第二章 クソゲーバトル、勃発

第5話

 剛迫 蝶扇(ごうさこ ちょうせん)を表すには、三つの言葉を使えば事足りる。

 眉目秀麗。洗練潔白。良妻賢母。

 見るからに美しいこれらの言葉達を贈るに相応しく、剛迫は普段、物腰柔らかで頼りがいがある女学生として名が通っている。空に揺蕩う美しい黒髪、背筋がぴんと通ったお嬢様のような立ち姿に魅了される者は多い。

 しかしその頭脳には悪魔が宿っていることを、俺は昨日知ってしまった。

 それは、ゲーマーにとっての大敵。

 時間と労力と毛根を爆破する、指向性高性能地雷。

 その名をクソゲー。

 そんなゲームを作りまくっている微笑みの悪魔であると、昨日俺は知ってしまったのだ。


「え! テ、テスターをやめるですって!?」


 剛迫の悲痛な大声に驚いたのは、クラス中の全員であろうと俺は推測する。

 無理もない。今にも『おほほほほ』とか口元を抑えて笑いかけそうな優雅の家元が、はしたない大声を上げたのだ。愛と慈悲に溢れた天使のメインウエポンが釘バットだと知った時に匹敵するくらいの衝撃は与えるだろう。

 剛迫の机の前に立った俺は、頑として宣言を繰り返す。


「ああ、やめる。俺はもう、あんなゲーム達をプレイしたくねえよ」

「そ、そんな! 貴方ほどのハイレベルのテスターが居てくれないと、大会を勝ち抜くことは難しいのよ……?」

「うるせえ! とにかく――色々な意味で、お前には協力出来ねえんだよ! 俺がお前の作品たちに、どれほど寿命を削られたと思っていやがる!」


 すまいるピエロ。

 クソゲーを製造しまくり、人を奈落の底へと叩き落す悪魔の道化師。

 それと剛迫 蝶扇がイコールで結ばれてしまった今、やりようのない怒りに満ちた俺は机に手を叩きつけた。

 今こうしている間にも、このピエロの繰り出した奇術(クソゲー)達の記憶が蘇ってきて、苛立ちが加速する。

 ちょうどいい、今ここで鬱憤を思いっきり晴らさせてもらおう。


「お前の作品、どれも大体ロードが長かったよな!? アレどういう仕組みか知らねえが、ずっっっとイライラさせられてたんだよ! あんな容量でどうやってあんなロード作ってんだよ!」

「アレはクソゲークリエイターの間では『ヘル・ロード』と呼ばれる基本戦術よ? 投げ出すギリギリまで相手を待たせることで、適度なストレスを相手に与えるの。ゲーム本編のテンポとの噛み合わせはセンスが問われるわ」


 何かクソゲークリエイターとか言い出しやがったぞこいつ。

 剛迫は何かを包み隠さない清々しさを持ったやつだったが、ここまで堂々とクソゲークリエイターとか言われると戸惑ってしまう。

 だがそこは怒りで押し通す。溜まってた文句はこれどころじゃすまない。


「それに、ゲームバランスも酷かった! 難しいんじゃねえんだよ、酷いんだよお前の作ったゲーム共のゲームバランスは! かと思えば極端に簡単すぎるのもあるしなあ!」

「苦労してるのよ、あのくらいのバランスを保つのは。私ってナチュラルなセンスが低いから、バランスはどうしても『コーディネート』になっちゃって。すっごく頭使ってあのバランスにしてるのよ?」


 何だこの横文字の多さ。意識が高いのか? 意識が低い方向にものすごく意識が高いのかこいつ?


