そして共に
「すぐに第二手術室へ運べ」
本部に到着早々、久瀬に頼んでいた救護班が陽を車から運び出す。かろうじて呼吸はしているが、かなりの出血が認められる。
「直ちに輸血用意!……藤堂、悪いが車を頼む。鍵は後で取りに行く」
「は、はい!」
上総と救護班は陽を担架に乗せ、急いで手術室へと向かって行った。藤堂は、彼らを見送り再び運転席へと乗り込む。
「助手席も後部座席もだいぶ汚れてるな……。これ、ほっといたらやばいよな」
しばし考え、藤堂は時間を確認し携帯電話を取り出した。
「都築先生。柏樹一尉の状態を見るに、やはり脳外科医でないと難しいかと。ですが、今夜は脳外科医が休みでして、一般外科医でしたら当直なのですが」
手術室へ向かう廊下には緊迫した空気が流れていた。手術を伴う怪我を負って運び込まれる隊員は少なくない。だが今回は、患者とともにあの第一部隊の隊長まで一緒だ。
「いや、執刀は俺一人で行う。助手の用意を」
そう言いながら、上総はチョッキを脱ぎ始める。
「都築先生も傷だらけではないですか。無理なさらない方が」
救護班は、上総の姿を見て止めに入る。確かに、上総自身も先の爆発で、戦闘服がところどころ破れるほどの怪我を負っていた。
「右側頭部からの出血及び左手足の麻痺が見られる。もしかすると、急性硬膜下血腫の疑いがあるかもしれない。脳は俺の専門分野だ。すぐにCTを撮るぞ」
「か、かしこまりました」
救護班は内線ですぐに連絡を入れる。上総は自分の両手を見つめた。瓦礫をどかすことに夢中で今まで気が付かなかったが、両手共にかなりぼろぼろな状態だった。
「……まあ、お前にはこれくらいがちょうどいいだろう」
上総は陽を見下ろし、不敵な笑みを浮かべた。
***
時刻はすでに零時をまわり、日付けが変わっていた。上総の神業的な執刀により、予想終了時刻を大幅に上回り手術はなんとか終了した。
「皆、お疲れさま」
手術衣を脱ぎながら額の汗を拭う。実は、手術中から頻繁に眩暈が起こっていた。どうやら、自分が思っていたよりも身体が悲鳴をあげているようだ。
「都築先生の手当ても……」
「ああ。先にシャワーを浴びてくるからその後に」
チョッキを着用していたため、上半身にはそれほどの怪我はなかった。ただ、爆発の衝撃で右膝の筋を捻っていた。
「はあ、結構腫れてるな……。まったく」
早めにシャワーを済まし着替えていると、先ほどよりも強い目眩に襲われた。頭が回転し始め立つこともままならず、よろめいて壁に寄り掛かった。すぐさま強烈な頭痛が襲う。
「はあ、なんだ。くそ……」
その痛みに耐えきれず、頭を抱えてそのまま壁沿いにずるずると倒れていく。
「都築先生、こちらで手当てを……。都築先生!」
助手が脱衣所で倒れている上総を発見し、大声で仲間を呼んだ。
「すごい熱だ。よくこんな状態であんな大手術を……。すぐに点滴だ、あと全身も調べろ」
先ほどまで陽の手術を行っていた医師たちが駆けつけ上総を運ぶ。眠気や疲労なんてなんのその、手早い動きで点滴を繋ぐ。
医師たちは、上総と陽の二班に分かれて一切休むことなく朝方まで看病に徹していた。
***
「……」
目を開けると、いつもとは違う天井が目に入る。もう外は明るい。
「どうして、あなたまでここで寝ているんです」
少し離れたところから、聞き覚えのある声が耳に届く。痛みを堪え、ゆっくりと起き上がった。
「……お前。どうだ、体調は」
そこには、頭と身体に包帯を巻いて、それでも元気そうな陽の姿があった。
「私のことより自分の心配をしてくださいよ。その膝、靭帯損傷しているみたいですよ。その脚じゃあとても運転なんて出来ないですよね。それと頭も、落ちついたらMRIを撮りましょうって」
「大げさだな。ただの疲労だ、必要ない。それよりお前の診断書をまとめないと。すぐに血圧と熱を計れ」
上総は点滴を止め、掛けてある白衣を羽織り眼鏡を掛ける。
「ちょっと……、あなたも今は患者ですよ」
こんな状態でも無理をしようとする上総を目の当たりにして、陽は信じられない思いだった。
「お前の担当医はこの俺だ。第一部隊は辞めても、患者である以上、今は俺の指示に従ってもらう」
***
二週間が経ち、ようやく陽の退院許可が下りた。と言っても、しばらくの間は毎朝病棟の上総の部屋に行き診察を受けなければならないのだが。
