかり秀でている隊員は変なプライドを持っていたりするもので、おそらく自分と意見がぶつかり合ってまともな作戦は立てられなかっただろうと。今回、自己主張が弱い三人ということで二つの利点があった。一つは、この三人なら自分の意見が通りやすいためスムーズに進めることが出来る。そしてもう一つは、こういった引っ込み思案な性格の持ち主ほど、ユニークな考えを持っているんだそうです。都築はうまい具合にそれを引き出したんですよ」
美月は、上総ならうまくできそうだなと感じた。人の個性を見つけてそれを引き出し、伸ばしてあげることがとてもうまいと思う。
自分もそうだし、陽だって知らないうちに上総からなにかを引き出されているに違いない。
「そして、見事に最高成績を叩き出した……、ですか」
「その通りです」
久瀬はにやりと笑う。
「実に都築らしい作戦でしたが、そこには三人の意見もきちんと組み込まれていて、とても面白い作戦になっていました。あれは、都築一人ではとても考えつかなかった作戦です。それを機に三人は自信がついたようで、その後もよく頑張っていましたよ」
「では、その模擬演習の成果で上総は引き抜かれたんですか?」
「はい、それが決め手となりました。後に都築はその三人に挨拶に行ったそうです。厚かましく思われるかもしれないが、彼らがいなければあんな成績は出せなかったし今の地位もなかったと。ただ一言、感謝の気持ちを伝えたかったそうですよ。もちろんその三人も、都築には感謝してもしきれないと言っていました」
上総は、上辺だけの実力で人を判断したりはしない。そしてちゃんと感謝を伝えることの出来る人間だ。簡単なようだがなかなか難しいことだと思う。
「おや、走り終わったようですね」
陽と美月も窓の外を覗く。上総はトップで走り切り、ほとんど息を切らせていなかった。
「最近、全然訓練とかしてなかったのになぁ。やっぱ凄いな」
陽は、ほんの少しだけ悔しさを見せつつも、やはり上総のことは尊敬しているようだ。
「わあ、すぐ筋トレしてるよ……。凄いなあ、私もあれくらいやらないとだな」
「そうですか?第三部隊の方が結構きついメニュー組んでいますよ。先週の訓練予定表は、なかなかのメニューでしたよね」
それを聞いて、陽は驚いた表情で美月に視線を送る。
「……いったいどんなメニュー組んでるわけ?」
「でもね、全然走ってはないんだよ。ハイポート三キロを二回やったけど、その間に休憩入れちゃってるもん。その後はだいたい実戦用メニューだし」
「ハイポート二回もやってんのか……。やりすぎじゃない?」
陽は唖然とした表情を浮かべているが、対して美月は口を尖らせている。
「陽のところがやらなさすぎなんだよ」
「いやいやいや。予備軍ならわかるぞ、予備軍の訓練でハイポート三キロならそりゃ少なすぎだ。でも、今はどっちかって言うと実戦訓練寄りにならない?」
目の前で言い合いしている二人を見ながら、久瀬は静かにコーヒーを口にする。
「あ、そういえば将官。その三人て、結局その後ちゃんと予備軍を卒業出来たんですか?」
思い出したように、陽は久瀬の方へ顔を向けた。美月もつられてそちらを向く。
「おや、柏樹。君は知っているはずですよ。憶えているでしょう。君が身を呈して助けに行った、かつての第四分隊のこと」
それを聞いて、陽の目は大きく見開かれた。
「え……。あのときの第四分隊の中にいたんですか?てか、成績下位だったのに第一部隊に入ったんですか?」
「そうなんですよ。都築が予備軍から抜けた後、彼らは本当によく頑張りました。そして半年後に見事卒業。それと同時に第一部隊入りです。都築は、一尉のときもずっと彼らを気にしていたそうですよ。いつか機会があれば、同じ隊になりたいと心待ちにしていたそうです」
「……将官、陽が身を呈して助けに行ったって、なんの話ですか?」
ふと、美月が問いかける。美月は三年前の横浜港での出来事を知らなかった。
「ああ、それはですね……」
「将官!それは話さなくていいです!というか、話すべきことではありません!」
