傷み

第一部隊発足

「柏樹二尉、異動だ」


 朝食を終えて部屋に戻る途中、廊下でたまたま会った上官から挨拶もさながら突然の異動命令。


「異動ですか……。はあ、どこに」


 あまりにも突然の報告に、陽は呆気にとられていた。


「組織改変に伴い、先の会議で試部隊を発足させることに決まった。今までの連隊、大隊からさらに細分化していくんだそうだ。その試部隊にお前が所属することになったよ」


 陽は依然、半信半疑な顔を浮かべている。


「試部隊ですか。それっていつからですか」


「来月からだ。まあまだ正式に発表はしていないが、お前は一尉に昇格する予定だよ。ま、頑張れ」


 陽の肩をぽんと叩き、そのまま上官は行ってしまった。


「異動って。あまりにも突然すぎるだろ」


 ぶつぶつと文句を言っていると、後方から先ほどの上官の声が聞こえてきた。


「ああ、お疲れさま。いつも大変だね」


 陽は少しだけ振り返る。そこには、自分の上官と知らない男の姿があった。


「お疲れさまです」


 その男は上官に挨拶をすると、そのまま自分の方へと向かって来る。陽はその男からじっと目を離さない。誰だ、見たことがない顔だ。だが、自分の上官とは知り合いのようだ。

 すると、陽の視線に気が付きその男もこちらへ視線を向ける。だが、一瞥くれただけでまるでそこに誰もいなかったかのように、陽の横を颯爽と通り抜けて行った。


「なんだ、あいつ……」


 これが、上総と陽の初めての出会いだった。


***


「朝から気分悪い」


 陽は、同室の依田に愚痴をこぼす。


「ふうん。誰だろうな、そいつ。見たことないってことは、他の将官のところってことだよな。階級章は見た?」


「階級章ねえ……」


 ベッドの上に寝転んで、先ほど男とすれ違った場面を思い出す。


「ああ……。あれは確か一尉だったな」


「え、上官かよ。じゃあ仕方ないんじゃない。もう忘れろ」


 陽は、納得いかない様子で口を尖らす。


「別に常に笑ってろとは言わないけど、もっと楽しそうにしてりゃあいいのに。なんかあいつ、すべてを諦めているような顔してた」


 依田は、業務の準備をしつつ黙って陽の話を聞いていた。陽は自分よりも二つ年下だが、予備軍から半年という速さで昇格し、春から同じ部屋になった。実力があって人当たりもよく、仲間からも信頼されている。


