第66話
「こんなもの……こんなものが、わたくしの絶望を撥ね退けるですって……?」
太平寺は呆然と呟いていた。
自分が仕掛けた絶望の最高傑作――怨嗟を込めて作り上げた恨みの最高傑作による精神攻撃が、こんな『クソゲー』に打ち消されてしまったことによる衝撃は想像に難くはない。
そんな太平寺に、剛迫は静かに語り掛けた。
「太平寺。よく見てみなさい、彼らの笑顔を。楽しそうで……幸せそうでしょう? そしてこの笑顔を、かつては貴女もみんなに与えていたのよ」
「……!」
「いいえ、こんなものじゃないわ。この何十倍もの笑顔を、貴女は与えていたの。それを皆から奪い取ってもいいの?」
「……」
太平寺はしかし、ぐっと拳を握って俯いた。
冷静でミステリアスな空気を纏うこいつが、人生で僅かにだけ見せたのか分からない動揺と焦燥のサインなのだろう。
「そんなんじゃ――ないのよ」
震える声に、余裕はなかった。
「そういう問題じゃない……駄目なのよ。全部、全部、無かったことにしないと……。あの全てを壊さないと、わたくしは……!」
太平寺が言いかけた、その時――
「うわああああああああああああああ! も、もう嫌だあああああああああああああああああああああああ!」
と。
観客席ではなく――なんと、審判席から叫び声が上がった。
見ると、スマイリー・サーカスをプレイしていた審判のうちの一人が、コントローラーを投げて逃走を図っている。
「投げ!? 投げたのね!?」
「いや、あれは……!」
恐怖におののく審判は、スマイリー・サーカスのことを見てはいなかった。獄卒を見上げる地獄の住人さながらに見上げているのは、『相手側』のスクリーンだ。
「お、俺は……あんなものをプレイしたくない! 絶対にプレイしないぞ!」
グローリー・US セカンドを見て。
絶対にプレイしたくないと声を張り上げていたのだ。
「何言ってんだ! アンタ、まだプレイもしていないじゃないか! それでも審判か!」
「い、嫌だ! それでも嫌だあ! あんなの拷問ですらないだろう、処刑じゃないか!」
処刑――処刑ね。確かに、アレをまともにやり続けることは処刑に等しいと言えるだろう。
逃亡する審判の勢いはすさまじく、捕らえようとする屈強な警備員の腕すらもすり抜けて、撥ね退けて、逃亡を成功させてしまう。
「こ、これは……投げなのか?」
審判の一人が呟いた。
「いや、まだプレイしてすらいないだろう? これは投げに入らないのではないか?」
「だが、どうするんだ? 審判の代わりはいないだろう! 投げかどうかの判定が問われるぞ!」
温まり切った会場。
これから決戦の第二局が始まろうとした時に起きたこの事態は、不吉な会話で彩られる。
ゲームプレイも全員中断し、司会を含めて(グローリー・US セカンドで憔悴しきっていたが、剛迫のゲームで復帰出来たようだ)話し合いが始まる。
「何だ……どうしたんだ?」
「これは……まずいかも知れないわ」
剛迫が呟き、喉をごくりと鳴らす。
「こんな事例があったわ。クソゲーバトル・エクストリームの歴史で、ちょうど今のように自分が『プレイすることすら』拒否して逃げ出した審判がいたの。まだプレイしていないゲーム側の影響で、その相手のゲームを投げるのは、投げかどうかの判定……だけじゃない問題まで発展したわ」
「何……?」
「すなわち、『審査不可能』――。試合の延期よ」
審査不可能。
その言葉の重みが、背中の皮を引っ張るように圧し掛かる。
「どうなったんだ、その結果は?」
「……『審査不可能』判定……。後日の再審に委ねられることになった。当然、会場からはブーイングの嵐だったわね。それに、互いに互いのネタがバレた状態での再審ですもの、当然二人ともそれ専用の対策を打って再審に臨んだ。勝者も敗者もいたたまれなかったわ、あの事件は……。4月1日に起きたことから通称、『エイプリル・フール事件』と呼ばれることになった事件よ」
「代わりの審判はいねえのか!? こういう時にはそういうの必要だろ!」
「いないのよ。ただでさえクソゲーの審判は数限りあるわ。まして、クソゲーバトル・エクストリームの審判が出来るのは、超一級の生贄としてのライセンスが必要。そしてそのライセンスの所有者は、全国でも20に満たないわ。そして、大抵の場合その人数は常にカツカツの状態なのよ。今揉めてるってことは……あの5人しか審判がいなかったということね」
なんという不備だ。よりにもよってこの状況で。
互いが互いに勝つためにクソゲーを調整しあってまた出すことになるなど、それは到底クソゲーとは言えないものだ。それこそ、ただ勝つためだけの兵器――ゲームですらなくなってしまう。
それを絶対にしないであろう剛迫、それをする可能性は大いにあり得る太平寺。再審になれば、どっちがどう動くかなんて、レールに乗った電車並みに明白が過ぎる。
本当に再審になってしまうのか……?
ここまで来て――!
「剛迫さん。その説明には不備があるわね」
と。
ざわつく会場の中で、氷の道を通ってきたような声が俺の耳に届いた。
太平寺は、無表情を通り越して虚ろな表情で審判席を見やっている。
「クソゲーバトル・エクストリームの審判は、確かにライセンスの所有が必要よ。でも、明文化されていないこととしてね。もう一つ審判の資格を得ることが出来るルールがあるわ」
「何?」
「身に覚えがあるはず。――クソゲーバトルの審判は、互いが認めれば誰でもいい。それは、大会では例外であるという規則は無いわ」
淡々と語る太平寺の目はこっちに向いた。
「つまり、大会でも本人達の合意があれば、審判を指名できる。そういうことね」
「だ、だけど、そんなのいるのか!? 一体誰を指名……」
「いるわ。わたくしがたった一人、この舞台においても信頼出来る男」
太平寺は、その蜘蛛の脚のような指を。
一鬼 提斗に向けた。
「わたくしは貴方を、審判代理として指名するわ」
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