内側の想い
予想外の事件
そして、美月は両方の手に握り締めた拳銃を兎にも角にもぶっ放した。
それに気が付いた時にはタイムリミットまで残り十五秒。ビルの三階、目の前には拘束された一般人。もうこれしか方法は見つからなかった。
頭上にあるそれは、今にも自分の元へと落ちてくる。別段自分に落ちてくるのは構わないが、周りに甚大な被害をもたらす事態だけはなんとしても避けたい。
「……このっ」
現在、美月の身体は地上約十メートルの空中。発砲を続けながらも、まもなく地面に叩きつけられる……。
***
「あら、有坂特尉も行くの?」
「ええ。ちょうど三佐らの向かう方面へ用がありますので、時間もありますし勉強がてらパトロールに同行させていただきます」
今日のパトロール当番は美月と佐伯。二人一組で、半径五キロ圏内を徒歩で偵察して周る。
「なるほど。諜報部と広報部、両方の仕事が出来るというわけですね。しかし大変ですね」
タブレットPCを確認しながら、佐伯は嬉しそうに話す。有坂と任務で共にすることはたまにあるが、話すことは滅多にない。今日は、今まで聞きたかったことを可能な限り尋ねてみようと考えていた。
「いや、そうでもないよ。僕は諜報部として任務に出ることはあるけど、この辺りはあまり見回る機会がないからね。同行させてもらえるのは非常にありがたいんだ」
佐伯は物怖じしない性格で、あまり会話をした事がないであろう有坂とも自然と言葉を交わしている。
「私も、いざなにかあった時は有坂特尉がいてくださるととても心強いです」
「……三佐がいらっしゃれば、十分な気はするけどね」
有坂はちらっと美月へ視線を向ける。それにつられて、佐伯も美月の方へ顔を向けた。
「あ、いや。それはもちろんです!三佐がいらっしゃれば。あの、ですので……」
「ごめんごめん、ちょっとからかっただけ。言いたいことはわかるよ。今日はパトロールの先輩として、佐伯二尉にはいろいろと教えてもらおうかな」
それを聞いた佐伯は、目を大きく見開いて慌てふためいた。
「おーい、そろそろ出るよ。準備はいい?」
軍帽を深く被り、手袋をはめた美月はすっかり隊長の顔になっていた。それを目にした有坂は笑みを浮かべる。
「はい、出来ております。それでは出発いたしましょう」
***
一夜明けた夕暮れ時、ISA本部ビルの一室。多くの報道陣がカメラを構える中、前方の扉より二人の男が姿を見せた。
その瞬間、二人目掛けて凄まじい数のフラッシュが焚かれる。眩しい光の中、マイクが置かれたテーブルの前に立ち二人は軽く一礼をした。
「本日は、お忙しい中お集まり頂きありがとうございます。私はISA広報部の有坂と申します。これより、私の方から事件の内容についてご説明いたします。ご質問がありましたらその都度お受けします」
そう、普段通りのパトロールのはずが、昨日は予想だにしない出来事が起こってしまった。本来、この場には特務室三佐として桐谷美月が姿を見せるべきなのだが、代理で有坂が公の場に出ることとなった。そして美月が姿を見せられないことで、もう一人の男も同席することとなった。
「まず、事の発端は我々の通常業務である周辺警備です。昨日は特務室第三部隊が警備担当で、隊長の桐谷と小隊長の佐伯、そして私も同行していました」
すると、数人の記者が手を挙げた。
「なぜ、広報部の方が同行していたのでしょうか。なにかタレコミのようなものがあったわけではないのですか?」
「はい。私たち広報部は、主に法務省や防衛省、そして各取引先などへ外出することは多々ありますが、本部周辺を見回ることはありません。昨日は近場に赴く予定があり、時間に余裕がありましたので、事務員といえどISAの人間として同行させていただいた次第です。事前に情報を得ていた事実はありません」
これは本当の話だ。なんの情報も無かった。通りすがりに突然助けを求められ、一切準備も出来ないまま現場へ向かったのだ。
「本部を出て二、三十分が経った頃、助けを求める女性の声が聞こえてきました……」
***
「今日はいい天気だね」
「ええ、昨日の大雨が嘘のようですね。雲ひとつありません」
いつもと同じ時間、いつもと同じルート。快晴のおかげで、心なしか普段より気分が良い。
「……あの、有坂特尉。ちょっとお聞きしたいことがあるのですが」
少し前から、佐伯は有坂の方をちらちら伺いながらタイミングを計っていた。有坂は笑みを浮かべて顔を向ける。
「うん、なんでも聞いて」
「あの、どうすればそんなに格好良くなれるんですか?有坂特尉は、見た目も中身も私の理想そのままなんです。そして仕事も出来て……」
そんな二人の姿を、美月は後ろから見守っていた。上官と部下というより、兄と弟、師匠と弟子のような関係に見える。
少し前、佐伯が面白いことを聞いてきたことがあった。
「桐谷さん、有坂特尉って彼女いるんですかね?」
前々から、佐伯はよく有坂の話をしていた。仕事上、最も有坂と行動を共にする機会が多いのは上総だが、さすがに上総相手に業務以外の話は気軽には出来なかったのだろう。
「彼女って……。それ、普通は女性が聞くことだと思うけど」
「いや、そうなんですけどね。でも、気になるじゃないですか。有坂特尉に釣り合う程の女性はどんな人だろうって」
美月は佐伯の話を思い出して、自然と笑みがこぼれた。今も同じ質問を本人にしているに違いない。
「……有坂特尉は今、特定の相手はいらっしゃいますか?」