「わかっているとは思うが、当分激しい運動は禁止だ。しばらくはデスクワークに徹していろ」
陽は上総に謝りたかった。伝えたいことがあった。
「あの、都築さん……」
「お前のことは、すでに前の上官に話してある。今日からは、元の第三大隊所属だ」
そう言うと、上総はカルテを記入し部屋を出て行ってしまった。陽は後悔していた。感情に任せてなにも考えずに暴言を吐き、しまいには自分で第一部隊を辞めると言ってしまった
「はあ。診察が終われば、もうなんの関係もない他人同士か」
「……あの、すみません。失礼いたします」
身仕度を始めていると、あのとき上総の車に一緒に乗っていた予備軍隊員の藤堂が顔を見せた。
「ああ、確か藤堂だよな。どうした」
「あの、私なんかがお見舞いに伺うのはどうなんだろうってずっと迷っていたのですが、今日退院されると聞きまして」
この藤堂という男、まだ予備軍とあって上官と話したり行動するのにはやはり慣れていないようだが、それでもかなりの度胸と行動力がある。
「別にそんな、なにを悩む必要があんだよ。あのときは助かった」
「いえ、お元気そうで安心しました。でも無理はなさらないでくださいね。では、ちょっと都築三佐に用がありますので」
藤堂が部屋を出ようとしたとき、陽は咄嗟に彼を呼び止めた。
***
「失礼いたします」
「どうぞ」
今回はすぐに返事がきた。陽もゆっくりと扉を開ける。
「今日はもう、診察はないはずだけど」
相変わらず、上総は書類の山に隠れて姿が見えない……、わけではなかった。
「なにを……」
上総は部屋の中央のソファにだらっと座り、あろうことか煙草を吸っていた。
「あの、一応業務時間中なんですけど」
「この部屋の換気は最高レベルだ。それに、今日は射撃の訓練があるから、少しくらい匂ってもわからないよ」
上総の机の上には、やはり今日もたくさんの書類が折り重なっている。そして、コーヒーメーカーにはたっぷりとコーヒーが作られていた。
「お前も吸うか?」
おもむろに煙草を一本勧めてきた。ついに疲労でやられてしまったのだろうか。
「い、いえ。あの、都築三佐の車ですが、今日修理から戻ると藤堂が言っていました。私のせいで、わざわざ修理に出す羽目になってしまい、申し訳ありません」
「ああ、そう。藤堂も気が利くね。あの後すぐに修理に出してくれたみたいで」
上総は次の煙草に火をつける。すでに灰皿は吸い殻でいっぱいだ。
「都築三佐もお身体の調子が良くないんですから、もうやめておいた方が……」
「これくらい吸っていないと仕事をする気になれない。ずっと怠さがとれないんだ」
陽は。その場に立ち尽くしたままじっと上総を見つめていた。そして、勢いよく頭を下げた。
「都築三佐!この度は、多大なご迷惑をお掛けしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!せっかく、都築三佐がいろいろと考えてくださっていたのに勝手な行動ばかりして……。でも、やっとわかったんです。都築三佐が教えてくれたこと、見せてくれたものは、すべて自分や部下たちの大きな糧となっています。我儘言ってまた迷惑掛けてしまいますが、私を第一部隊に戻していただけませんでしょうか。都築三佐だなんて硬い呼び方はもう……」
陽ははっとした。上総も煙草を置き、陽の方に顔を向けた。
「あ、だから階級をつけて呼ばないでと……」
彼はすべてが完璧だが、内面は少々不器用なところがある。以前の大隊ではあまりに人数が多かったため、個々の心情まで見てやることが出来なかったのだろう。
今回、試部隊が発足することになり少しでも隊員と近付くために、そして無理をさせないため常に心情を把握していたいから、あえて階級をつけさせなかったんだ。
「はあ、せっかく異動申請書類作成したばかりなのに……。どうするんだよ、無駄になったじゃないか」
上総はソファの背もたれに大きく寄り掛かり、足を伸ばしてそれはそれはだらしない格好になった。
「……お前、俺のことをただのお堅い口うるさい奴だと思っていただろう。実際の俺はこうだ。夜中は寝っ転がって書類作ってるし、会議中はほとんど話聞いてないし、それでもやらなければいけないことがあるから、なんとか猫被って上に取り入っているだけなんだよ」
陽は、まさかの上総の姿に拍子抜けしていたが、思わず失笑してしまった。
