苛立ちは募るばかりで

 結局、第四分隊を置き去りにしたまま本部へ戻って来てしまった。

 皆、ちゃんとわかっている。上総だって好きで置き去りにしたわけではないし、自分たちのことを考えての行動だ。だが、陽だけは違った。未だに怒りが収まらないでいる。

 第四分隊と連絡がとれなくなってからすでに四時間以上が経過していた。上総以外の隊員は会議室に集まり、次の指示を待っている状態だった。


「……なにやってんだよ。はやくしろよ」


 陽は、戻って来てからずっとこんな調子だ。上官に逆らうことは出来ず、簡単に撤退命令を承服した自分が許せないでいた。

 刻々と時間は過ぎて行く。もうじき日が暮れる。そのとき、会議室の扉が開かれた。


「都築さん!なにか、なにか次の指示を」


 部下たちは一斉に立ち上がり、上総の言葉を待つ。だが、上総の口から放たれた言葉は皆の期待を裏切るものだった。


「今日はもう業務終了だ。皆、それぞれ部屋に戻れ。小隊長分隊長は十九時から会議を始める」


 それだけ口にすると、さっさと出て行ってしまった。


「……そうだよな。どうしようもないんだよな」


「諦めろってことか」


 上総の言葉に皆がうな垂れていた。少しだけ期待していたんだ、もしかしたら助けに行こうと言ってくれるんじゃないかって。


「もういい」


 陽は勢いよく扉を開けると、そのまま出て行ってしまった。通路の端では、哀れな表情を浮かべた久瀬がその背中を見据えていた。

 向かうは都築上総の部屋。もうたくさんだ、許せない。あんなやつの下になんかいられない。

 陽はノックもせず乱暴に扉を開けた。部屋の奥で、上総は窓辺に立ちコーヒーを口にしていた。


「おい、なに悠長にコーヒーなんか飲んでんだよ。いなくなったらもうそれでおしまいか?たった二ヶ月でも、あいつらはあんたの部下だっただろ。一所懸命やってただろ」


 陽は一歩また一歩と上総に近付いて行く。だが上総は外を眺めながら、尚もコーヒーを口へ運ぶ。


「ちょっと仕事が出来て頭がいいからってなあ、仲間を大事に出来ないんじゃ隊長なんか務まらないんだよ。あんたは向いてない」


「……じゃあ、お前がなるか。俺の代わりに」


 上総は外へ顔を向けたままやっと言葉を発した。だが、その言葉は陽の癇に障った。


「なんだよそれ……。自分じゃなにも出来ないからもういいやってことかよ。だったら初めから隊長なんか引き受けるんじゃねえよ。俺はともかく、部下たちが可哀想だろ。あいつらが周りからどう思われているか知ってるか」


 上総はそっとコーヒーカップを机に置く。


「……あんな心がない上官の下についてかわいそうに、自分じゃなくて本当によかった」


 陽は、だんだんと荒くなる呼吸をなんとか抑え、すべてを上総にぶつけた。

 すると、ゆっくりと上総はこちらへ顔を向ける。その姿に思わず鳥肌が立つ。なんなんだ、この目は。今まで見たことがない。突き刺さる、支配される。少しの時間目を合わせているだけで気分が悪くなりそうだ。


「ああ、そうか。それがどうした。……柏樹一尉、もう会議が始まる。さっさと会議室へ向かえ」


 ついに陽は、強く握りしめた拳を上総の机に振り下ろした。その衝撃でコーヒーカップが落下した。


「あんたには失望した。俺はもう第一部隊を辞める。あんたとは一緒に仕事なんて出来ない。お世話になりました」


 怒りと哀しみが混ざり合った表情で一礼をし、陽は部屋から出て行った。上総は黙って、ただ割れたカップを見つめていた。


***


「相馬三尉、柏樹一尉はどうしましたか」


 会議の時間を過ぎても陽はやって来ない。それどころか上総の姿もない。


「わかりません。ただ、柏樹一尉は昼間のことでちょっと……」


 相馬は思わず目を伏せる。自分だって陽と同じ気持ちだ。第四分隊には同期のやつだっている。今すぐにでも助けに行きたい。


「そうですか、わかりました。仕方がありません、このまま会議を始めましょう。相馬三尉、和泉三尉、二人で柏樹一尉の代理をお願いしますね。都築には後ほど書類を渡せば平気です。彼は急な仕事が入り、会議は欠席です」


 そして久瀬は携帯電話を取り出し、一旦廊下へ出た。


「先、始めていてください」


 その頃、上総は部屋で割れたカップの破片を拾っていた。ふと空を見上げる。


「……そろそろか」


 すると、胸ポケットにある携帯電話が鳴った。


「都築か、柏樹が会議に出ていないぞ。もしかしたら……」


「あいつ……。将官、お手数お掛けして申し訳ありませんが、救護班の用意をお願いします」


 電話を切ると、上総は軍服を脱ぎ捨て、戦闘服と防弾防刃チョッキを着用した。そして、自らの車の鍵を手に部屋を飛び出した。エレベーターのボタンを押し、急いで乗り込む。


「わあっ……。え、えと、お疲れさまです。都築三佐」


 そこには、予備軍の隊員がひとり乗っていた。まさかの都築三佐、そして戦闘服にこの形相。隊員はどうしたらいいのか慌てた様子だ。


「……お前、俺のことを知っているのか?」


 上総は地下のボタンを押しつつ、後ろの隊員に声を掛ける。


「はい。あの、総会のときに初めて知ったんですけど……」


「ああ、そうか」


 上総の頭に陽の言葉が蘇る。この隊員も、自分の下にはつきたくないと思っているのだろうか。


「お前、この後なにかあるか」


「へっ……?」


 もう会話は終わったと思っていたところ、またしても声を掛けられ、隊員は思わず変な声を出してしまった。


「あ、すみません。いえ、この後はもうなにもないですが……」


 それを聞いた上総の口角が上がる。隊員は嫌な予感しかしない。そして、不敵に笑う上総がこちらを振り返ったことで、その予感は確信へと変わった。


「ならちょうどいい。ちょっと俺に付き合ってもらう。このままついて来い」

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