思いもよらない質問に少々驚きながらも、なぜか真剣な眼差しの佐伯に、有坂は一瞬考えを廻らせて口を開く。
「いや、いないよ。もう彼女はしばらくいないな。昔はね、何人かと付き合ったことはあったけど、どの人ともあまり長続きしなかったね」
「ええ、どうしてですか。有坂特尉と付き合えるなんて凄いことでしょうに……」
佐伯は愕然としていた。その顔を見て美月は失笑を抑えきれない。
「別に、浮気されたとかそういうのは無かったな。僕もその時はちゃんと相手のことは好きだったと思うし。……いや、好きになろうと努力をして、頑張って好きでいたというのが正解だ。僕はね、今まで誰一人として心から好きになれた人はいなかった。それは両親も然り。僕は僕自身にさえなんの興味も無くて、それが相手に伝わってしまったんだろうな」
「有坂特尉……」
初めて、業務以外の有坂の内心の思いを聞いた。有坂の世界は、佐伯が考えていたものとはまるで正反対の世界だった。常に第一線を生きて、頂上を見据えているものだとばかり思っていた。
「……では、今はいらっしゃるのですか?その、心から好きになれそうな人」
有坂は空を見上げて目を閉じた。瞼越しに、昼下がりの陽の光が眩しかった。
「うん、いるよ。心から大切に想う人。きっと一生見つからないだろうなって思っていたから、僕自身も驚いたんだけど。その人のことは、どんなことがあろうとも護っていきたいって思った」
空を仰ぐ有坂の横顔を、佐伯は真っ直ぐな瞳でじっと見つめていた。今まで有坂のこんな表情は見たことがない。すると、有坂は佐伯の方へ顔を近づけて小声で話し出した。
「……君の上官も僕と同じだよ。心から護っていきたいって思う相手がいる。それは恋なのか憧れなのか、そこまでは僕にはわからないけれど。三佐は、その人の為なら命だって懸けるだろう」
それを聞いて、佐伯は後ろを歩く美月を一瞬振り返る。今まで考えたこともなかった。仕事ばかりの自分の上官が、命を懸けて護り一番大切にしている人物がいるだなんて。
「……隊長でも、そんなことを考えたりするんですね。やっぱり普通の人間なんですよね」
「はは、まあそりゃあね。たとえ思考のほとんどを仕事が占めていようとも、そのほんの僅かな隙間には人間らしさが見え隠れしているものだよね。そしてそっちの方を大切にしていたりする。やっぱり、この世界は量より質だと僕は思うかな」
「……」
佐伯の心臓は少し動きを速めていた。自分には思いつかない考え方、そしてそれを強要せずとも自然と伝わってくる。
これは有坂自身のものなのか、台本通りの作られたものなのかはわからない。けれど、やはりこの有坂渉という人間は侮れない。良い意味でも悪い意味でも、今後は更にマークしておかなければ。
***
「……すみません!あの、助けてください!軍人さんですよね、お願いします、今すぐ来てください!」
突如、前方より女性がひとり、息を切らせて走り寄って来た。顔面は蒼白で、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「とりあえず、案内してください。有坂、佐伯二人も着いてきて」
あまりに緊迫した雰囲気に、美月は内容も確認せず女性の後を追った。これは危ないかもしれない。美月の勘がそう言っていた。
少々奥まった路地に佇む三階建ての雑居ビル。そこを指差し、女性はおぼつかない口調で話し出した。
「ふ、覆面をして銃を持った男が二、三人入って来て……。同僚の叫び声が聞こえて、私はお手洗いに隠れてなんとか見つからなくて。それでなんとか外に逃げて、そしたら犯人も出て来て車に乗って……」
女性はかなり動転していた。まさか自分たちがこんな目に遭おうとは。そして、同僚を置いて一人だけ逃げてきてしまった罪悪感が女性を苦しめていた。
「落ち着いてください。大丈夫ですよ、あなたの判断は間違っていません。再び中に戻るより、こうして助けを求めるのは正しい選択です」
美月は女性の肩に手を置いて、強い笑顔で諭した。女性は涙を流して数回頷く。
「地上三階地下一階ね。佐伯は一階及び地下の調査、私は二階三階に行く。有坂は所轄に連絡して、周辺の住民避難及び交通整理」
「本部への連絡はどういたしますか」
「先に中の様子を見てから。指示を仰ぐ時間はなさそうだし、指示なんて聞いてられないかも」
「承知しました」
美月は女性の元へ再び駆け寄り、ハンカチを差し出した。
「お仲間は必ず無事に救出いたします。必ずです」
「よろしく、お願いします……」
そして美月と佐伯はビル内部へ、有坂は住民避難を開始した。
「あの人の話だと、犯人はもう中にはいないみたいだけど。もし、本当にそうだとして人質が逃げて来られない理由……」
「普通に考えて、両手両足共に拘束されている。それかまだ犯人が残っている。……もう一つは、銃声が聞こえなかったことから可能性は低いながらも、なきにしもあらずですが」
佐伯の言う通り、既に人質は皆殺されているのかもしれない。もしそうであったなら、あの女性になんと伝えたら良いだろう。
「……人の気配は感じられませんね」
正面の入り口や窓にも人影は見られない。本当に犯人は全員引き払っているように見える。
「とりあえず警戒は怠らずに、佐伯は地下から調査して」
「承知しました」
二人は拳銃片手に、正面入り口よりビル内部へと潜入を開始した。
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