「でも、お前とこうして話せるのもあと少しだな。もう来月には一尉だろ?この部屋、出て行くんだよな」


「あ……」


「四月からの半年だけだったけど、なかなか楽しかったぜ。来月からも頑張れよ」


 依田は陽の方を向き、満面の笑みでガッツポーズをする。しかし、その目は少しだけ哀しげに見えた。


「……部屋、移らないと駄目かな。別に昇格したってまだ尉官なわけだし、ちょっと頼んでみようかな。俺だってお前といると楽しいしさ、出来ればまだ同じ部屋がいいな」


 すると、陽は勢い良く起き上がり依田へ決意の顔を向ける。


「部隊長さんにお願いしてみるよ。どうせ俺らより、ひと回りもふた回りも上のおっさんだろ?すぐいいよって言うだろ」


「おいおい、隊長のことをそんな軽々しく言うなよ。でも、よろしく頼むよ」


***


 昼休みになり、陽は本格的に新しく自分の上官となる部隊長、そしてついでに印象最悪の一尉の捜索も始めることにした。

 といっても、部隊が発足することも自分がそこに所属することもまだ正式に発表されているわけではない。


「捜すといっても、公にできない以上どうするかな……」


 辺りを見渡すと、半分ほどが見知らぬ顔。


「意外と知らない奴が多いんだな」


「柏樹、誰か探してんのか?」


 陽と同じ二尉の仲間が声を掛けてくる。


「あ、いや……。なんか来月組織改変あるらしいじゃん。そこで大きく異動する人とかっていないのかなあって思って」


「ああ、なんか結構変わるらしいね。でも知らないな」


 やっぱりそうだよな、と昼食を口にする。


「じゃあさ、俺より少し小さくて黒髪で愛想の悪い一尉の男って知ってるか?」


 尋ねておいて、そんな奴ごろごろいるじゃんと自分で自分につっこみを入れた。


「黒髪で愛想の悪い一尉ねえ……。他の隊の人はあまり知らないからな」


「だよな」


 結局、なんの収穫もないまま昼休みが終わってしまった。

 今月はまだ始まったばかりだが、部屋の申請をするなら早い方がいい。


「こんなんじゃ、いつまでたっても見つからないよな。思いきって聞いてみるか」


 陽は、現在の上官に直接聞きに行くことにした。捜索初日から早くも最終手段に出たのだ。


「失礼いたします」


 業務終了後、早速自らが所属する第三大隊の准将の部屋を訪ねた。


「おや、柏樹二尉じゃないか。なんだ、仕事のことで話でもあるのか?」


「あ、いえ。あの、私の新しい上官となる方に、早めにお願いしたいことがありまして。可能ならば、その上官のことをお教え願いたいのですが……」


 恐る恐る尋ねてみる。やはり、まだ公になっていない以上無理だろうか。


「ああ、そういえばまだ名前も言っていなかったか。都築上総っていう名前だよ、新しい上官」


 思ったよりあっさりと名前が手に入った。しかしそのことに満足し、大事なことを忘れていた。


「……お前さ、名前だけわかってもあんまり意味無くね。結局、その都築上総って奴がどこの誰なんだかまた捜さないといけないだろ」


 依田の話もうわの空に、陽はベッドの上で自分の浅はかさに呆れていた。


「はあ……、まあいいさ。新しく作られる部隊のトップに立つやつだろ。なら、それくらいの実力と名声があるってことだ。名前を出せば誰かしら知ってるだろう」


***


 調査を開始してから二週間が経過した。仕事の合間のわずかな時間で聞き込みを行ったが、やはり自分の周辺の人間は皆知らなかった。

 今日は午前中いっぱい剣道の訓練がある。途中、次々に相手を替えて打ち合いをする時間が設けられていた。他の隊の人間も混ざっての授業。陽はこのときを狙っていた。


「よし、じゃあこれから三十分の打ち合いを始める」


「よしきた!」


 陽は部屋の端に移動し、片っ端から情報を集めることにした。


「よろしくお願いします!」


 広い剣道場で、百名ほどの隊員が打ち合いを開始した。陽はすでに柔道空手剣道と師範の免許を取得しているため、余裕の面持ちで構えた。


「なあ、ちょっと聞いていいか」


「は、はい。なんでしょうか」


 一人目の手合わせは、ひとつ下の三尉の隊員。


「都築上総って人知ってるか」


「え、えと……。つ、都築さん、ですか?」


 隊員は陽に押され気味で、質問どころではない様子だ。


「すみません、ちょっとわかりません」


「そうか、ありがと。なら……」


 用件が済むと、今までの話はなんだったのかと思えるほど、陽は急に激しく攻めてきた。


「ほらほら、これくらい受け止められなきゃ。まだまだ……!」


 笛が鳴り、次の相手と手合わせを始める。


「あのさ、都築上総って知ってる?」


 今度の相手は知り合いのため、適当な打ち合いをする。


「ああ、聞いたことあるよ」


 陽は、まさかの回答に驚きを隠せなかった。


「都築、都築……。そうそう、確か俺らと同じ歳だな」


「都築上総、ああ知ってるよ。同期がその人と同じ上官についてるから。なんかすごい頭いいらしい」


「都築上総っていえば、確か予備軍に一ヶ月しかいなかったとかじゃなかったっけ?」


「ああ、その人医学部出身で、組織に入る前はここの病棟で研究員として働いていたんじゃなかったかな」


 こうして、三十分の打ち合いが終わった。十人の相手と手合わせをしこれだけの情報が集まった。

 ひとつわかったのが、都築上総という人間はかなりの頭脳の持ち主だということ。しかし、なかでも特に驚いたのが、自分と同じ歳だということだ。


「なあ、直属の上官が自分と同じ歳ってどうよ」


 昼食を終え、部屋で依田に調査の結果を報告する。


「俺もさ、ちょっと気になって知り合いに聞いてみたんだけどさ。なんか想像以上に凄いみたいだよ、その人」


「え、まだあるのかよ……」


 陽はつい顔を歪めた。同じ歳だっていうのに、こうも自分と差があるとは。


「柔道空手剣道は、師範の免許こそ持っていないけど高校生のときすでに最高段位取得。射撃の腕は最高レベル。内科、外科の医師免許取得。専門は脳外科で、その腕はかなりの……」


「もういい、もう勘弁!わかった、そいつはロボットだ。人間じゃないんだ」


 ベッドに寝転がり、大きく溜め息をついた。頭の中でたくさんの感情が渦巻いていた。

 そんな陽の様子を目にして、依田は思わず苦笑した。


「お前さ、なに沈んでんの。いつもみたいにプラス思考に考えろよ。よく考えてみろ。それだけすごい人なら、たくさんの知識を盗めるだろ!そして技術も戦術も。上官だけど同じ歳なんだからさ、そこまで深く考えずに気楽にいればいいんだよ」


 陽は視線を天井から依田へと移す。依田はいつもこうだった。たまに陽が調子を崩すと、こうして慰めにも似た言葉を掛けてくれる。自分の方が年上なのに、そんなこと気にもせずに接してくれている。


「……だよな。俺らしくないよな。てか、もう来週には異動か。それからでも間に合うかな」


 すでに日付は九月下旬。特に部屋の移動指示は出されていない。


「ここまでやって、お前の試部隊所属の件流れたりしてな」


「はは。それならそれでもいいや。別に階級とか興味ないし」

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