「んで、後はバグだ! セーブデータは消えるフリーズするキャラは勝手に変わってるテキストがおかしくなる民家がラストダンジョンになる! バグだらけだよなお前のゲームはよお!」

「天然もののバグばかりよ。クソゲークリエイターの間では『神の恵み』と呼ばれる天然ものの中から選りすぐったものだけを残すの。適度なクソさにするために選定には苦労するわ……プレイヤーのことを考えて客観的に見ないといけないし」


 苦しめる方向にしか考えてないよな。何だその歪んだ気遣いは。気を遣ってフリーズバグを残す輩が何を言ってるんだ。


「……まあ、その他、言いたいことは色々あるけどなあ! とにかく、俺はテスターになんて絶対にならねえぞ! あんなもんを作るのに協力できるか!」

「あんなもの、ですって!? クソゲーもゲームの一部よ! それも、普通のゲームには無い余りある魅力を持ったジャンルなのよ!? それをあんなもの扱いなんて……!」

「人を苦しめるゲームのどこに魅力があるんだ!」

「それは知らないだけよ、貴方が!」


 俺と剛迫の間に散る激しい火花に、教室中の生徒が静まり返っているが、気にしてはいられない。

 これは戦争だ。

 ゲーマーにとっての大敵を作り出す温床との闘い。全国各地の、すまいるピエロの被害者を代表した戦争。

 テスターになるだなんて、とんでもない。

 しかし相手はあくまで剛迫。その強力な意思に支えられた双眸は大地そのものを思わせるほどに強固で、断じて譲らないという意思が込められている。

 互いが、譲れない。

 互いの、誇りにかけて。

 一触即発の状況だったが、そこに水を差すのは――


「おはよー、二人ともどうしたのさ、朝っぱらから」


 影山 門太である。


「ア!?」

「何よ?」

「ヒイ!? な、なに!? マジでどうしたの二人とも、何でそんな今にも噛みつきそうな顔してんの!?」


 どっちかと言えば、すでに互いが噛みついている。後はどっちが早く肉を食いちぎるかの勝負となっている。賽は投げられているが、賽の目など気にせずに相手の金を直に奪い合うような構図だ。

 二人分の敵意を向けられた影山は身を竦ませてしまい、今にも撤退しそうだが、踏みとどまって俺の方に顔を向ける。


「え、えっとさあ……も、もしかして昨日のことで対立してるわけ? あ、じゃあ剛迫さんもあのゲームクソだって思ったってこと!? やっぱそうだよね!?」

「アレはクソじゃないわ。貴方は真のクソゲーを知らないのよ」

「え!? じゃ、じゃあ、どうして二人ともぶつかり合ってんの?」

「……まあ、いろいろあったんだよ」


 ここで剛迫がすまいるピエロだと明かせば、或いは影山を味方に引き入れることは出来たかも知れない。

 だが――それはいくら何でも倫理に反することだ。クリエイターが誰でも顔ばれしたいわけではないし、むしろそうでない奴の方が遥かに多いだろう。頭に血が上ってると言っても、最低限のプライバシーは守るべきだ。

 それに、2対1で相手を否定するのは、卑怯だ。

 批判は正々堂々、一人で行うべきだ。

 剛迫もそう思っているらしく、影山に対して何も言うことは無い。あくまで一対一での戦いを所望している様子だ。

 しかしこの影山、マイペース。


「じゃ、じゃあ、今日は引き分けってことで! OK!?」

「NO!」

「冗談じゃないわ!」

「ヒイイイ!?」


 火にニトログリセリン投下である。

 炎はますます激しさを増し、戦争は収まるところを知らない。機械仕掛けの神・デウス・エクス・マキナの出現が待たれるレベルまで対立の炎は成長してしまった。

 すでに二人とも冷静さは失っている。残っているのは互いの言い分ばかりで、受け入れる器も丸ごと燃やし尽くしてしまった。

 停戦調停も燃え尽きて、その灰も爆風に散らされた。

 もはや収拾がつかない戦地に寄るものは誰も居ない――そう思われていた。


「騒々しいのね、朝から貴方たちは」

「ん?」


 炎の中に、吹雪が舞う。

 月の映る揺らぎない湖面を思わせる落着きに満ちた声が二人の耳朶を打ち、注目は同時のことだった。

 そして、恐らくは同時に、同じ感想を抱く。


「誰……?」

「どなた?」


 失礼な発言を受けて、この謎の御仁はくすりと小さな笑みを浮かべる。


「どなたと言われても、同級生としか言いようがないわ。初めまして。わたくしは太平寺 暁舟(たいへいじ ぎょうしゅう)という者よ」


 太平寺 暁舟さん。

 彼女はにやにや笑いとも取れる妖しげな笑みを浮かべ、仰々しくスカートの端を摘まんで挨拶をした。

 突然現れたこの人を一言で表すとするのなら、『沼』だろう。

 少し紫がかった髪は一部だけを不規則な三つ編みに編んでおり、不安定で不定形という不安感を煽る形を作っている。

 身長は俺よりもほんの少し小さい程度で女子としては長身の部類に入るだろう。体全体はやせ形で、脚の細さと長さは優美さと危うさを両立し、性的な意味でなくても視線を引き付ける。

