第38話
確かに階段をダッシュしていたのは……俺一人だったはず。それなのにこの声は、何で「後ろから?」
「いやあ、まさかそちらからエジプトに来るとはちょおっと驚きはしましたけどねぇ……まぁ、早い方が我々としても都合がいいのでぇ、よかったとは言えますねぇ」
ゆっくりと、ゆっくりと、後ろを振り向く。
そこにいたのは、間違いなく。
「H……!」
「はは、ちなみに絶対「エッチ」なんて言わないで下さいねぇ」
日本人・Hと俺は、サシで出会ってしまった。
Hという男はまるで迫力というものがなかった。
電車でこの人の隣が空いていたら躊躇なく座れる、と思うくらいには覇気が薄く、威圧感が無く、敵意が弱い。その服装の奇怪さを除けば印象の薄い顔立ちが残り、言ってしまえば「普通の人」っぽい人だ。
だが俺を最大限に警戒させるのはやはり、この男の、この男たちが持つ謎の能力だ。
瞬間移動。念動力。それらの超常の力を、間違いなくこいつらは行使している。普通ならありえない超能力。そんな力を持っておきながら、こいつはごく普通の人間だけが許されるくらい「普通」にふるまう。
太平寺の圧倒的な殺気、四十八願の燃え上がる闘志、星見さんの絶対的な威圧感。何かを「持っている」ということは何かを発しているということだと、この人達は教えてくれる。しかしHには何がある?
何もない。
それがかえって気味が悪い。
この階段は誰も使うことはないのだろう。喧騒を背中に、Hは俺を順番待ちでもしているかのような眼で見ている。誰一人降りてくることも上がってくることもないこの空間で二人きり。そんなの、おっさん以外と願いたいもんだ。
「まずはエジプトまでいやはや、お越し下さりありがとうございますぅ、全く感謝に堪えませんねぇ。わざわざ日本まで行く長距離テレポートも結構疲れるのでぇ」
老人の顔が彫られた杖を、かしゃんと軽く鳴らす。それで筋肉が反応したのが悔しい。
垂れた汗は、施設の中の暑さのせいではないだろう。相手は何もしていない気なんだろうが、俺からするとピストルを突き付けられているようだ。
「そうか、それはよかったな。だがわざわざお前の手間を省きに来たんじゃねえ。俺達はお前らの企みを潰しに来たんだ」
「潰しに?」
少し予想外、という風に、Hは言う。
「ああ。俺達はお前らの持ってる、加護とやらが入ったクソゲーを倒す。そして世界中のゲームをクソゲーにするなんて計画を止めてやる」
出来るだけ圧を込めたつもりだったが、Hはどこ吹く風、とでも言いたげな無表情で、
「そうですかぁ、潰しますかぁ。てっきり、貴女達の方から剛迫さんを引き渡しに来てくれたかと思ってたんですがねえ」
大門が顔が割れていない、ということで選ばれたことが活きたようだ。本当にこいつらは、国に入ってくる人間のことを観察できるほどの規模を持っている。
「なら、はい」
そしてHは呪文の詠唱も何もない、シュレッダーに紙を入れるような手軽な動作で、
俺の体を金縛りにした。
「!?」
全身を、強靭な蜘蛛の糸で隙間なくぐるぐる巻きにしたような感覚だ。いくら必死にもがこうとしても、もがくことすら出来ない。俺の体が俺の体じゃなくなったような感覚に、生きている汗腺が汗を噴き出す。
Hは金縛りにしてようやく安心したのか、俺にゆっくりゆっくりと近づいてくる。
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