「申し訳ありません!私でよければ、なにかお手伝いいたします。……また鍛え直してください、都築さん」
右腕を上げ、びしっと敬礼を掲げた。
「……でも、これは吸い過ぎですよ。もう駄目です」
「やっぱり、お前戻らなくていいわ。もっと俺に甘い補佐官を探すから」
***
三月中旬。まだ寒さは残っているが、だんだんと春めいてきている。今日は朝から会議があるため、陽はさっさと朝食を済ませて部屋へ向かっていた。
「柏樹一尉、異動だ」
廊下の角を曲がった途端姿を現した上官から、挨拶もさながら突然の異動命令。
「あれ、これってデジャヴ……」
陽の頭に、半年前の光景が蘇った。
「異動って、どこにですか?」
「先の会議で、第一部隊に続いていくつかの正式な部隊を作ることが決まった。お前は、久瀬班第二部隊の隊長だ」
あまりにも突飛な内容に、しばらくの間動きが止まる。
「来月一日からだから、いろいろと準備しておけよ。それと、今回はさすがに部屋を移ってもらう。五十階の俺の隣の部屋だ」
「え、私が部隊長ですか。いいんですか」
「来月からは、お互い部隊長としてよろしく頼むよ」
そう言い残し、上総は行ってしまった。
「また異動……。いつも突然だな」
すると、後方から上総の声が聞こえてきた。
「おはようございます。都築三佐」
「おはよう」
そこには、上総とまたしても見知らぬ男。
「では、失礼いたします」
その男は上総に挨拶をしたのち、自分の方へと向かって来る。陽はその男に視線を向ける。すると、向こうも陽に気が付いたのか自分の前で足を止めた。
「おはようございます。柏樹一尉」
笑顔で一礼すると、この場を去って行った。それは後に、自分の部下となる結城だと気が付くのはまだ半月後のことだ。
***
日が沈む黄昏時。久瀬は恩田の椅子に腰掛け、机上の受話器を手にしていた。
「……実は、私もあいつの真似をしていたんです。階級をつけて呼ばせないってやつ。でも、それだけじゃない。第二部隊が出来て、実質的に上官と部下という関係ではなくなりましたが、それでも私はずっとあいつを目標にしてきました」
上総は死んだ。あまりにも呆気なく、そして上総らしい死だった。
「第一部隊が発足したての頃は、本当どうなることかと少し心配していたよ。まあ、都築はいつも一人で全部背負い込む奴だから、いろいろと誤解されやすかったけどな」
陽は過去を思い出し、静かに涙を流していた。
「あのとき、上総が手術をしてくれてなんとか一命を取り留めることが出来ましたが、実は去年再発したんです。あいつはすぐに入院を勧めてきましたが、私は断りました。私のこの病気は、私の勝手な行動のせいで勝手になったものです。だから、その戒めとして残すことにしたんです。これくらいしか出来ないなんて、なんの償いにもなりませんよね」
「だが、都築の病気はあの爆発のせいとは限らない。その前からあったものかもしれない」
「ですが、あの衝撃で悪化してしまったのは確かです。今になって、どうしてあのときちゃんと検査させなかったんだって、もうそれしかありません」
しばらくの間沈黙が続いた。お互い、後悔の二文字が自らを支配していた。
「お前がもうこちらに戻らないと決めた以上、俺からはなにも言うことはない。これ以上悔いが残らないよう、最後までもがき続けろ」
陽は茜色の空を見上げた。自分ほど恵まれていた人間はいただろうか。完璧な上官に頼りがいのある部下。それなのに、その全てを自ら放棄してしまった。最も失いたくない人間を死なせてしまった。
「こんなに急に俺たちの前から姿を消したってことは、お前ももう……」
「最近は検査もなにもしていないので、詳しいことはわかりませんけどね。上総に貰っていた薬ももう切れますし、この先どうなっていくのかなんて想像もつきません」
すでに、陽の身体はぼろぼろの状態だった。手術を勧める上総をなんとか説得し、ここ数ヶ月はかなり強い薬を服用して過ごしていた。
「あいつに会わせる顔なんてありませんが、とりあえずそのような事態になったときは、あいつに労いの言葉でもかけてやりますよ」
……お前、周りからどう思われているか知ってるか。お前ほどの上官はいない、皆お前に感謝しかない。皆を代表して、俺が伝えに来たぞ。
本当に、おつかれさまでした。
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