 顔は非常に整ってはいるが、その妖しさが魅力を上乗せし――あるいは打ち消してもいる。底の見えない沼のように暗い緑の瞳、日本人離れした少し高い鼻は、彼女の出自が純血の日本人ではないことを語っている。

 互いに面識の無い第三勢力たる彼女の登場は、二人の炎の勢いを弱めるには十分だった。


「初めまして、私は剛迫 蝶扇。――同級生として、顔を覚えていなかった無礼を謝るわ」


 剛迫はさっきまでの激しさはすっかりと抑え込み、丁寧に挨拶を返す。しかし太平寺はくすっと人を食ったような笑みを浮かべ、


「そんなの非礼にも入らないわ。わたくしだって、こっちの男の子の名前知らないもの。そんなマメな子が居たら、息が詰まっちゃうわね」

「すると、剛迫のことは知ってたのか?」

「ええ、有名じゃない。名前も目立つしね。――名前を知らない男の子さん」


 さらっと、俺が自己紹介してないことを非難された気がする。

 潜在的に嫌らしさを感じるような人だ。


「あー、俺の名前は、一鬼 堤斗だ」

「はい、よく出来ました。覚えたわ、以後よしなに」

「ぼ、僕の名前は、影山 門太です」

「ふふ、そんなに固くならないでいいのよ。同級生じゃない、仲良くしましょ?」

「は、はい!」


 どこか油断ならない空気を持っていると俺は認識しているが、影山は別なようだ。この、高校生とは思えない妖艶でミステリアスな空気に惹かれてしまったらしく、少し頬が赤くなっている。

 剛迫は俺と同じ捉え方をしているらしく、激しい炎こそ抑え込んではいるが、臨戦態勢をそのまま崩さず、間合いに入れば切り捨てそうな警戒をしている。


「……それで? 太平寺さんって、このクラスの生徒じゃないわよね。一体何をしに来たの?」

「火事と喧嘩は華にも喩えられる。華を愛でるためにかがみ込むのは、女子の嗜みじゃなくて?」

「冗談はいいの。本当は?」

「ふふふ、せっかちさんね。――ちょっと面白そうなお話をしてたから、つい、ね。なんでも、一鬼君が剛迫さんの作品を非難しているみたいだったから、ちょっとね」


 非難。その言葉が当てはまるのかどうかは甚だ疑問である。

 何故ならこいつの目的そのものがクソゲーであり、クソゲーをクソゲーと非難されるのは普通のことだからだ。太平寺はそんな事情まで知ってか知らずか、俺に粘着質な視線を投げかける。


