呻吟の帰国

 目覚めた瞬間ズキリと腹が痛んだ。庇う様に身を起こし、腹を掻き抱くようにベッドに腰掛けるとアルコールの残った頭がぐらぐらと揺れた。


 旅行の最終日にすることと言えば、帰宅の備えとお土産の買占めである。我々はお土産を求めて朝10時にジャンクセイロンへ向かった。ジャンクセイロンに頼り過ぎではないかと言う旅行審議委員会の声もなくはなかったが、プーケットというところはジャンクセイロン中心に回っているので仕方がない。田舎のイオンみたいなものである。


 ジャンクセイロンは11時開店であった。


 「怠慢なのではないか」と憤ったところで開店するわけでもない。12時にはホテルをチェックアウトしてマッサージを受けに行かねばならない。我々は潔く土産を諦めてホテルに戻った。暇なので寄らばスタバの陰、を再度実践した。


 日本でスタバに行った回数とプーケットでスタバに行った回数が殆ど同一になりかけていた。ホテルに近い、ということもあったし何より限定メニューのマンゴーフラペチーノのようなものが非常に美味しそうだったこともある。だが初日と二日目、どちらにしても売り切れだと言われた。悲しみを抱えてカフェラテを頼んだ(友人に注文をお願いしたのでちゃんとカフェラテが出てきた)


 朝の10時半に行けば売り切れているはずがない、ジャンクセイロンに入れなかった悲しみを晴らさんとマンゴーフラペチーノ的な物を頼んだ。売り切れであった。というか入荷していなかった。悲嘆に暮れ、カフェラテを飲む。


 ホテルに戻ると、途端にものすごい雨音が響き始めた。私はスコールというものが好きになった。大きな雨粒が屋根、プール、人の体を叩くように力強く降っている。日本の雨が皆で一斉に襲い掛かって体を濡らす盗賊的な雨であるのに対し、スコールは一粒一粒が戦果を挙げんと襲い掛かる戦士的な雨なのである。降り終わるとすぐに晴れ上がる切り替えの早さもよい。しかしスコールの間、外には一歩も出られない。


 我々は「ジャンクセイロン入れなくてよかったな」と負け惜しみを言った。


 これから飛行機に乗って日本に帰るということは万全の体調を整えねばならん。そう一致した我々は120分のスパを頼んだ。私は金欠だったので足中心に、友人はアロマなどを駆使した全身マッサージを選択した。


 通された部屋は細長い9畳ほどの部屋で、縦に二つ寝台が並んでいる。とんでもなく薄い寝間着のようなものに着替えた我々は早速施術される運びとなった。同じ部屋でやるのか、と驚かなくはなかった。


 私の担当はおばちゃんとおばあちゃんの間にいるような老獪な女性で、執拗に、というほど足をマッサージする。ジャンクセイロンで施されたマッサージが30分だったのでその4倍マッサージされることになる。逆に筋組織が崩壊するのではないかと思うほど按摩され、私は半分放心していた。不思議なことにくすぐったくはなかった。耐性が付いたのかもしれない。


 どんどん楽になるふくらはぎと反比例して、何故だか体調は急激に悪くなっていく。吐き気まで加わって絶望が深まる。なにせホテルを出てから日本までは15時間以上掛かる道のり、しかも殆ど空の上である。それを考えるにつけ更に体調が悪くなる。


 マッサージ終わりに友人と別れて空港に向かう。同じ飛行機は取れなかったため私の方が1時間早い飛行機に乗ることにしていた。


 結局雨は降り止まず、プーケット旅行は雨に始まり雨に終わった。しかし雨期にもこれだけ遊び呆けられたのは僥倖と言えよう。


 空港への送迎車の中で私は呻いていた。空芯菜の祟りである。あれだけ旨いモノを独占した天罰に違いないと思った。友人も何となく体調が悪そうにしていたが、私は初日にも食べていたのが良くなかった。空港に着くなり青い顔でトイレに駆け込み、呻吟の声を漏らした。


 待合で半死半生になっている私に追いついた友人は胃腸薬をくれた。菩薩かと思った。互いの体調の悪さを認め合い、「絶対に生きて会おう」と言って別れた。


 そこからはなんだか覚えていない。機内食も喉を通らず、中継のクアラルンプールでは待合で腹を抱えて悶え苦しんでいるのを外国人に嘲笑され、日本に着くまでの間に15回くらいトイレに行ったような気がする。


 成田空港に着いたときの安堵と言ったらない。だし汁が飲みたい。昆布だしが飲みたいとばかり思った。24時間以上ほとんど何も食べていなかった。


 命からがら家に着いてからうどんを食べて昼寝すると体調はすぐに元通りになった。日本食こそ命の源、海外旅行ではいつも思うことである。

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