間髪入れずに陽が止めに入る。久瀬と美月は、少々残念そうな表情を浮かべた。
「なら仕方ないですね。桐谷さん、後でラインしますね」
「わーい!ありがとうございます」
そのやりとりを目にして、陽は愕然とした。
「ちょ……、え?あの、なんかおかしいところがいくつかあるんですけど。てか、ライン?美月、将官とラインしてんの?それにこの話って、ラインで済ませちゃうほど簡単な話でしたっけ?」
「桐谷さん見てください、この写真」
「え!シカト!」
久瀬は、陽の話を右から左へ流して、美月に携帯電話の画面を見せた。
「これは、陽ですか?」
「はいそうです。その第四分隊の話なんですけどね、いろいろあって柏樹が怒って部屋を飛び出してしまったんですよ。これは、そのときの後ろ姿です」
今度は、まさかという表情で陽もその画面を覗く。
「なに撮ってんの……。てか、あのとき将官いたんですか?なら引き止めてくださいよ」
久瀬は、そのまま画面をスライドしてみせた。
「これは、都築と藤堂が柏樹を連れ帰ったときの写真です」
「わあ、陽傷だらけ!藤堂は予備軍のときなんですね」
その写真を見て、陽は再度驚愕した。
「このときも撮ってたの!?いやいや、かなりの重体だったんだけど……」
「これは、私と藤堂です」
再び画面をスライドさせて次の写真を見せる。そこには顔の上半分しか写っていない久瀬と、その後ろで電話を掛けている藤堂が写っていた。
「みんな私たちを置いてどこか行ってしまって、つまらないのでインカメラで撮ってみました」
「どっかじゃねーし!手術室だし!てか、将官ピースしてんじゃん!……あ、藤堂もさりげなくピースしてやがるし」
久瀬は、どんどん画面をスライドさせて写真を見せてくれる。
「暇だったので、私も手術室の方へ向かったんです。そしたらちょうどCTを撮っていたので、ガラス越しに撮っておきました。ほら、ここに都築も写っていますよ」
「あ、これ手術衣ですか?これ着てるところ初めて見ました!なんか格好良いですね」
「なんつーとこまで撮ってんだよ!てか、俺脚しか写ってねー」
その後もしばらくの間、久瀬と美月は写真を見ながら盛り上がっていた。
「……都築は、第四分隊にあの三人がいたから、夜まで待つことが出来たのかもしれませんね。もちろん、残りの部下のことも信頼しています。ですが、過去に模擬演習だとしても共にチームを組んだ仲。彼らがどう動くか、そして必ず生きていると都築にはわかっていたのでしょう」
陽は、上総が撤退を指示したときのことを思い出していた。
今ならよくわかる。あれは隊長として正しい判断だった。それなのに自分ときたら、なにも考えずに己の衝動だけで行動してしまった。あのときの上総の心情は凄まじいものだったのだろう。
「今日の訓練は終了のようですね」
三人はグラウンドへ目をやった。
「……あ、ほら。仲良さそうに話していますよ、あの四人」
久瀬の指差す方を見ると、上総と三人の部下が談笑していた。
「あの三人なんですか?あれ、確か分隊長ですよね」
「そうです。あのときから彼らはずっと都築の隊に所属しています。私も彼らには感謝しているんですよ。都築が僅か一ヶ月で予備軍を卒業したのは知っていますよね。そのせいで、さらに周りの都築を見る目が冷ややかなものになってしまいまして。同期でさえ、ほぼ他人のような接し方になっていたそうです。そんななか、彼らだけは違った。後輩だった都築が突然上官になったのにも関わらず、それでもきちんと敬語を使って接してくれていました。時には同じ席で食事も摂っていましたし。そんな他愛もないことですが、それは都築にとってかなりの救いになっていたはずです」
その様子を見て、陽は微かに笑みを浮かべていた。
その横で、久瀬は携帯電話を構えてそんな陽の姿を一枚、そして都築と三人の部下たちの姿を一枚、そしてインカメラで久瀬と陽と美月の写真を一枚撮った。
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