「そんなに酷かったのかしら? 剛迫さんのゲームって」

「ああ、クソゲーだ」

「ええ、クソゲーよ」


 堂々と言うな。堂々と言うんじゃない、お前だけは。誇らしげ過ぎるだろ。胸を張るな。


「ふふ、クソゲーであることを否定しないのね。貴女はまさか、クソゲークリエイターなのかしら?」


 今更ながら、クソゲーのクソって本来すっげー汚い言葉のはず。

 清楚な剛迫やミステリアスな太平寺の口からぽんぽんと飛び出してきていい単語じゃないはずなのにな。クソゲーの罪深さを改めて感じる。


「ええ、その通り。言っておくけど私のクソゲーは並じゃないと自負しているわ」

「なるほどね。ずいぶんと誇りを持っているのね。でもおかしいわ、それなら何故非難されて不愉快になっているのかしら?」

「俺にそのクソゲーのテスターになれって言ってんだよ、こいつが」


 バトンタッチ。

 沼色の瞳が、俺の目を抜く。


「クソゲーのテスター」

「ああそうだよ。絶対に俺はそんなもんになりたくねえんだよ。クソゲー作りに加担するなんざ、絶対に嫌だね! 死の商人になれって言われてるようなもんだ!」

「死の商人ですって!? 言ってくれるじゃないの! クソゲーはそんなものじゃないわ!」


「落ち着きなさい」


 その声は、ヒートアップした俺達をして。

 完全に沈黙させるに、余りある迫力を持った声。

 感情に任せた舌戦を完全に封じ込め、沼の底に沈めて強引に鎮火する。


「わたくしは、罵声が好きじゃないの。それを2人分も聞かせないでくれるかしら? 脳の血管によく響くわ」

「ご、ごめんなさい……ちょっと熱くなってしまったわ」

「すまねえ……」

「素直でいいことだわ」


 一体何なんだ、この太平寺という女?

 胡散臭くてほそっちょろい女なのに、烈女状態の剛迫を完全に押すだけの力があるなんて――一体何者なんだ?


「感情に任せて話し合ったところで、何の意味も無いわ。ここはひとつ、わたくしの提案を聞いてみる、というのはどうかしら」

「提案……?」

「ええ。――一鬼君に、クソゲーの製作過程を見せてあげたらいかが?」

「何!?」


 驚く俺の情けない姿を沼の瞳は容赦なく映し続ける。


「一鬼君。貴方にはゲーマーとしての、揺るぎない矜持があるように――クリエイターには、クリエイターとしての矜持があるものよ。一度見てみたらいかが? 彼女の、クリエイターとしての魂もね」

「でも、製作過程なんか見て……分かるものなのかよ?」

「クソゲーは、多くの場合は普通のゲームを作ろうとして。でもそれに手抜きや制作費の都合、日数の都合が重なって生まれてしまった悲劇の産物。もしくは自然と人間の狂気が生み出した、前衛芸術とも呼べる作品群よ」


 でも、クソゲークリエイターは違う。

 きょろりと細めた目を、剛迫に向ける太平寺。


「クソゲークリエイターは、クソであることを求める。ある一つの方向性に向かって、道を究めようとする――そこに、他の芸術との差は無いわ。自分が表現したいもの、目指したいもののために研究を重ね、試行錯誤を繰り返し、芸術の域にまでクソゲーを昇華せんとする」

「……」

「もっとも、彼女はどうなのか、わたくしは知らないし。もしそうだとしても、貴方がどう受け取るのかは分からない。でも、見ても損は無いと思うわよ?」


 少なくとも不毛に不愉快にがなり立てるよりはましよ、と付け加えて。

 太平寺はすうっと、蓮の葉の上に載って移動するような滑らかさで、教室から出ていく。


「……何なのかしら、彼女?」

「さあな……。で、いいのか? 剛迫」

「何が?」

「見学だよ」


 ぶっきらぼうな口調になってしまったことは、とりあえず了承してもらいたいところだ。剛迫は目を丸くしている。


「見ていくの? さっきまであんなに言ってたのに……」

「敵を知るってのも、悪くねえだろ」


 つくづく素直じゃない男だな、俺も。

 剛迫はガタンと柄にもなく素早く立ち上がると、ツカツカと姿勢の良さを保ちながら教室の出口に向かっていく。


「お、おい、どこ行くんだ!?」

「仲間のところよ!」

「仲間!?」

「ええ、そうよ! ――絶対に負けられない見学会が始まるから、準備を整えろって言いに行くのよ! 覚悟しなさい、一鬼君! 絶対に貴方を、クソゲーテスターにしてみせるわ!」


 距離的に大きな声を出さなくてはならず、都合クラス中にクソゲークリエイター・剛迫の名が知れ渡ってしまったことになるが、そんなこと彼女は構ってもいないだろう。最悪、悪名高いすまいるピエロの名がバレなかっただけでも万々歳だ。

 それよりも、


「……仲間が居たのか……」


 クソゲークリエイトに賛同してしまった仲間がこの学校に居る。

 そのことが、俺としてはかなり衝撃的な事実だ。

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