第7話

「……」


 まず最初に目についたもの。

 というより、目をつけられたものは、キーボードを淡々とブラインドタッチしている女子生徒だった。

 モニターの前にある安っぽいソファに座る彼女の前では2Dのアクションゲームが今まさに作られているらしく、彼女は画面を見もせずに正確にドットをステージに打ち込んでいく。

 そして視線は――じいっと、俺に固定されている。

 それはちょうど、電車の中で飲み過ぎて吐いた人間を見るような目つきだった。


「ちょちょ、ふーちゃん! お客さん来るから愛想よく迎えてって言ったでしょ!? 作業の手を止めて、その目を止めて!」

「……言うタイミング逃したから、別にいいでしょ。めんどくさいし。それに、作業の邪魔だし、帰ってもらいたい……」

「あーもう、ふーちゃんやっぱりふーちゃんだ……! 予想通りだけど……。ほら、自己紹介くらいする!」


 クソゲーが絡まなければ、剛迫はただの世話焼きなお姉さんに変化する。いつもの優雅さはどこへやら、キーボードを取り上げてよっこらせ、とふーちゃんなる子を俺の前に立たせる。


「……不死川 紅(ふしかわ くれない)。プログラミング担当でここでのゲームは私がほぼ形にしてる……」


 恐ろしくやる気なさげに、この子は自己紹介を済ませた。

 彼女のやる気の無さは、その風貌からも見て取れた。

 ちゃんとすれば目を見張るほどに可愛いだろうに、とろんと半開きになっている目元。

 セミロングの髪はろくに整えてもいないのだろう、寝癖がそのままに、あちこちがぴんぴんと撥ねてワイルドな見た目を演出している。

 身長は剛迫と比べれば大人と子供と言えるくらいに小さいが、その胸だけはぽよんっと柔らかそうに、そして形よく膨らんでいる。

 何というか、全体的に。

 プログラムに特化した、残念女子。こんなイメージがぴったりと当てはまるような見た目である。


「俺は一鬼 堤斗。まあ、見学だけど、よろしくな」

「……うい」


 可愛いけど恋愛対象にはならないタイプの女子っていう表現がよく似合う。挨拶を済ませるとふらりと定位置に戻り、再度プログラミングを再開する。


「ごめんね、ああいう子なのよ、ふーちゃん……。でも、凄いのよ? ふーちゃんは」

「ああ、ブラインドタッチ出来るくらいだしなあ。そりゃ凄いだろ」


 いや、そういうことじゃなくてね。剛迫が言うと、不死川はじろりと彼女をにらむ。


「いーから、そのこと。話さなくてもいーから」

「何だ? 何か凄いことしたのか?」

「白銀の吸血鬼って知ってる?」

「? ああ、分かるぜ」


 ゲーム・フロンティア三位。

 ゲーム・フロンティアを所持している人間の8割以上はプレイしているであろう超人気探索型アクションゲームだ。吸血鬼を操作していくつかの町で正体がバレないように吸血をしていくゲームなのだが、その奥深いゲーム性、やり込み要素、適度な難易度、美麗なグラフィックで、多くのプレイヤーを魅了した、紛れもない名作である。


「それの作者、彼女よ」

「は?」


 俺の思考が一瞬止まる。

 不死川は『もー、何で言うの』とでも言いたげに、口を拗ねたように尖らせている。


「ふーちゃんが、あの作品一人で作ったのよ」


 ノータイムの行動だった。

 俺の中に流れるゲーマーの血が、脳の電気信号よりも早く動き、不死川さんの座るソファの真横に土下座することを命令する。そして筋肉はそれよりも速く動き、電光石火の土下座が炸裂した。


「いつも楽しくプレイさせていただいております! 不死川さん……いえ! 不死川殿!」

「どのって……あーもう、めんどくさい、何で言うの」

「ふーちゃんの紹介に欠かせないじゃないの、あの功績は。いい加減称賛に慣れなさい?」

「あ、あの! お会いできて光栄に思います! まさか同じ高校に在籍していたなどとは……! 握手を、サインを!」

「握手……? いいよ、それならしてあげる」


 名作の作り手に対する最低限の敬意とはこれであろう。俺はこの行動の全てに、一切の疑問など持っていない。魂の底から満場一致でGOサインが下った行動だ。

 実際、俺は今、猛烈に感動している。

 感動に打ち震えている。

 まさか、あの名作・白銀の吸血鬼がその作者に直にお目見え出来るだなんて――ああ、数十秒前の自分を殴りつけたい!


「あ、あのさ、一鬼君。この子、あんまり褒められるのは慣れてないから、普通にしてくれないかしら? ほら。困ってるわよ?」

「うるせークソゲーメーカー! ふーちゃんなんて馴れ馴れしいんだよ、不死川殿に対して!」

「あら、クリエイターはクリエイター同士、対等よ!」

「下水道と金鉱を対等なんて呼べるか!」

「褒め言葉でしかないわ!」


 ダメだこのクソゲーメーカー、心が強すぎる。真顔かつ張りのある声で断言しやがった。


「……ほら、早く握手しよ。あんたの望みでしょ」

「あ! はい、すいません、お待たせして! このクソゲー野郎が本当に……」


 不死川殿。いや、不死川は、数秒見ない間にお色直しをしていた。

 画鋲が一本掌に飛び出ている、特製のグローブ装着である。


「……ほら、どうしたの? え、もしかして握手出来ないの? わざわざお色直しまでさせておいて。ほら、早く握手しようよホラホラホラホラホラ」


 俺は剛迫にちらと視線を送る。


「うん。『そういう子』よ」

「不死川。すまん。俺は人として色々とお前を尊敬出来ない。俺はゲーマーの前に人間なんだ」

「……うわ、この掌クルーだよ。怖いよねー、ホント人間って。怖いわー……」

「初対面の人間に掌ブスーしようとしてるお前のが怖い」


 尊敬すべき人物から人間のクズに降格するまでの間、僅か一分である。

 人格と才能は伴わない。著名人には嫌なニュースが付いて回るのが世の常か。畜生め。

 俺はこの辺で、この開発室の周りを見回す。歴代の粗大ごみが溜まったような部屋で、それで窓は覆われているが、しっかりとエアコンは完備されている辺りが抜け目ない。奥にある机には何かのノートが置いてあり、回転イスが4つ。一見雑多に見えるが、そこは俺が来るからということなのだろう、床はきちんと清掃されており、埃一つも落ちてはいなかった。

 開発室というより、本当にただスペースを使ってゲームをしているだけ。そんな印象である。

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